やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 この本は,私たち医療者が糖尿病診療に対する自分の思いを大きく揺さぶられた体験を綴った物語を集めたものです.どうして物語なのでしょう?物語にはたくさんのことを伝え,気づかせる力があるからです.事実,物語による伝承は人類最古の教育手段の一つでした.はるか昔の時代から,私たちは物語に耳を傾けることによって他者の行動と体験を自己の人生に活かしてきたのです.
 物語を通して,私たちはお互いの記憶と体験を分かち合います.物語によって広がる共感の輪が,同じ世界に生まれながら違う運命の力に身をゆだねてきた他者をよりよく理解する手助けとなるのです.このことはまさしく,慢性の病とともに生きる術を探す人々を援助するうえで不可欠な要素になります.物語にはまた,私たちが何を大切にすべきかを明らかにし,本当にそれを大切にしているかを確かめさせる働きもあるでしょう.物語を伝えることは自分が置かれた状況を表現する最も大切な方法です.物語によってこの世界とそこに暮らす人々との絆を感じることがなければ,私たちは自分が誰なのか,そして自分の存在が何なのか,わからなくなってしまうに違いありません.
 ここに収めた物語は,糖尿病の診療に携わるさまざまな職種の医療関係者から寄せられた手記です.有名無名を問わず,自分自身を見つめ直し,糖尿病診療のあり方を考え,そして患者さんに対する思いを形づくるきっかけとなった忘れがたい体験を熱く伝えています.
 ぜひ,ここに収められた物語に耳を傾けてみてください.そうすることが,これまでのあなたと患者さんとの関係を振り返り,患者さんとどのようなかかわり方をしているのかを考えるきっかけになれば幸いです.また,本書の物語のなかの体験をあなた自身の日々の実践に活かし,患者さんたちがいかに私たちの生き方に影響を与え,私たちの人生をより豊かなものにしてくれているかを実感していただければ何よりです.
 私たちはこれまで何年もの間,患者さんの役に立てればとたくさんの専門知識や問題解決の方法,教育法を学んできました.自分では解決できない問題を抱えて私たちを頼ってくる患者さんの手助けをすることに私たちは情熱を燃やしています.患者さんの役に立てることが,私たちの誇りであり,やりがいでもあるのです.しかし,患者さんの話に耳を傾けさえすれば,そう,心の底から耳を傾けさえすれば,患者さんもまた専門家であり,自ら答えを見つける力をもち,私たちにさまざまなことを教えてくれる存在でもあることに気がつくはずです.そして私たちが患者さんを師とすることができるようになれば,はじめは知識しかもたなかった私たちが,やがていつの日にか,かけがえのない知恵を手にしていることに気づくことでしょう.
 デービッド・G・マレッロ
 ロバート・アンダーソン
 マーサ・M・ファンネル
 メリンダ・D・メリニューク

監訳のことば
 糖尿病の療養支援についてはひとつの形ができつつあると思われる.そこに導入された概念は,双方向性,自律性支援,積極的参加,尊重,対等などであり,要するにひととひとの関わり方を示すものである.
 一方,サイエンスとしての医学はできるだけ関わりによる作用を排除することによって発展してきた.それが科学の基本となる客観性/普遍性という要素である.誰がやっても同じ結果を再現できることが基本なのである.
 ところが,ひとを相手にしているとそうならないことがたくさんある.つまり,誰が担当しているか,どのような関係にあるか,どう話したかが治療結果に影響するということである.
 このことは糖尿病分野に限らず医療全般に通じるが,特に糖尿病のように療養の大部分が患者さんの考えと日常の行動に委ねられている疾患では重要である.
 本書には,医療者が患者さんとの関わり方の重要性に気づいたきっかけが紹介されている.それらは個別的な話で,まったく同じ話はふたつとない.しかし,患者さんへの関心を持ち続けたという事実は共通している.
 「尋ねること」によって気づき,援助の方向が変わりうることを本書は教えてくれる.しかしそれは,やっとスタートに着いたところだという認識も必要であろう.糖尿病(者)との付き合いは長いのだ.
 2011年3月
 天理よろづ相談所病院副院長 兼内分泌内科部長
 石井 均
 はじめに(大橋 健・荻原健英・訳)
 監訳のことば(石井 均)
1章 患者さんの力に気づいた瞬間
 決意があれば(岡崎研太郎・訳)
 患者さんを見くびってはならない(中野智紀・訳)
 信じる力(中野智紀・訳)
 患者さんは自ら答えを見つける力をもっている(大橋 健・訳)
 魂のもつ力(中野智紀・訳)
 人は見かけによらない(古家美幸・訳)
 患者さんの身になって(田嶋佐和子・訳)
 手に手を取って(田嶋佐和子・訳)
2章 傾聴することと質問すること
 本心を語ってもらうことの大切さ(久保克彦・訳)
 一人ひとりに光を当てる(大橋 健・訳)
 患者さんが一番知りたいことは(久保克彦・訳)
 影響力を過小評価しないこと(久保克彦・訳)
 患者さんが自分自身でケアできるように支援すること(久保克彦・訳)
 患者さんのニーズに焦点を当てること(久保永子・訳)
 どのストーリーにも両面がある(久保永子・訳)
 そこには必ず学ぶことがある(久保永子・訳)
 双方向のコミュニケーション(久保永子・訳)
 患者さんのケアを最優先に(安藤美華代・訳)
 聞きづらいことを尋ねる(安藤美華代・訳)
 年齢が問題になるとき(安藤美華代・訳)
3章 親として家族として
 母親同士の絆(毛利貴子・訳)
 家族の力(毛利貴子・訳)
 一人ぼっちじゃない(毛利貴子・訳)
 親たちの試練(西澤玲子・訳)
 家族が本当に知っておくべきこと(西澤玲子・訳)
 悩みを共有できる相手(岡田 浩・訳)
 糖尿病は人生のプリズム(岡田 浩・訳)
 できるかぎり学ぼう(岡田 浩・訳)
4章 文化の違い
 行く道は患者さんが導いてくれる(山田憲一・訳)
 文化的背景と患者教育(山田憲一・訳)
 発展途上国の糖尿病(林野泰明・訳)
 受け入れてもらえるとは限らない(大橋 健・訳)
5章 患者さん一人ひとりに注目する
 患者さんを信じる(西 雅美・訳)
 感情の問題は治療を妨げる(西 雅美・訳)
 やる気のスイッチ(西 雅美・訳)
 時に答えはシンプル(西 雅美・訳)
 目に見えない問題(大橋 健・訳)
 過ちから学ぶこと(古家美幸・訳)
 枠にとらわれないやり方で考える(古家美幸・訳)
 直感を大切に(中山法子・訳)
 人生をも変える小さな出来事(中山法子・訳)
6章 患者さんから学ぶ
 歩み寄ることが答えなのかもしれません(峯山智佳・訳)
 あなたが目指すキャリアは?(峯山智佳・訳)
 ゲームのルール(峯山智佳・訳)
 導くべきとき,従うべきとき(峯山智佳・訳)
 人任せにしない(菊池貴子・訳)
 患者さんとともにゴールを目指して(菊池貴子・訳)
 現実的な期待(菊池貴子・訳)
 指導者から学ぶ(菊池貴子・訳)
 患者さんの目線に立つ(菊池貴子・訳)
 いつでもプランBを用意して(田嶋麻紀子・訳)
 物事がひどくうまくいかないとき(田嶋麻紀子・訳)
 患者さんが必要としているもの(田嶋麻紀子・訳)
 患者さんのやり方(田嶋麻紀子・訳)

 あとがきにかえて(大橋 健・岡崎研太郎)