やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 歴史的に『子ども』という存在が概念化され,教育が施されたのは17世紀以降と推測され,それまでは多産多死だった背景も相まって,子どもは大切に扱われていない時代が続きました.子どもは大人とは異なる固有の成長発達過程があり,健やかに成長・発達を遂げるためには段階的な教育が不可欠であること,そして子どもの権利などが謳われるようになったのは近代以降です.しかし,母子医療の問題をはじめ,子ども虐待の報道が後を絶たず,“赤ちゃんポスト”に預けられたお子さんの数は増え,児童養護施設に委託,入所するお子さんも膨れ上がっているなどの近年の風潮は,時代錯誤ではないかと危惧を抱いています.
 不安が拭えない社会情勢にあって,私たち医療従事者には多大な努力が求められています.特に,子どものいのちを護り,助けるために,子どもを擁護する立場から医療環境を整えていくことが私たちの最大の使命と考えます.子どもの医療は,その固有の特性から,いつでもどこでもアクセスできることが前提であり,受診者が同時に殺到することが想定される医療施設には,医療の優先度を見極めるトリアージが必須です.
 小児救急にトリアージを導入する,また導入している施設では,施設のシステムとして保障できるための取り組みが求められ,効率的にトリアージシステムを稼動させるためには,救急部門に勤務する医師,看護師の全員が実践できることが望ましいと考えます.そのためには,トリアージが可能な資格要件の吟味,医療者を支援する基礎的教育とフォローアップ教育,質保障の監視機能,検討会などの設置がなされなければなりません.本書の執筆にあたっては,これらの原理・原則となる項目を網羅するべく,筆者らは議論を繰り返し,さまざまなアイデアを結集させ,トリアージのハード面からソフト面に及ぶ全容の提供に向けて,長きにわたる努力を続けてきました.
 本書で示した内容は,暫定的なトリアージの基準案の1例であり,いずれの施設でも導入可能な万全な「基準」を提示しているわけではありません.トリアージは,施設の特性,その地域の人口や医療体制などにより,30秒から1分程度の迅速評価レベルから,2縲・分に渡る包括的評価まで,おおよそ2縲・段階の緊急度区分があると考えています.施設の体制に応じて施設もしくは地域単位で,どのレベルのトリアージ基準にするのかを吟味して選択する必要があります.また,子どもの成長・発達レベルについては,関連する学問領域においてそれぞれの段階説が存在し,段階と年齢区分を統一することは不可能であり,本書の趣意ではありません.したがって,本書で用いている成長・発達段階および年齢区分はすべてが同一ではありませんが,これは学説によって異なることをご了承いただきたいと思います.
 本書を小児医療に携わる医師,看護師,救急隊員,また医学生や看護学生の多くの方々にご活用いただき,さまざまな健康レベルの子どもたちが社会の中で健やかに成長・発達を遂げていけるような医療を提供できること,そして社会が子どもを大切に護るという気風となることを心から願っています.
 2010年2月 筆者ら
I.小児救急医療におけるトリアージの原理・原則
 1 小児救急医療とは(矢作尚久)
  小児救急医療従事者に求められるもの
 2 小児救急医療体制とトリアージ(伊藤龍子)
 3 トリアージの定義と倫理原則(伊藤龍子)
 4 トリアージの目的(伊藤龍子)
II.トリアージの考え方と進め方(矢作尚久)
 1 直感力と論理的思考力
 2 問診と鑑別診断
  [1]トリアージにおける問診と鑑別疾患
  [2]変化を予測する問診技術と鑑別疾患の重要性
  [3]情報を共有できる質の高い問診
 3 タイムマネジメントの重要性
  [1]患者の状況
   現状の把握と予測 ストレスの把握と予測
  [2]スタッフの状況
   現状の把握と予測 ストレスの把握と予測
  [3]空間(設備と情報)の状況
   現状の把握と予測 情報共有
 4 最新の技術を駆使した予測システム
  [1]概略
  [2]理論の概要
  [3]トリアージシステムの具体例
   患者の流れ 医療従事者の流れ
  [4]トリアージシステム導入により期待される効果
   事前に重症化を予防 看護師,事務の問診業務を軽減 トリアージに不慣れでも重症化の徴候の見落としがゼロ 効率化
III.トリアージプロセス
 1 トリアージガイドライン(林 幸子・伊藤龍子)
  [1]ステップ1:全身状態の評価(アセスメントトライアングル)
  [2]ステップ2:来院時の状態の評価(緊急度分類表)
  [3]ステップ3:生理学的評価(バイタルサイン評価表)
  [4]ステップ4:再評価
 2 心肺神経機能アセスメント(吉野尚一)
  [1]心肺神経機能アセスメントの流れ
   初期評価ーぱっと見て第一印象で判断する
  [2]一次評価
   ABCDEアプローチ
 3 バイタルサイン評価とフィジカルアセスメント(吉野尚一)
  [1]バイタルサイン測定
  [2]フィジカルアセスメント
   気道(Airwey) 呼吸(Breathing) 循環(Circulation) 神経(Disability) 全身観察(Exposure)
 4 緊急度と加療場所の決定(吉野広美)
  [1]トリアージプロセス
  [2]緊急度と加療場所の決定
   ステップ1:全身状態の評価(アセスメントトライアングル)
   ステップ2:来院時の状態の評価(緊急度分類表)
   ステップ3:生理学的評価(バイタルサイン評価表)
  [3]緊急度を判断するうえで気を付けること
  [4]緊急度判断の原則
 5 再アセスメント(吉野広美)
  [1]再アセスメントする理由
   小児患者の特徴 小児患者の家族(あるいは保護者)の特徴
  [2]再アセスメントの流れ
   時間目標(タイミング)を立てる 内容(観察ポイント)を決める 方法を決める 再アセスメントを実施する 再アセスメントした内容を記録する
 6 トリアージの設営(伊藤龍子)
 7 トリアージシステムの評価指標と質の改善(伊藤龍子)
  [1]治療開始までの時間と再評価
  [2]応答時間充足率
  [3]予測入院率
IV.トリアージ専任者の役割
 1 トリアージ専任者の特性(工藤真奈美)
  [1]患者・家族との意思疎通,コミュニケーション技術
  [2]機転,忍耐,理解力と優れた判断力
  [3]全体像を把握できる組織的技能
  [4]ストレスの多い状況での職務の遂行
  [5]重症な患者を識別できる経験,技術,専門的で臨床的な判断能力
 2 トリアージ専任者の機能(工藤真奈美)
  [1]トリアージに関する情報を提供する
  [2]患者の状態を迅速に見極める
  [3]治療の場所を判断する
  [4]患者評価
  [5]予測される医療や待ち時間について情報を提供する
  [6]混雑を緩和する
 3 トリアージ専任者の責務(石井 希)
 4 トリアージ専任者による患者・家族の支援(工藤真奈美)
  [1]成長発達段階に応じた患者・家族への支援
   新生児期・乳児期(0〜1歳) 幼児期(1〜6歳未満) 学童期(6〜12歳)から思春期(12〜18歳)
  [2]緊急度に応じた患者・家族への支援
 5 患者・家族へのインタヴュー(工藤真奈美)
  [1]基本的なコミュニケーション
  [2]インタヴューの手法
  [3]トリアージにおけるコミュニケーション
 6 家族へのトリアージの結果説明(石井 希)
  [1]トリアージ専任者の姿勢
  [2]トリアージの結果説明
V.小児の蘇生(清水直樹)
 1 小児心肺停止の防止
  [1]はじめに
  [2]「小児」の年齢域の定義とその背景
  [3]小児の心肺停止事象の特性
  [4]小児の心肺停止事象の防止(その1:呼吸不全)
   呼吸窮迫と呼吸不全 小児の呼吸窮迫の認識 呼吸不全に対する治療方針と実際
  [5]小児の心肺停止事象の防止(その2:ショック)
   ショックの定義 ショックの分類 ショックの治療方針と実際
  [6]小児の心肺停止事象の防止(その3:事故防止)
 2 小児一次救命処置
  小児一次救命処置(PBLS)の特異性
   心肺蘇生開始基準 心肺蘇生開始手順 最初の人工呼吸の重み その他の心肺蘇生手技上の相違点 自動体外式除細動器(AED)の扱いと半自動式除細動器をめぐる課題 気道異物除去に関する推奨の現状と今後の課題
 3 小児二次救命処置
  [1]小児二次救命処置(PALS)の一般論
   高度な気道確保の位置づけ 薬剤投与経路 各種緊急薬剤 電気的治療 小児の徐拍・頻拍への緊急対応 ECMO-CPR 小児の蘇生後管理と集中治療 小児蘇生をめぐる倫理的諸問題
  [2]小児の救急救命処置(特定行為)の現状と課題
   小児の気管挿管をめぐる課題 小児のラリンゲアルマスクをめぐる課題 小児の薬剤投与をめぐる課題
 4 小児蘇生学の今後の展望
VI.子ども虐待のトリアージ(林 幸子)
 1 緊急度の判断
  [1]最初の病態の緊急性と心身の危険性の判断
  [2]待合室で待機中の観察
 2 子ども虐待の発見
  [1]早期発見の重要性
  [2]子ども虐待への“気付き”のために必要な知識
   親子関係や夫婦の関係性の観察 子どもの発達年齢による行動特徴と能力,成長の観察 傷害の部位と程度
 3 主訴などの記録のあり方
  [1]問診のあり方
  [2]子ども虐待のトリアージ記録
 4 トリアージ専任者の役割
 5 家族への対応
VII.蘇生行為を望まない患者・家族のトリアージ(伊藤龍子)
 1 事前の話し合いと取り決めの記録
 2 救急医療における意思表明の把握と確認
VIII.トリアージシステムにおける医療者の擁護(伊藤龍子)
 1 トリアージ専任者の権限の保障
 2 オーバートリアージの容認と結果責任の不問
  [1]オーバートリアージの容認
  [2]結果責任の不問
 3 医療者の擁護のための方策
   トリアージの概念に関する広報 地域の医療連携とかかりつけ医の利用 暴力,クレームへの組織的対応
IX.トリアージ教育の概要(伊藤龍子)
 1 トリアージ教育のねらいと目標
  [1]トリアージ教育のねらい
  [2]トリアージ教育の目標
 2 トリアージ専任者の適性と資格要件
 3 トリアージ教育のコンテンツ
X.症例によるトリアージ実践例(林 幸子・伊藤龍子)
 症例A:幼児のアナフィラキシーショック
 症例B:幼児の紫斑
 症例C:生後3カ月未満児の38.0℃以上の発熱
 症例D:免疫抑制のある幼児の発熱
 症例E:乳幼児のタバコの誤食
 症例F:幼児の頭部外傷
 症例G:乳幼児の熱性痙攣
 症例H:乳幼児の低血糖
 症例I:乳幼児の熱傷
 症例J:乳幼児の肘内障
 症例K:乳幼児の上気道の狭窄
 症例L:幼児の呼吸窮迫

 索引