やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 「手術室には看護がない」
 そう言って手術室を去る看護師たちのことを耳にするにつけ,それならば看護師は手術室に必要ないのかもしれないなと逆説的な思いを抱きつつ,第一線で活躍する手術室の看護師たちと関わるようになった.すると,その思いは瞬く間に消し去られた.実際の現場では患者の身体的な側面だけでなく,心理的なケアをしようと努力する看護師たちばかりだったからである.一方で,看護実践の参考にできる周術期看護の本には精神的・心理的ケアを中心にしたものはほとんど見当たらなかった.手術という治療は生体への侵襲が大きく,看護師にとっても身体的なケアに関する知識を持つことは何より優先されるからだろう.また実際,手術室では,多くの患者は全身麻酔下で眠っており,手術が終わったら集中治療室や病室へ帰っていく.心理的な支援をしようと思ってはいても,その中で看護師が患者と言葉を交せる時間はごくわずかな時間しかない.そのような特徴から,学生時代にベッドサイドケアを中心に看護を学んだ看護師が「看護がない」と感じてしまうのも致し方ないのかもしれない.
 とりわけ最近の周術期医療においては,手術前日・当日入院,数日後に退院ということもめずらしくない.患者は手術治療を選択したときから手術を終えて退院するまでを,あっという間に駆け抜けていく.医療者にしてみれば準備に追われて忙しいあっという間ではあるが,その間の,患者の苦痛,不安,戸惑い,そして喜びなど心模様の変化の大きさは計り知れない.患者はその中で医療者と様々な関わりを持つが,人生上の危機を乗り越えるための伴走者となるはずの医療者たちに,患者がじっくりと気持ちを話すことは容易ではない.だが,この状況が手術室看護師の看護活動を広め,推し進めることにつながることに気づいた.患者が手術を選択した時から,外来,術前,術中,術後にタイムリーにかかわれるのは手術室看護師であり,患者にとって心身ともに重要なケアの担い手となっているからである.
 それならなおさら患者・家族の心理を理解したうえで,より質の高い看護を目指す必要がある.そんな思いがこの本を作る原動力となり,書名も「こころに寄り添う手術看護」とした.本書の前半では,患者の心理や不安の本質にせまり,コミュニケーションのための方法を呈示した.後半では多くの事例*を基に,からだもこころも支える看護実践とはどのようなものか,具体的な支援について考えていく.
 本書は,手術室看護師の看護を中心に著しているが,めまぐるしく変化を続ける周術期看護に携わっている看護職および看護職を目指す学生諸氏に読んでいただき,今,そしてこれからの周術期看護を深め,発展させてくれることを願っている.
 2014年9月 編者

 * 4章で紹介されている看護実践事例は,患者個人が特定されないように配慮して加工したものである.ただし,患者の承諾を得たものは事実を記載している.
序章 手術を受ける患者・家族の心理の理解のために
 (土藏愛子)
 1.手術を受ける患者・家族を取り巻く環境
 2.「不安」という表現で語られる手術患者・家族の心理
 3.周術期の流れと患者・家族の心理の移り変わり
 4.手術室看護師の手術を受ける患者・家族の心理の理解の重要性
第1章 手術を受ける患者・家族の心理
 (土藏愛子)
 1.手術を受ける患者・家族のさまざまな思い
  1)手術を受ける患者の思い
  2)手術を受ける患者の家族の思い
 2.手術患者・家族の心理に関する理論・モデル
  1)ストレス理論
  2)ストレス・コーピング理論から考える手術患者・家族の心理
  3)危機理論
 3.手術を受ける患者・家族の意思決定のプロセスと医療者の対応
  1)術前患者の意思決定
  2)術後の患者の手術回復と意思決定
  3)家族・キーパーソンの意思決定に及ぼす影響
第2章 不安の哲学的考察
 (丹木博一)
 はじめに
 1.不安になるということは人間にとって何を意味するのか
  1)感情は世界と自己の成り立ちを示す独自の知である
  2)感情は自己が自分にとっての重荷であることを告げ知らせる
  3)恐怖の底には不安がある
  4)不安は世界の様相に根本的な変化をもたらし,自己自身へと向き合わせる根本気分である
 2.不安という気分は何を明らかにし,何を隠すのか
  1)不安はパトス的生成のうちにある人間の有限性を自覚させる
  2)不安は自身の宿命を自覚させ,可能性への賭けへと促す
  3)重度の不安は安全保障感を喪失させるがゆえに,対処のため別のものに置き換わることがある
 3.不安は何を不可能にしてしまうのか
  1)不安は独自の体感を伴い,世界のうちに存在することを困難にさせる
  2)不安は自己の形成と維持を可能にするその裏面で,自己を解体させる危険をはらむ
 4.不安を抱いた手術患者に対するケアはいかにして可能か
  1)適切なケアのためには,生物医学的身体モデルでは不十分であり,身体知への配慮が求められる
  2)患者が身体知を再獲得できるようにサポートすることが重要である
 おわりに
第3章 手術を受ける患者の不安への援助の基本
 (草柳かほる)
 1.手術を受ける患者とのコミュニケーション
 2.コミュニケーションと援助的人間関係
  1)コミュニケーションとは
  2)対人コミュニケーションと医療の場
  3)手術を受ける患者とのコミュニケーションの重要性
 3.コミュニケーションの基礎知識
  1)コミュニケーションの構成要素
  2)コミュニケーションの伝達手段
 4.コミュニケーション技術
  1)コミュニケーションにおける基本的姿勢
  2)面接技法(コミュニケーション技法)
  3)タッチング
  4)患者理解と患者の安全を守るためのコミュニケーション技術
 5.手術を受ける患者の不安へのかかわり
  1)周術期における患者とのコミュニケーション
  2)手術当日のかかわり
 6.まとめ
第4章 事例から考える周術期患者の心理
 1.緊急心臓手術を受ける患者(荒木田真子)
  1.事例紹介
  2.患者へのかかわり
  3.事例から考える手術を受ける患者・家族の心理
  4.まとめ
 2.小児の手術患者と家族(こどもの心理的準備,親の心理)(古賀里恵)
  1.事例紹介
  2.患者へのかかわり
  3.事例から考える手術を受ける患者・家族の心理
  4.まとめ
 3.過去に手術経験がある患者(前回の手術経験が及ぼす心理的影響)(貝沼 純)
  1.事例紹介
  2.患者へのかかわり
  3.事例から考える手術を受ける患者・家族の心理
  4.まとめ
 4.高齢で手術を受ける患者(飯塚真理子)
  1.事例紹介
  2.患者へのかかわり
  3.事例から考える手術を受ける高齢者や支える家族の心理
  4.まとめ
 5.がん宣告を受けた患者(山田健司)
  1.事例紹介
  2.患者へのかかわり
  3.事例から考える手術を受ける患者・家族の心理
  4.まとめ
 6.医療への厚い信頼のもとに手術を受けた患者(分倉千鶴子)
  1.事例紹介
  2.患者へのかかわり
  3.事例から考える手術を受ける患者の心理
  4.まとめ
 7.移植手術を受ける患者(一法師久美子)
  1.事例紹介
  2.患者へのかかわり
  3.事例から考える手術を受ける患者・家族の心理
  4.まとめ
 8.意思を委託する患者(徳山 薫)
  1.事例紹介
  2.患者へのかかわり
  3.事例から考える手術を受ける患者・家族の心理
  4.まとめ
 9.局所麻酔で手術を受ける患者(土藏愛子)
  1.事例紹介
  2.患者へのかかわり
  3.事例から考える手術を受ける患者の心理
  4.まとめ