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脳梗塞超急性期─治療可能な時間帯

 国立循環器病センター内科脳血管部門 成冨博章

 脳卒中は永年にわたり医師,一般市民のいずれからも“いったんかかると治らない病気である”と考えられてきた.実際に1980年代までは急性期脳梗塞に対する積極的治療法は皆無に近く,全身管理,輸液,抗浮腫薬投与などが治療の大半を占めていた.脳梗塞患者の予後は発症したさいの閉塞血管部位,閉塞様式などによりだいたい決定されてしまい,治療によりその後の自然経過が大きく変えられることはほとんどなかったといってよい.
 このように脳梗塞の治療は永年にわたって不毛の状態を続けたが,脳梗塞の病態理解や診断技術は1970年代から1990年代にかけて急速に進歩した.1970年代には,実験的事実をもとに“虚血に陥った神経細胞は機能を停止しているが,その生命は数時間程度は保たれている”という,いわゆるイスケミックペナンブラ(ischemic penumbra)の概念が生まれた.この概念は発症後数時間以内の早期に血流を再開してやれば,または神経細胞を保護してやれば,脳梗塞を阻止できる可能性があることを意味しており,後の治療法発達を促すことになった点で意義が大きい.1970年代からはじまった脳梗塞診断技術の発達はめざましく,CT,MRI,diffusion MRIと,あらたな画像診断法がつぎつぎに登場し,これに伴って虚血病巣の描出は発症数時間後の早期まで可能となった.また,SPECT,PETの発達は早期における虚血部位の描出と血流定量化を可能とした.
 診断技術の発達に比べて大きく遅れをとっていた治療も,1990年代に入るとあらたな展開を示しはじめた.その口火を切ったのは遺伝子組換え型組織プラスミノーゲンアクチベータ(rt-PA)を用いた血栓溶解療法である.まず,1993年にわが国の多施設共同研究チームがrt-PA静注の脳梗塞治療における有用性を示し,その後アメリカNINDSの多施設共同研究チームがその臨床的有効性を立証した.アメリカの試験は発症後3時間以内の脳梗塞に対してrt-PA静注を行うものであったが,その結果,47%の例が機能障害がないか,またはきわめて軽度に終わるという良好な結果が得られた.これをきっかけにアメリカでは脳卒中治療に対する考え方の革命が起こり,“brain attack(脳梗塞)は早期に治療を行えば治癒が期待できる疾患である.発症したら緊急に専門病院を受診するように“というキャンペーンが繰り広げられた.Rt-PA静注の効果はヨーロッパにおいても二度にわたり検討され,“発症後6時間以内の脳梗塞のうち一定条件を満足する例では有効”という結果が得られている.わが国では脳梗塞に対する同薬投与はいまだ認可されていないが,現実にはかなりの施設で脳梗塞治療に使用されているという.しかし,血栓溶解療法はかならずしもrt-PAだけに依存する必要はない.わが国で古くから認可されているウロキナーゼであっても発症後3〜6後時間以内に超選択的動注した場合には劇的な改善がみられることが多く,現在わが国ではこれを使用している施設も少なくないようである.
 その他1990年代には超急性期脳梗塞に対する脳保護薬の臨床試験が多数行われようになり,また低体温療法も試みられるようになった.現在のところ脳保護薬のうち有効性を証明しえたものはなく,低体温療法もまだパイロット試験の段階にすぎない.しかし,脳保護療法は将来,血栓溶解療法と並ぶ重要な治療法になっていくのではないかと思われる.
 脳梗塞の治療が有効性を発揮するかどうかは,発症後の経過時間に大きく依存している.発症後3時間以内であれば有効性は大きく,3〜6時間後であってもまだ有効な可能性はある.しかし,発症後6時間以上経過すると虚血下神経細胞の多くがやがて死ぬべき状態に陥るので,この時期以後の治療は効果が乏しく,いわば敗戦処理投手のような意味しかもたなくなる.したがって,脳梗塞の治療においてもっとも重要なことは,患者が発症後ただちにしかるべき施設を受診することにあるといえるであろう.現実には脳梗塞患者が発症後6時間以内に病院を訪れるケースは少なく,著者らの施設では急性期例の約1/3程度がこの時間内に来院するにすぎない.わが国でもアメリカと同様なキャンペーンが必要であり,また同時に患者がただちに近隣の専門施設を受診できるような医療システムづくりが必要であると思われる.ついで重要なことは,脳卒中診療に長けた医師と十分な機器を備えた施設を各地域で充実させることである.患者がどのように早く来院しても与えられた時間はせいぜい6時間しかない.この間にすくなくとも脳梗塞であるかどうか,そのうちのどの病型であるか,閉塞血管部位はどこであるか,CT画像上脳梗塞の早期徴候が認められるかどうかなどを正確に診断し,治療を選択しなければならない.これらを誤ってむやみに血栓溶解療法を行うと,むしろ有害な結果を招くことも多い.数時間内の診断と治療選択が患者の予後を大きく左右し,一生寝たきりになるか独歩退院して社会復帰するかを決定してしまうことも多いだけに,脳卒中診療医の責任は重大であり,高度の診断能力と知識をもつことが要求される.
 本特集では,脳梗塞超急性期の病態・診断・治療の諸問題を取り上げ,現在第一線で活躍中の専門家諸氏にその詳細を述べていただくことにした.本特集が今後の脳梗塞診療向上に役立つことを願うものである.
脳梗塞超急性期―治療可能な時間帯 成冨博章
 ■超急性期の病態

1.虚血性神経細胞死の機序 大槻俊輔・松本昌泰
The Long and winding roads to ischemic neuronal death
 ■グルタミン酸・カルシウム神経毒性
 ■活性酸素毒性
 ■アポトーシスと虚血耐性
2.ペナンブラとは 金 浩澤
What's the penumbra?
 ■ペナンブラにおける脳循環動態
 ■ペナンブラにおける脳酸素代謝とグルコース代謝
 ■動物実験からみたtherapeutic time window
 ■ペナンブラの検出
3.脳虚血と高体温・低体温 目々澤 肇
Strategy with hyper-and hypothermia on the cerebral ischemia
 ■体温中枢と脳虚血
 ■高体温による虚血時の細胞障害増悪作用
 ■低体温の虚血保護作用
 ■局所脳低温の可能性
 ■解熱剤による低体温
4.脳虚血と微小循環障害 棚橋紀夫
Microcirculatory disturbance in cerebral ischemia
 ■脳虚血後の微小循環障害に影響を及ぼす因子
 ■白血球の役割
 ■血小板・トロンビンの役割
 ■脳虚血急性期の微小循環障害に対する対策
 ■診断
5.脳梗塞のearly CT sign 橋本洋一郎・平野照之
Early CT sign in acute ischemic stroke
 ■脳卒中患者に対する対応システム
 ■hyperdense MCA sign(dense MCA sign)
 ■early parenchymatous CT sign
6.Diffusion MRI高信号の意味するもの 田中忠蔵
Evaluation of high intensity region using diffusion-weighted images Diffusion MRI
 ■拡散強調画像でみられる高信号
 ■拡散強調画像でみられる高信号の経時変化
7.頸部ドプラ・経頭蓋ドプラによる脳梗塞急性期の治療戦略 荒川修治・岡田 靖
Therapeutic strategy for hyperacute ischemic stroke with ultrasonographic techniques
 ■頸部ドプラ
 ■経頭蓋ドプラ
8.微小塞栓信号の臨床的意義 長束一行
Clinical significance of microembolic signal
 ■MESの定義・検出法
 ■頸動脈病変を有する場合
 ■心原性脳塞栓―人工弁置換例を除く
 ■人工弁置換例
 ■補助人工心臓装着例
 ■MESの組織性状診断
9.Brain attackの脳血流SPECT 畑澤 順
Brain attack evaluated by SPECT
 ■脳血流SPECT検査の適応
 ■脳血流SPECT検査の実際
 ■虚血病巣の存在診断
 ■虚血の部位診断
 ■脳梗塞の発生機序と脳血流SPECT
 ■虚血の重症度
 ■血栓溶解療法後の出血性梗塞
 ■脳血流SPECTによる超急性期血栓溶解療法の適応症例の選択
10.脳梗塞急性期における臨床病型の鑑別 高嶋修太郎
The differential diagnosis of clinical disorders in the acute phase of cerebral ischemia
 ■脳梗塞の機序と臨床病型の鑑別法
 ■ラクナ梗塞の診断のポイント
 ■心原性脳塞栓症の診断のポイント
 ■アテローム血栓性梗塞の特徴
 ■TIAの意義と鑑別診断
 ■治療
11.脳卒中救急体制―発症から来院までを中心に 古賀政利・他
Stroke,a medical emergency
 ■欧米での急性期脳卒中診療の現状
 ■わが国の現状
 ■大阪府北部地区の急性期脳卒中診療体制
 ■問題点と今後の展望
12.Therapeutic time windowとは 野川 茂
Therapeutic time window
 ■脳虚血の病態生理
 ■therapeutic time windowの概念
 ■臨床におけるtherapeutic time windowの意義
13.Stroke care unit(SCU)の意義 長田 乾
Benefits of stroke care unit(SCU)
 ■SCUの理念とその意義
 ■SCUにおける診療体制
 ■秋田県立脳血管研究センターにおけるSCU
 ■チーム医療としてのSCU
 SCUによって治療成績は改善するか
14.脳卒中専門医は必要か 宮下光太郎
Necessity of the stroke specialist(strokologist)
 ■脳卒中学の提唱
 ■脳卒中専門医の必要性
 ■脳卒中専門医の育成
15.血圧管理をどうするか 井上 剛・井林雪郎
Management of blood pressure in patients with acute brain infarction
 ■血圧管理をどうするか
 ■高血圧と脳梗塞
 ■脳梗塞急性期の高血圧
 ■血圧管理法
 ■降圧薬の投与
16.抗脳浮腫療法―現状と展望 小原克之
Treatment of brain edema
 ■脳浮腫の病態
 ■脳浮腫の診断
 ■脳浮腫の治療
17.血栓性脳梗塞と抗血小板療法 内山真一郎
Thrombotic cerebral infarction and antiplatelet therapy
 ■抗血小板療法の理論的根拠
 ■抗血小板療法の有効性
 ■適応の決定
 ■今後の展望
18.急性期脳梗塞におけるヘパリン治療 高木 誠
Heparin treatment in acute ischemic stroke
 ■ヘパリン関連薬の種類と作用
 ■おもなRCTの結果とその問題点
 ■ヘパリン治療の適応と問題点
19.血栓溶解療法(静脈内)の最近の考え方 米田行宏・森 悦朗
Intravenous thrombolysis for acute ischemic stroke
 ■血栓溶解療法と血栓溶解薬
 ■脳梗塞に対する血栓溶解療法のL用性
 ■血栓溶解療法の課題
20.閉塞性脳血管病変に対する血管内治療の進歩 坂井信幸
Recent advancement of local fibrinolytic tharapy and angioplasty
 ■急性期局所線溶療法
 ■血管形成術,ステント留置術
21.心原性脳塞栓症超急性期における低体温療法 山脇健盛
Mild hypothermia in the treatment of acute cardioembolic stroke
 ■低体温療法の背景
 ■低体温療法の実際
 ■症例呈示
 ■低体温療法の効果と意義
 ■低体温療法の展望
22.脳保護薬―その現状と展望 畑 隆志
Pharmacologic modification of acute cerebral ischemia
 ■脳虚血急性期の治療戦略とグルタミン酸-カルシウム仮説

サイドメモ
 塞栓子による中大脳動脈閉塞モデル
 灰白質と白質
 超高速撮影法としてのエコープラナー法
 Transcranical Dopper(TCD)
 脳SPECT-最近の進歩
 Ischemic penumbraの定義
 脳卒中議員対策懇談会
 血栓溶解療法後の頭蓋内出血と高血圧
 間質性浮腫
 ずり応力による血小板凝集
 アルガトロバン
 血栓溶解療法と脳卒中救急
 プロテクティブデバイス
 低体温療法の歴史と低温の程度