やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 看護学生の頃,私には,将来看護師として働くことへの期待と,一抹の不安がありました.それは,「医療事故を起こしてしまったらどうしよう」というものでした.時は,1999(平成11)年から2000(平成12)年頃,比較的大きな医療事故が続けざまに起きていた時代でした.世間では,医療への不信感も高まり,医療訴訟の件数も増えていきました.
 しかしながら,世の中がどのような状況にあろうと,臨床現場には,患者さんの健康維持・回復を目指して忙しく働く看護職がいます.医療事故への漠然とした不安を抱えながらも,日々,目の前の患者さんのために全力を尽くし働いています.私は,そのような看護職の姿を目の当たりにして,仮に,医療事故が発生し,その責任が看護師に問われるようなことがあった時に,「最後まで看護師に寄り添う存在になりたい」と思い,弁護士を志しました.
 そして弁護士になり,臨床現場で起きるさまざまな法律問題について取り組んでいますが,そのなかで,自身が看護師だった時に知っておけばよかったと思うことが多々あります.
 たとえば,医療事故が発生したからといって必ずしも医療者に法的責任が発生するわけではないことや,裁判において看護記録がとても重視されていることなどです.
 そこで,本書では,看護職の皆さんが抱える医療事故や紛争などへの漠然とした不安を法的観点から解消することを目的として,医療事故発生時の看護職の法的責任やその内容,紛争の場面における看護記録の重要性などについてお伝えしていきたいと思います.また,それらの知識を前提に,裁判例をもとにした事例を検討し,適切な看護ケア・看護記録について考えていきます.
 2021(令和3)年の現在,私たちは新型コロナウイルス感染症の蔓延により,今まで経験したことのない事態に直面しています.このような中で,看護職をはじめとする医療者は,日々刻々と変化する状況に対処しながら,前例がないことにも対応し続けなければなりません.
 もっとも,このような有事においても,看護師の基本的な注意義務の内容は変わりません.今ある状況を前提として,適切に危険な結果の発生を予測し,その結果の発生を回避することが重要だと考えています(この考え方については,第1章で解説します).
 過酷な状況の中でも,真摯に職責を果たし,大切な命を守ってくださっている皆さまに心からの敬意と感謝を表するとともに,本書が少しでも皆さまのお役に立つものになることを祈っています.
 最後になりましたが,本書の果たすべき役割を評価し,根気強く発行に向けて尽力をしてくださった医歯薬出版編集部に心から感謝申し上げます.
 友納理緒
 はじめに
 本書掲載の裁判例について
第1章 看護師として知っておきたい法的知識
 1 もし医療事故が発生したら―看護師が負う可能性がある法的責任
  「医療事故=法的責任の発生」ではない
  看護師が負う可能性がある3つの法的責任
  民事責任
  刑事責任
  行政処分
  おわりに
 2 看護業務における「過失」(注意義務違反)とは?
  看護業務における「過失」
  注意義務を果たすためには「アセスメント」が不可欠
 3 看護師の過失の有無の判断基準となる「看護水準」
  最善の医療・看護とは?
  「看護水準」とは?
  看護水準はどのように判断されるのか
  過失の有無の判断において重要な「看護記録」
 第1章のまとめ
第2章 看護師の業務を確認しましょう
 1 保健師助産師看護師法で規定されている看護師の業務
  看護師の2つの業務―「療養上の世話」「診療の補助」
  看護師の業務独占
 2 療養上の世話
  「療養上の世話」とは?
  具体的な業務内容
  実施にあたっての医師の指示の要否
 3 診療の補助
  「診療の補助」とは?
  具体的な業務内容
  実施にあたっての医師の指示の要否
 第2章のまとめ
第3章 看護記録はなぜ重要なのか
 1 「看護記録」とは?
  看護記録の定義
  看護記録の目的
  看護記録の重要な役割
  看護記録の様式
  看護記録の法的根拠
 2 裁判において看護記録が重視される理由
  裁判で看護記録がなぜ重視されるのか
  看護記録についての裁判所の見解
 3 看護記録が役立った裁判例
  看護記録によって,「予見できなかった事故」と認められた事例
  「異常がないから記録しない」ではなく「異常がないこと」を記載しましょう
  看護記録が重視される2つの理由
 4 裁判で問題となった看護記録
  看護記録に記載がない,もしくは記載が不十分
  看護記録に改ざんがある,もしくは改ざんが疑われる
  看護記録と他の記録の内容に不一致がある
  事実が客観的に記録されていない
  その他―電子カルテ特有の問題
  おわりに
 第3章のまとめ
第4章 裁判例から考える適切な看護ケアと看護記録
 第4章の構成
 1 転倒に関する裁判例
  深夜の転倒事故 予測はできたか
  患者さんが付き添いを拒絶 それでも看護師に責任はあるか
  転倒事故発生 見守りは十分だったか
 2 転落に関する裁判例
  転落事故発生 ベッド柵は設置されていたか
  転落事故発生 入院時のアセスメントや事故後の対応は適切だったか
 3 身体抑制に関する裁判例
  身体抑制(身体拘束)に関する法律を確認しておきましょう
  身体抑制が許される場合とは?
  転落事故発生 身体抑制をすべきだったか
 4 褥瘡に関する裁判例
  「記録はないけれど,実際はしていました」は認められるのか
  「看護師数が限られていること」は
  2時間ごとの体位変換ができない理由になるのか
  看護計画はあるけれど作りっぱなし その影響は?
 5 誤嚥に関する裁判例
  おにぎりで誤嚥事故発生 見守りは適切だったか
  蒸しパンで誤嚥事故発生 意識障害がある患者さんへの適切な対策とは?
 6 注射に関する裁判例
  注射による神経損傷 神経の走行部位は予測できたか
  注射による神経損傷 手技は適切だったか
 7 術後の経過観察に関する裁判例
  術後の経過観察 医師からの指示がなければ報告は不要か
  術後の経過観察 医師は看護師にどのくらい具体的な指示をすべきか
 8 アラームへの対応に関する裁判例
  「アラーム音に気づかなかった」は認められるのか
 9 看護師の説明義務違反に関する裁判例
  「何かあったらナースコールを押すこと」で説明は十分か
 第4章のまとめ
第5章 あなたの看護記録をチェックしてみましょう
 1 よい看護記録・わるい看護記録
  「よい看護記録」7つのポイント
  「わるい看護記録」7つのパターン
 2 医療事故発生時の記録のポイント
  医療事故発生時に記録すべき内容
  医療事故発生時の記録の記載方法とポイント
 第5章のまとめ

 看護記録チェックリスト
 医療事故発生時の看護記録チェックリスト
 場面別 看護ケア・看護記録のポイント早見表

 もっと詳しく
  (1)債務不履行責任と不法行為責任
  (2)期限を伝えることの重要性
  (3)診療情報の開示に関する改正個人情報保護法上の注意点
  (4)相対的医行為と絶対的医行為
  (5)特定行為に係る看護師の研修制度の創設
  (6)「看護記録に関する指針」を確認しておきましょう
  (7)看護師をめぐる法律
  (8)正確な証言のためにも看護記録は不可欠
  (9)医療事故発生時の「適時の記録」

 Column
  1 看護水準とガイドライン
  2 医師からの不明瞭な指示・誤った指示への対応
  3 ナースプラクティショナー制度
  4 看護記録の改ざんによって負う可能性のある刑事責任
  5 看護補助者が看護記録を記載できるか
  6 患者さんが書いたメモや日記の「証拠」としての価値
  7 多忙な臨床現場で,「異常がないこと」をどこまで記録するか
  8 その画面,目の前の患者さんのカルテ画面ですか?
  9 身体抑制は「療養上の世話」か,それとも「診療の補助」か
  10 誤嚥事故に関する最近の裁判例から学ぶ―「多職種間の情報共有」の重要性
  11 インフォームド・コンセントでは十分な「説明」と「同意」が重要
  12 医師から患者さんへの説明の場に看護師が同席した場合の記録の注意点
  13 患者さんからの暴力・ハラスメントへの対応
  14 医療事故発生時の謝罪

 索引