やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 世界保健機関(WHO)が,「アルマ・アタ宣言」で世界加盟各国に対して伝統医学を現代医療の一環として積極的に取り上げるように勧告して以来,各国では現代医学の枠組みを通して鍼灸,漢方薬(中薬)などの東洋的療法の応用を検討し,そのメカニズムの解明に取り組むようになった.現在,150か国以上の国々で鍼治療が行われているという実態を踏まえて考察すると,鍼灸などの東洋的療法が全人類の共通の財産となり,世界に通用する普遍的治療手段になったといえる.
 最先端の医療技術を誇る欧米先進諸国では,東洋医学,相補・代替医療(complementary and alternative medicine;CAM)への関心が急速に高まり,国を挙げてその科学化と医療分野への応用を推進している.
 米国における相補・代替医療発展の推移を表1に示す.
 米国国立衛生研究所(NIH)は,国立相補・代替医療センター(NCCAM)を創設し,ハーバード大,コロンビア大,スタンフォード大等の有名大学に委託してこの分野の研究を本格的に開始した.また,全米の医科大学,医学部で相補・代替医療の講座を開設するよう提言し,現在,多くの大学で東洋医学,相補・代替医療の教育が行われている.
 その背景要因を表2に示す.
 (1)疾病構造の変化に対応できる:第1の要因は病気の地図が変わったことにある.昔は天然痘,赤痢,コレラなどの細菌感染で死ぬことが多かったが,これらの病気は時代とともに減少し,現代では生活習慣病が増えてきた.生活習慣病とは,日常生活の仕方,つまりライフスタイルに問題があって起こる病気をいう.代表的病気として肥満症,動脈硬化症,高血圧症,がん,心臓病,脳卒中などがある.これらの病気は一度発病するとこれまでの西洋医学の治療では十分な治癒が望めない.
 (2)未病治療(一次予防)が時代の要請:この問題解決の方法として未病治療(一次予防)が重視されるようになったということである.生活習慣病は長い間の生活習慣にひずみがあって徐々に起こるため,病気になってからあわてて治療しようとしても手遅れであり,完全な治癒は望めない.この病気を治癒するもっともよい方法は,病気にならないよう予防することである.このことを東洋医学の古典では「治未病(未病治療)」,西洋医学では一次予防という.未病治療とは,病気になる前の機能的ひずみの段階で速やかに治療すれば発病を防ぎ,健康を回復させることができることをいう.未病治療,一次予防は,養生や健康増進が中心であるから,西洋医学が得意とする領域ではない.生活習慣病にならないようにするのは未病治療しかないというのが世界の医学専門家の共通の見解である.このことを「未病治療は時代の要請」といった.
 (3)症状の緩和と機能調節に優れた治療方法であり,副作用がない:東洋医学を含む相補・代替医療は未病治療に最適の手段であり,その治療実績を豊富にもっているということである.とくに東洋医学は症状を和らげたり,心身機能のひずみを整えたり,自然治癒力を高めるのに優れた治療法であり,副作用がほとんどない.
 (4)経済的効果が期待できる:1回の治療費が安く,国民が鍼を含む相補・代替医療を受けると,西洋医学の医療費を使わなくてすむので,医療費の支出を抑えることができる.これを経済効果といっている.各国の政府が相補・代替医療の普及に力を入れる理由もここにあるといわれている.
 現在,世界の医療界がもっとも求めているのは,東洋医学,相補・代替医療の科学化,客観化であり,西洋医学,東洋医学,相補・代替医療を融合した統合医療の発展である.
 本書は,著者が東京教育大学理療科,筑波大学大学院心身障害学系,明治鍼灸大学,国際伝統医学理論研究所,鈴鹿医療科学大学鍼灸学部に所属し活動した約40年間の教育・研究業績のなかから,国内および国外(中国・米国・欧州連合)の国際学会で発表し,学者,研究者,臨床家から高い評価を受けた論文を選び編成した.
 著者が大学在職中は,きわめて優秀な愛弟子に恵まれ,森構想による「東洋医学の科学化・客観化」の研究を大いに発展させることができた.
 本書の上梓にあたって,多大のご協力をいただいた共同研究者の氏名,肩書きを巻頭に掲げ,心から厚くお礼を申し上げる.
 また,中国中医薬学の立場からご指導をいただいた●(ひとやねに示) 靖 世界中医薬学会聯合会会長・元中国衛生部副大臣,ケ良月 世界針灸学会聯合会会長,沈志祥 世界針灸学会聯合会秘書長に深い感謝を捧げる.
 2014年6月
 著者
第1章 東洋医学への学際的,科学的アプローチ
 1.東西医学の特質
 2.科学化・客観化の定義
 3.科学化の方法論
 4.まとめ
第2章 東洋医学古典概念の科学化
 1.気の科学化
  (1)東洋医学の気の理論
  (2)音声の解析法
  (3)研究対象・方法
  (4)心身症患者の声紋分析
  (5)まとめ
 2.整体観念(天人相応理論)の科学化
  (1)対象・方法
  (2)成績と考察
  (3)まとめ
 3.補瀉手技
  (1)対象・方法
  (2)成績と考察
  (3)まとめ
 4.得気(鍼のひびき)
  (1)対象・方法
  (2)成績と考察
  (3)まとめ
 5.お血
  (1)対象・方法
  (2)成績と考察
  (3)まとめ
第3章 東洋医学診断法の科学化
 1.望診法
  (1)望診過程の解析
  (2)皮膚色沢の客観化
  (3)体形・体質の客観化
  (4)舌診の客観化
  (5)まとめ
 2.聞診法
  (1)聞診過程の解析
  (2)聴覚と音声
  (3)東洋医学「音声」のパターン認識
  (4)サウンドスペクトログラフの東洋医学的応用
  (5)聞診(音声)客観化のフローチャート
  (6)未病医学への音声学的アプローチ
  (7)まとめ
 3.切診法
  (1)切診過程の解析
  (2)SD法を応用した脈診の構造分析
  (3)切診(脈診)客観化のフローチャート
  (4)まとめ
第4章 証の科学化
 1.鍼灸医学「証」の科学化
  (1)経病証(十二経脈の循行と症候)の多変量解析
  (2)鍼灸医学「証」の理論モデル
  (3)画像工学的アプローチによる経絡・経穴現象のイメージ化
第5章 東洋医学,相補・代替医療,統合医療に共通する治癒原理―「治神」の科学化
 1.脳波トポグラム,ポジトロンCT(PET)からみた鍼の効果
  (1)対象・方法
  (2)成績と考察
 2.多変量解析法を応用した「治神」の理論的解明
  (1)対象・方法
  (2)成績と考察
 3.中国のハリ麻酔
  (1)ハリ麻酔の定義
  (2)ハリ麻酔の方法
  (3)ハリ麻酔の基礎的研究
 4.気功のストレス緩和の効果
  (1)対象・方法
  (2)成績と考察
  (3)結論
 5.ハンドヒーリングの客観化
 6.宗教的治癒の根本原理
  (1)信念・期待の医学的効果
  (2)祈りの医学的効果
 7.まとめ
第6章 鍼灸治効の科学化
 1. 鍼灸医学への核医学的アプローチ―鍼灸刺激の肝機能・心機能・腎機能に及ぼす効果
  (1)鍼灸医学における核医学応用の意義
  (2)鍼灸刺激の肝機能,心機能,腎機能に及ぼす効果
  (3)まとめ
 2.鍼灸医学への時間生物学的アプローチ―時間療法としての鍼
  (1)血中ホルモンのサーカディアンリズムに関する研究
  (2)時間療法としての鍼に関する研究
  (3)まとめ
第7章 鍼灸医学教育の科学化
 1.鍼灸医学の基本構造
 2.統合医療としての鍼灸医学
 3.現代医学系鍼灸―日常臨床で遭遇しやすい鍼灸適応症
  (1)鍼灸療法の特色
  (2)現代医学系鍼灸における鍼灸の適応症
 4.東洋医学系鍼灸―高齢者医療における養生鍼灸の有用性
  (1)養生鍼灸の基本構造
  (2)養生鍼灸への科学的アプローチ
 5.獣医鍼灸への科学的アプローチ
  (1)獣医鍼灸の基本構造
  (2)鍼通電療法(電針療法)の要因分析
  (3)小動物臨床におけるハリ麻酔
  (4)鍼通電刺激時の生体反応
  (5)獣医鍼灸の将来展望
第8章 統合医療の科学的評価法の開発および臨床指針作成―調査研究の趣旨・概要・成果の総説
 1.調査研究の実例 【プログラム名】:科学技術政策に必要な調査研究
  (1)調査研究の趣旨
  (2)調査研究の概要
  (3)調査研究成果の総説

 巻末付録 現代医学系鍼灸の実際
 主な文献
 索引