やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

別冊・医学のあゆみ ARDSのすべて
はじめに――ARDS診療・研究のリファレンスブックとして

 Acute respiratory distress syndrome(ARDS)はわかりにくいという声をよく聞く.そもそもARDSがさまざまな基礎疾患に合併する共通の病態を示す症候群であるから独立した定義できっちりと線引きをすること自体無理があるのかもしれない.1967年にARDSの概念がはじめて記載されて以来,すでに40年近くの年月が経過し,この間,その概念をより明確にし,治療法の確立に結びつけようという努力がなされてきた.概念や定義の統一がなされていなければ,多施設による共同臨床試験は行えないし,治療に反応しやすいと思われるより早期症例をとらえることも必要であると考えられた.そこで,およそ10年前にAmerican-European Consensus Conference(AECC)が開かれ,とりあえずのコンセンサスによる定義が決められ,アメリカでは多施設によるランダマイズした臨床試験(RCT)を行うためのネットワーク組織が構築され,いくつかの成果が出て現在に至っている.
 しかし,このAECCの比較的シンプルな定義にもいろいろと混乱が多い.そのひとつは,ARDSの軽症例を含めて全体をacute lung injury(ALI)と包括して呼称し,その重症例のみをARDSとしたことである.同じ病態で重症度が異なるだけで,名称が変わってしまう疾患が他にあるであろうか.このためALIとARDSを包括して広義にARDSとよぶ人もいるし,丁寧にALI/ARDSあるいはARDS/ALIと記載する人もいて混乱を招いている.もともとALIとは,ARDSをはじめ,薬剤性肺傷害や放射線性肺傷害などを含む広い意味の肺の炎症病態を示す言葉であったのを,特定の病態を示すclinical entityに使ってしまったところにも問題があり,広義と狭義のALIとARDSがそれぞれ存在することが理解を複雑にしている.古くから慣れ親しんだARDSという概念をALIに置き換えず,軽症例をpreARDSとかmild ARDSとかよんでいればわかりやすかったかもしれない.
 また,概念や定義にも混乱がある.たとえば,両側性の重症肺炎であってもAECCの定義を満たせばARDSとして診断できる.細菌性肺炎も広範囲になれば炎症性メディエーターも放出され,血管透過性亢進型の肺水腫も多かれ少なかれ発生しているかもしれない.単なる肺炎かARDSを合併しているかは臨床的に鑑別困難である.しかし,明らかな肺炎を範囲が広いからといってARDSとよぶにはやや抵抗も残るという意見も多い.AECCの画像や酸素化能だけからの定義では,さまざまなheterogenousな病態の疾患をすべて含んでしまい,特定の病態にのみ作用するメディエーターに対する薬剤の効果を判定しようとしても,そのメディエーターの関与が薄い病態の疾患が多く混ざっていれば当然有効性は落ちてしまう.予後に大きな影響を及ぼす肺以外の臓器不全の有無も考慮されていない.
 治療に関しても混乱が多い.アメリカでは1980年代の大規模臨床試験によってARDSにステロイドが無効であると結論付けられて,急性期ではほとんど使用されていない.これに対して日本では,ARDSの急性期にステロイドを使用する場合が少なくない.アメリカの大規模臨床試験では,メチルプレドニゾロンを初日のみしか使用しないという投与法のみでの検討であるし,的確な抗生剤の使用がなされていたかどうかなど不明であり問題点が残る.最近になり,late phaseのステロイドが有効であるとか,少量のステロイドがseptic shockにおける循環動態を改善させることなどが報告されているが結論は出ていない.人工呼吸管理についてもまだまだcontroversyが多い.
 このようにざっとあげただけでもARDSに関するたくさんの混乱や問題点があり,臨床医の理解を難しくしている.疾患の性格上大規模なRCTが行いにくく,エビデンスの少ない領域であるが,これまでの知見を整理し,現時点におけるコンセンサスを確立し,問題点を明確にすることが,今後どのような研究が必要であるかを明らかにし,ARDSのよりよい診療を発展させるもとになると考えられる.このような観点から今回,内科,外科,麻酔科,集中治療科,小児科といったARDSにかかわるすべての領域からエキスパートの先生方に分担執筆をお願いし,現状におけるARDSのstate of artsをまとめていただいた.本書がARDSの診療あるいは研究におけるリファレンスブックとして活用され,お役に立てれば幸いである.また,ここで述べたようなARDS診療に関するさまざまな混乱や問題点を解決する第一歩として,わが国におけるARDSのコンセンサス・ガイドラインを作成するという動きがいくつかの学会によってあるが,そのような場合にも本書が情報ソースとして大いに役立つことを願う.
 2004年3月
 石井芳樹(協医科大学呼吸器・アレルギー内科)
別冊・医学のあゆみ ARDSのすべて/
ARDS――state of arts
Editor: Yoshiki ISHII

はじめに--ARDS診療・研究のリファレンスブックとして……石井芳樹

第1章 ARDSの概念と定義
 1.ARDSの概念と定義……金沢 実

第2章 ARDSの疫学
 2.ARDSの疫学……津島健司・久保惠嗣

第3章 ARDSの病態生理
 3.ARDS/ALIの病理:好中球-トロンビン-内皮細胞……川並汪一・金 恩京
 4.ARDSとエンドトキシン……武政聡浩
 5.ALI/ARDSとサイトカイン……斎藤史武・藤島清太郎
 6.ARDSと接着分子……西條亜利子
 7.ARDSとアポトーシス……桑野和善
 8.ARDSと活性酸素……粒来崇博・松瀬 健
 9.ARDSと一酸化窒素……戸部勇保・栂 博久
 10.ARDSにおける好中球エラスターゼの役割……石橋正義
 11.ARDSとアラキドン酸代謝産物……長瀬隆英
 12.ARDSと好中球……青柴和徹
 13.ARDS発症における肺胞マクロファージの役割……岩ア吉伸
 14.ARDSと血管透過性……石井芳樹
 15.ARDS/ALIと肺胞水分クリアランス……山縣俊之
 16.ARDSとサーファクタント……佐田 誠
 17.ARDSと血管凝固異常……田口 修・ガバザ・エステバン
 18.ARDSに伴う肺循環障害……巽 浩一郎
 19.外科侵襲後のARDSに伴う多臓器不全の病態……小野 聡・他
 20.ARDSと肺の線維化……西岡安彦・曽根三郎
 
第4章 ARDSの基礎疾患
 21.ARDS発症の基礎となる原因と病態--SIRSの概念……村田厚夫
 22.敗血症に伴うARDS……宮川博司・野口隆之
 23.肺炎とARDS……河合 伸
 24.手術侵襲に伴うARDS……小竹良文・武田純三
 25.外傷とARDS……池上敬一
 26.重症急性膵炎におけるALI/ARDS……広田昌彦・他
 27.大量輸血とARDS……山田稚子・他
 28.胃酸吸引とARDS……ア尾秀彰
 29.脂肪塞栓症候群……上田康晴・山本保博
 30.人工呼吸起因肺傷害……今中秀光
 31.化学物質吸入による急性肺水腫……布宮 伸
 32.溺水によるARDS――肺サーファクタント蛋白,KL-6からみた病態と治療……今泉 均・升田好樹
 33.神経原性肺水腫と神経性肺血管透過性調節……西脇公俊・島田康弘
 34.高地肺水腫……花岡正幸
 35.虚血-再潅流肺障害……星川 康・近藤 丘
 36.高濃度酸素による肺損傷……鈴木幸男
 37.パラコートによる肺損傷……篠崎正博
 38.小児におけるARDS……清水 浩
 39.ARDSの疾患感受性遺伝子――あらたな治療法開発に向けて……石井 誠・山口佳寿博

第5章 ARDSの診断
 40.ARDSの診断と重症度判定……新井正康・相馬一亥
 41.ARDSの画像診断――“white lung”からの糸口として:病理学的背景からの理解……一門和哉
 42.ARDSの呼吸機能……山田芳嗣
 43.ARDSの循環管理……西村匡司
 44.ARDSの鑑別診断……小倉高志・沼田万里
 45.ARDSの病態把握のための生化学的マーカー……田坂定智・石坂彰敏
 
第6章 ARDSの治療
ARDSの呼吸管理
 46.急性肺障害の人工呼吸管理……天谷文昌・橋本 悟
 47.肺理学療法--腹臥位換気を中心に……尾ア孝平
 48.Liquid ventilation……中川 聡
 49.体外式肺補助(ECLA)……寺崎秀則
 50.人工呼吸器関連肺炎の診断と治療……近藤康博・谷口博之
 51.ARDSにおけるNPPV……近藤康博・谷口博之
液浄化法
 52.PMMA膜hemofilterを用いた持続的血液濾過透析(PMMA-CHDF)……松田兼一・平澤博之
 53.PMX-DHP療法……津島健司・小泉知展
NO吸入療法
 54.一酸化窒素吸入療法……岡元和文
サーファクタント療法
 55.サーファクタント補充療法……尾原秀史・他
薬物療法
 56.ステロイド……谷口博之・長谷川隆一
 57.好中球エラスターゼ阻害薬……遠藤重厚・佐藤信博
 58.抗凝固薬剤による急性肺傷害の新しい治療戦略……岡嶋研二
 59.その他の薬物療法……長谷川直樹
支持療法
 60.栄養サポート……長谷部正晴
 61.輸液管理……小川 龍
将来の治療
 62.呼吸器疾患における遺伝子治療の今後の展望……大家宗彦・丸川征四郎
 63.再生医療の可能性……久保裕司
新薬開発治験の問題点と今後
 64.新薬開発治験の問題点と今後の課題……武澤 純

第7章 ARDSの予後
 65.ARDSの予後と予後予測因子……小林弘祐
 66.ARDSからの生還者にみられる後遺症……宮下晃一・石崎武志

●サイドメモ
 High mobility group box1(HMGB1)
 SIRS,CARS,MARSの概念
 アポトーシスとネクローシス
 Oxidant stress
 NOの吸入療法
 好中球エラスターゼ阻害薬の抗炎症作用
 敗血症性ARDSとNO
 水チャネルアクアポリン
 水チャネル(aquaporin:AQP)
 ARDSとSP-Bの遺伝子異常
 NO吸入療法
 活性化プロテインC
 SIRS・敗血症は重症患者の予後を予測しうるか?
 好中球のpriming
 抗HLA抗体
 Aspiration pneumonitisとaspiration pneumonia
 Two-hit(second attack)理論
 臨床的分類
 化学兵器
 肺サーファクタント蛋白とKL-6
 高地肺水腫と急性高山病スコア
 高圧酸素療法
 ARDS患者の長期予後
 ベッドサイドにおける換気力学指標の測定法
 CT画像による肺の局所含気状態の解析
 経気管支鏡的マイクロサンプリング(bronchoscopic microsampling)
 Permissive hypercapnia
 人工肺による生命維持法の歴史
 VAPに対して侵襲的検査を行う意義
 血漿膠質浸透圧(colloid osmotic pressure:COP)
 パルスアーク放電プラズマを利用したINO装置
 急性間質性肺炎
 カプサイシン感受性知覚神経
 Early mediatorとlate mediator
 免疫増強経腸栄養剤
 肺における骨髄由来細胞の分布
 NOの吸入はARDS治療に役立たない?
 Critical illness polyneuropathy