やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに−子どもたちの精神保健に寄せて
 佐々木正美
 川崎医療福祉大学医療福祉学部医療福祉学科
 日本人の平均寿命は世界最長となった.そして合計特殊出生率は,ついに昨年イタリアと並んで世界最少になった.世界でもっとも長生きをするわれわれは,子ども生み育てる力を,世界でもっとも失ってしまった.各地で保育園保育士,児童養護施設職員,学校教師たちと毎週何度も30年以上にもわたって勉強会を続けていると,そのことが実感される.保育園で子育て支援ならぬ子育て代行をしているくらいでは,どうにもならないほどの不幸な親子が急増している.子育ての自覚がない親や,それ以前に夫婦や家族の一員であることの認識さえない大人が増えてきた.
 自己実現などという命題をかかげて生きているうちに,われわれは健康な個人主義を大きく逸脱して,病的な利己主義に陥っている.家族や地域社会の崩壊が指摘されて久しいが,人々は他者と何も共有できない状態で生きている.人間は孤独には耐えることができても,孤立したら生きられない.幼小児から高齢者まで,うつ病の蔓延が意味するものを直視しなければならないと思う.
 近年,脳科学の先端を歩む研究者が示唆してくれる,前頭前野の機能の衰退にも注目したい.想像力,創造性,コミュニケーション,衝動の抑制など,高度に人間的な機能の中枢として,人間にだけ特異的な発達が許されている前頭前野の機能が開発されなくなったということである.われわれは子どもたちに,真のコミュニケーションを通じてしか育ててやれないその機能を,豊かに開花させてやれなくなったのだろうか.人間が人間的な資質や特性を失いつつあるような現状に,思わず慄然とするものを覚える.
 他方,広汎性発達障害/自閉症,注意欠陥多動性障害など,多様に見える発達障害の原因として,生来的な前頭前野の機能不全が示唆されている.アスペルガー(Asperger)症候群など高機能広汎性発達障害のように生来的な機能不全のある子どもと,健常な状態で生まれてきた子どもが,まるで相互に収斂し合うような類似性を示しはじめている現状を考察するために,各界最高の専門家に至高の文章を寄せていただいた.
 はじめに―子どもたちの精神保健に寄せて(佐々木正美)
第1章 総論
 1.児童期精神医学の現在(金生由紀子)
  ・アメリカの臨床研究の動向から
  ・日本の臨床研究の動向から
  ・発達障害
  ・薬物療法と認知行動療法
  ・発達の支援と回復力の増進
  ・おわりに
 2.青年精神医学における現在の問題(野村陽平・青木省三)
  ・現代の障害と病気,そして悩みと問題
  ・思春期・青年期の精神障害
  ・メディアをはじめとする急速な社会変容
  ・おわりに
第2章 臨床各論
 3.少年犯罪と脳(福島 章)
  ・神戸事件―MiBOVa/ADHD-CD系
  ・殺人者・児の脳
  ・豊川事件―PDD/AS系
  ・PDD/ASの脳
 4.発達障害の視点からみた少年非行の理解(小栗正幸)
  ・世の中を震撼させた少年非行
  ・非行少年と発達障害
  ・非行化した発達障害児への矯正教育
  ・著者の実践を通した個人的メモ
 5.青年期パーソナリティ障害の特徴―発達とパーソナリティの接点を探る(岡田尊司)
  ・パーソナリティ障害の“低年齢化”
  ・家庭環境,親子関係の重要性
  ・虐待,ネグレクト,外傷体験との関連
  ・発達と社会的スキルの問題
  ・治療に生かすために
 6.小児期発症の摂食障害とその関連疾患―Great Ormond Street criteria(清水 誠・生田憲正)
  ・摂食障害の診断分類
  ・小児期発症の摂食障害の診断分類(Great Ormond Street criteria)
  ・Childhood-onset anorexia nervosa
  ・Childhood-onset bulimia nervosa
  ・食物回避性情緒障害(FAED)
  ・選択的摂食(selective eating)
  ・機能的嚥下障害(functional dysphagia)
  ・広汎性拒絶症候群(PRS)
  ・その他の関連障害
  ・おわりに
 7.ADHDとLD―軽度発達障害への気づきが子どもの健全な成長を促す(司馬理英子)
  ・ADHDの診断
  ・LD(学習障害)
  ・健診の現状
  ・家族を育て支える
 8.子どもの性虐待の防止の可能性(石川瞭子)
  ・わが国の子どもの性虐待の実態
  ・子どもの性虐待の無知・偏見・誤解
  ・子どもの性虐待の制度的・体制的な問題
  ・福祉・教育・司法・医療の援助の課題
  ・沈黙のエコロジーを超えてどのように子どもの性虐待を防止するか
第3章 自閉症研究の新展開
 9.自閉症スペクトラムの人への支援の基本―コミュニケーションスキルの発達促進(門眞一郎)
  ・コミュニケーション支援
  ・行動障害に対して
  ・おわりに
 10.自閉症・TEACCHプログラム(内山登紀夫)
  ・TEACCHプログラムとは
  ・TEACCHの理念
  ・構造化された指導の意味と要素
  ・なぜ構造化するか
  ・TEACCHのめざすこと
  ・おわりに
 11.高機能自閉症とアスペルガー症候群―臨床家のための概念整理(吉田友子)
  ・自閉症とは
  ・Wingの“3つ組”
  ・高機能自閉症とは
  ・Kannerの症例
  ・Wingのアスペルガー症候群
  ・臨床家に確認したいAS(Wing)の基本的理解
  ・DSM/ICDに対して臨床家としてどう臨むべきか
  ・Wingの業績に対する学問的侮辱
 12.太田ステージと認知発達治療(永井洋子・太田昌孝)
  ・太田ステージ開発の経過
  ・太田ステージとは
  ・認知発達治療とは
  ・ステージ別の認知発達治療
  ・太田ステージからみた予後の予測
  ・おわりに
 13.自閉症の疫学(畠中雄平)
  ・有病率と発生率
  ・現在までの自閉症の疫学研究とその問題点
  ・そして“自閉症は増えている”のか
 14.自閉症の神経基盤と脳機能(十一元三)
  ・神経基盤に関する直接的所見
  ・脳の活動状態に関する報告
  ・神経学的報告と臨床所見との対応
 15.自閉症の原因・発症過程と分子神経生物学―一因としての環境化学物質汚染(黒田洋一郎)
  ・自閉症の原因と発症過程
  ・環境化学物質による発達障害
  ・脳機能発達に重要な甲状腺ホルモン依存性遺伝子発現のPCB,水酸化PCBによる抑制
  ・神経回路形成(樹状突起伸展,シナプス形成)での甲状腺ホルモンの重要性と水酸化PCBによる阻害
  ・神経活動依存性の遺伝子発現の殺虫剤・農薬などによる阻害と複合汚染
  ・サルなどを用いた新しい行動学実験系の開発と化学物質の毒性検出
  ・自閉症など軽度発達障害の新しい原因仮説