やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 辻 貞俊
 産業医科大学医学部神経内科学講座
 てんかんは,わが国では約100万人(人口の0.8〜1%)の患者がいるcommon diseaseである.過去にはてんかんに対する誤解やスティグマもあったが,診断技術の進歩に伴い,てんかんに関する病態生理の解明が進み,より効果的な治療法の導入が可能となり,患者の生活の質(quality of life:QOL)は明らかに向上している.とくに,最近のてんかん治療の進歩はめざましく,新規抗てんかん薬による治療と難治てんかんに対する外科的治療が効果をあげている.さらには脳刺激法という新しい発想によるてんかん治療法の治験(brain pacemaker)もアメリカなどで進行しており,その成果が期待される.脳の過剰な電気的活動というてんかん発作の病態で,脳を刺激して発作を抑制するという治療法は一見矛盾しているが,大脳抑制系を刺激してGABA受容体などを賦活させることにより,てんかん発作を抑制できるという考えである.反復経頭蓋磁気刺激(rTMS)の治療法としての応用などの研究も進行している.
 また,道路交通法が2002年に改正され,2年間発作がないなどの条件付きで自動車運転免許の取得が可能となり,患者の社会活動範囲も大きく広がっている.このように,この20年間でてんかん診療は大きく変化し,てんかん診療は新時代に入ったといえる.
 一方,てんかん診療に携わる医師数の減少が問題となっており,たとえば小児科の医師が成人後も診療している状況(carry-overの問題)があるので,てんかん発作が完全にコントロールされている患者の診療にはてんかん専門医以外の医師にも積極的にかかわっていただきたい.
 日常のてんかん診療に深くかかわるてんかん分類は,国際抗てんかん連盟(International League Against Epilepsy:ILAE)から1981年に“てんかん発作型分類“,1989年に“てんかん,てんかん症候群および関連発作性疾患分類”がだされ,いまでもこの分類が広く用いられている.しかし,この分類に対しては多くの批判もあったため,ILAEは2001年に新国際分類を公表し,2006年には改訂版を発表したが,いずれも内容があまりにも専門的過ぎて普及しなかった.このため,2009年7月には1981年分類に近い新分類をILAEのホームページで公表し,public commentsを求めている現況である.このように,ILAEによる国際分類は変遷が続いている.しかし,てんかん診療には多くの医療関係者が携わっているので,てんかん分類はてんかん専門医以外の医師,看護師および学生などに十分理解できる分類にすべきであると考える.当然,患者や家族には容易に理解できる分類であることが必須である.
 日本神経学会は,日本てんかん学会,日本小児神経学会,日本神経治療学会の協力をえて『てんかん治療ガイドライン』の改訂作業を行ったが,1981年・1989年分類を用いている.この新しいガイドライン(てんかん治療ガイドライン2010)の内容は18項目,86のclinical questions(CQ)で構成され,それぞれのCQに対しては推奨(推奨度も明記),解説および文献(エビデンスレベルも明記)を記載している.日常診療で問題となることや知りたいことはCQを介して簡単に探し出し,理解できるようにしたものであり,従来のてんかんガイドラインとは形式がまったく異なっている.なお,このてんかんガイドラインは,2010年10月に発刊されたので,利用していただきたい.
 てんかん診療における技術的進歩,とくに長時間ビデオ・脳波モニタリングによるてんかん発作記録と発作型・てんかん焦点部位の確定およびMRI,PETなどの画像検査の進歩は,てんかん診断の精度を向上させ,てんかん外科治療の進歩につながっている.とくに,薬物治療抵抗性である難治性内側側頭葉てんかんでは,てんかん焦点部位を切除する外科治療が有効であり,一部の難治てんかんでは外科的治療が推奨される現況である.
 てんかん治療の原則は抗てんかん薬投与による発作抑制であり,70〜80%の患者では発作が消失するので,てんかんは治療効果が非常に高い神経疾患である.治療は1850年代のブロマイド療法からはじまり,欧米では1993年以降,新規抗てんかん薬とよばれる第三世代の抗てんかん薬が10種類以上認可され,てんかん薬物治療も新時代に入っている.一方,わが国では2006年以降,4種類の新規抗てんかん薬がやっと認可され,欧米と比べて非常に遅れている.この新規抗てんかん薬は従来の抗てんかん薬に比べて多彩な抗てんかん作用機序をもっているので,種々のてんかん発作型に有効であり,かつ副作用や薬剤相互作用は少ないという特徴がある.しかし,わが国ではこれらの新規抗てんかん薬は従来の抗てんかん薬で発作を抑制できない症例に投与する付加的治療薬としての認可であるため,現状では合理的多剤併用療法を行い,単剤投与ができないという問題点がある.将来,欧米と同様に第一選択薬として認可されることが強く望まれる.今後のてんかん治療ではてんかん発作型に合った抗てんかん薬の選択がさらに重要となる.
 てんかんでの遺伝子研究にもめざましい進展がみられる.なかでも家族性てんかんでの関連遺伝子などの基礎的研究は,てんかん病態の解明とともに将来のあらたな治療法の開発にもつながるものであり,非常に期待されているので,最新の研究の現況を理解していただければと考えている.
 本別冊では,臨床と研究の最前線というコンセプトで,最新の動向を専門家の先生方にご執筆いただいた.読者の皆様にはてんかん診療の最前線と研究の現状を理解していただき,明日からのてんかん診療の現場でお役立ていただくとともに,患者の皆様によりよい診療が行われることを願っている.
 はじめに(辻 貞俊)
最新・研究トピックス
 1.遺伝情報に基づいたてんかんの個別化医療(吉田秀一・他)
  ・薬力学的経路およびAED作用機序
  ・重篤薬疹感受性遺伝子
  ・薬物動態学的経路
  ・個別化治療実現へ向けた今後の展望
 2.てんかんの遺伝子研究の最前線―てんかん分子研究の現況と展望(石井敦士・廣瀬伸一)
  ・てんかんで見出される遺伝子異常
  ・チャネル病仮説
  ・イオンチャネル細胞内輸送障害
  ・遺伝子診断
  ・分子病態に基づく革新的治療
最新・診療トピックス
 3.新規抗てんかん薬―薬理および有効性と問題点(須貝研司)
  ・日本における新規抗てんかん薬の現状と動向
  ・承認新規抗てんかん薬の臨床薬理
  ・新規抗てんかん薬の臨床効果
  ・欧米のてんかん治療ガイドライン,expert opinionにおける新薬の位置づけ
  ・新規抗てんかん薬は旧来薬よりよく効くか
 4.高齢者のてんかん―病態,診断,その特殊性(赤松直樹・他)
  ・高齢者てんかんの疫学
  ・初発発作とてんかん
  ・高齢者てんかんの診断
  ・複雑部分発作重積状態
  ・治療
  ・高齢者てんかんの治療の留意点
 5.てんかん画像診断のアップデート(掛田伸吾・興梠征典)
  ・3T MRIを用いたてんかんの診断
  ・てんかんの核医学検査
 6.てんかん治療ガイドライン(藤原建樹)
  ・在来薬によるてんかん薬物治療
  ・てんかん治療のexpert consensusガイドライン
  ・新規抗てんかん薬
最新・外科治療動向
 7.視床下部過誤腫による笑い発作に対する定位温熱凝固術(亀山茂樹)
  ・笑い発作と臨床特徴
  ・MRI分類
  ・頭皮脳波と脳磁図
  ・HH自体のてんかん原性(intrinsic epileptogenesis)
  ・発作起始部(ictogenesis),症候発現部位(symptomatogenesis)
  ・MRIガイドSRT
  ・SRTの安全性と手術成績
 8.難治性てんかんに対する迷走神経刺激療法(宇佐美憲一・川合謙介)
  ・迷走神経刺激療法とは
  ・VNSの安全性
  ・迷走神経刺激療法(VNS)の有効性
  ・治療の実際
 9.小児てんかんの外科手術―外科治療に関する最近の動向(戸田啓介・馬場啓至)
  ・小児難治てんかんの特徴と問題点
  ・手術適応となる疾患
  ・術式よりみた小児てんかん
  ・特定のてんかん,またはてんかん症候群に対する手術
  ・てんかん外科治療で得られるもの―児の発達と成長
 10.難治性てんかん外科手術:半球離断術(大槻泰介)
  ・半球切除術から半球離断術へ
  ・半球離断術の適応
  ・著者の手術
  ・手術予後・合併症
 11.難治性側頭葉てんかんに対する経シルビウス裂到達法による選択的海馬扁桃体摘出術―手術手技と海馬硬化症74例に対する術後の高次脳機能(森野道晴)
  ・経シルビウス裂到達法による選択的海馬扁桃体摘出術(TSA)の方法
  ・TSA施行例の術後改善度
  ・TSAの意義と課題
最新・てんかん診療動向
 【新しい診断】
  12.てんかん分類の最新の話題―脳波と症状の基軸からの発展をめざして(木下真幸子・池田昭夫)
   ・1981年発作分類,1989年てんかん分類の特徴
   ・2001年大要案,2006年提言,2009年報告の概要
   ・実際の症例での分類例
   ・年分類から2001年大要案,2006年提言,2009年報告への推移
   ・今後検討が期待される課題
  13.てんかんの神経生理学―非侵襲的・侵襲的検査の最近の進歩(松本理器・他)
   ・非侵襲的神経生理検査の進歩―脳波・機能的 MRIの同時計測(EEGfMRI)によるてんかんネットワークの同定
   ・侵襲的神経生理検査の進歩
  14.てんかんと脳律動(平田雅之)
   ・脳律動変化を用いた脳機能局在評価
   ・脳律動マッピングのてんかん外科への応用
   ・脳律動変化のてんかんコントロールへの応用
  15.脳磁図診断に求めるもの―1に波形分離,2に電流方向,3に信号源局在(中里信和)
   ・脳磁図の基本原理
   ・複数信号源の分離
   ・電流方向の診断意義
   ・局在診断の精度
  16.てんかんのビデオ脳波モニタ(重藤寛史・吉良潤一)
   ・ビデオ脳波モニタの目的
   ・モニタの設備
   ・モニタ前の準備
   ・発作時の対応
   ・ビデオ脳波の解析
   ・モニタ以外に必要な検査
 【小児てんかん】
  17.難治性てんかんにおけるケトン食療法―古典的ケトン食療法からアトキンス食変法まで(小国美也子・小国弘量)
   ・ケトン食療法の効果と対象疾患
   ・ケトン食療法の方法
   ・ケトン食療法の管理方法
   ・ケトン食療法の中止
   ・ケトン食療法の副作用
   ・ケトン食療法の問題点
   ・アトキンス食変法
  18.てんかんの新しい治療:局所脳冷却療法(藤井正美・鈴木倫保)
   ・動物実験
   ・臨床研究
   ・脳冷却によるてんかん治療
   ・脳冷却と脳機能
   ・埋込み型局所脳冷却装置の開発
   ・脳冷却のてんかん性放電抑制機序
  19.てんかんの自己免疫病態(高橋幸利・山崎悦子)
   ・てんかん原性変化と発作原性変化と免疫
   ・基礎研究からわかってきた免疫の関与
   ・Rasmussen症候群の免疫病態
   ・Rasmussen症候群の免疫治療
   ・側頭葉てんかん
   ・皮質形成異常によるてんかん
   ・外傷性てんかん
  20.てんかんの分子機構(岡田元宏)
   ・EpileptogenesisとIctogenesis
   ・電位依存性K+チャネル
   ・電位依存性Ca2+イオンチャネル
   ・電位依存性Naチャネル
   ・今後の展望
  21.難治性てんかんの神経病理―外傷後てんかん研究の今後の課題を中心に(新井信隆)
   ・焦点切除脳組織の病理検査では何をみているのか?
   ・てんかん焦点切除部の病理の内訳と問題点
   ・外傷後てんかん
   ・脳損傷における海馬病変とてんかん
   ・組織鉄曝露によるてんかん
 【心理社会的研究】
  22.てんかんと精神症状(兼本浩祐・大島智弘)
   ・精神病状態
   ・抑うつ状態・不安性障害
   ・心因性発作
   ・性格変化・病前性格
   ・手術後精神症状
  23.てんかんをもつ子どもとその家族の包括的支援を考える―QOLとレジリエンスの視点から(永井利三郎)
   ・久郷らの調査
   ・森本らの調査
   ・粟屋,久保田らの調査
   ・QUOLIE-31,QUOLIE-31-P
   ・小児におけるQOL評価
   ・てんかん外科と子どものQOL
   ・てんかん児の包括的支援
   ・レジリエンスの視点
 サイドメモ目次
  イオンチャネルの細胞内輸送
  急性症候性発作とてんかん
  SPMを用いた画像処理
  拡散テンソル画像(diffusion tensor imaging)
  妊娠と抗てんかん薬治療
  視床下部過誤腫のてんかん原性について
  脳梁神経系とてんかん
  海馬硬化症
  Paradoxical temporal lobe epilepsy(PTLE)
  遺伝する部分てんかん―部分てんかんと全般てんかんの違いは?
  開口合成脳磁図
  乳児重症ミオクロニーてんかん(SMEI)
  糖輸送担体1型欠損症(GLUT1欠損症)
  てんかんと脳冷却
  てんかんの原因
  Matrix metalloproteinase(MMPs)
  アルブミンと神経興奮
  グルタミン酸受容体(GluR)
  特発性てんかん
  抗てんかん薬によるてんかん発作増悪