やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

監訳者序
 なぜ,この研究を質的に行う必要があるのか?その長所,短所は何か?質的研究を行う前に「研究者」はどのような準備をするべきなのか?先行文献の徹底的なレビューは必要なのか?自分は研究フィールドの部外者であるべきか否か?次々浮かび上がる疑問.あなたが目の前にある論文を読み,あるいはすでに出版されている書籍を読んでこのような疑問を抱いたなら,この本をすぐに読むべきだ.ここには,本棚に並ぶ電話帳のように分厚い質的研究の本,大全集のような統計学的分析の本にはない情報が溢れている.
 本書の目次をみれば,その違いが分かるだろう.本書は他の本によくあるような説明,つまり方法論ごとや研究の段階ごとに分類された説明の仕方はしていない.なぜか?著者の序文にもあるように,本書は,研究を行う「主体」であるあなた自身が,どのように思考し,準備し,取り組むべきか説明することに主眼を置き,多くの研究方法論の本のように,研究の一般的な進め方の説明に終始しないためである.質的研究の専門書に「研究者自身が道具である」とよく書かれているように,研究者自身が道具としての自分に向き合い,その状態を査定し,より磨き上げることは必須である.しかし,いずれの専門書も「優れた研究者」としてのゴールは示していても,そこに到達する術は書いていないのだ.
 その意味で,本書は紛れもなく「初学者」のための本である.しかし,やさしい本ではない.研究を行うこと自体,質的であろうとなかろうと簡単であるはずがないのだ.理解できるまで,何度でも読んで頂きたい.そして本書にある文献やチュートリアルに取り組み,「自己鍛錬」に励んで頂きたい.本書の内容が分かるようになった時,きっとあなたは「優れた研究」を行う資質を身につけているだろう.
 本書はまた,日本の質的研究としては十分に取り組まれていない質的研究のためのコンピュータソフトウェアについても書いている.「質的研究をソフトウェアでできるはずがない」そう信じている研究者には,本書でソフトウェアができることとできないことの違いを学び,その点について再考してみることをお勧めする.誌上発表された海外文献の多くで質的ソフトウェアが用いられ,量的研究の場合と同様に使用されたソフトウェアの名称が記載されるようになっている.数少ない日本語版の一つを付録で紹介している.
 本書は,医療系の大学・機関に所属する若手研究者が中心となって翻訳した.難解な表現のニュアンスを汲み取るのに悪戦苦闘しながらも,最後まで取り組んでくれたことに監訳者として感謝する.また,本書の日本語版を世に出すことを支援し続けてくださった医歯薬出版関係諸氏に感謝する.そして,この作業を見守ってくれた家族,同僚に感謝する.
 2008年5月
 監訳者 小林奈美

はじめに
 質的研究はめざましい速さで拡大,発展している.10年前の問題は,次々新しい課題へと取って代わられ,かつては少なかった質的研究に関する教本も今は数多く存在する.しかし,その多くは一つの専門分野か,または一つの方法に特化したものである.かつて質的方法は少数派であり,経験豊富な研究者のもとで徒弟制度のように学んだものであった.ところが,今はそのようなトレーニングをすることもなく取り組むことが多くなり,研究者は相談相手を見つけるのに苦労するようになった.また,かつてデータの処理は,書き損じも多く,人間の記憶力に頼る限界もあったが,今はコンピュータソフトによって手作業では不可能であった処理や分析ができるようになった.専門的なソフトウェアの登場で,質的研究はトレーニングなしでできる,より魅力的で利用しやすいものになっている.一方で,依然として10年前と変わらないのは,質的な研究プロジェクトを始めることの難しさ―賢明な方法論を選択し,適切な方向に考えを進めることの難しさ―である.他のことが克服された分,今はとくにこの難しさが際立っている.
 私たちは,質的研究の世界はこれから先もずっと変化し続けるという認識のもとでこの本を書いた.つまり変化が続くかぎり,この本の内容を改訂し続けるということである.変化を無視したり,変化に後れを取ったりすれば,それは研究者と方法論の双方にダメージを与えることになる.研究の初心者は質的な探求方法についての専門用語や研究課題のあげ方,情報の探し方,そして質的なものの捉え方など,いくつものハードルを越えて行かねばならない.また,質的研究に関する迷信に惑わされることなく,本当に期待できることを知らねばならない.研究に適した方法を選択し,うまく使いこなし,さらにその作業や技法にあったテクノロジーを使いこなせば,質的研究は素晴らしい成果を約束してくれるだろう.
 この本は,質的な研究者になりたいと考えている人に,とにかく最初に読んで頂きたい.最初に,というのは,データを取ったり,方法を選択したり,ソフトウェアのパッケージを用意したりといった研究プロジェクトに取り掛かる前に読んで頂きたいのである.もちろん,この本は研究方法の概論的教科書としても,単に質的な研究方法に興味があるという人にも有用である.本書に新しく盛り込んだ内容は,研究を始める前に知っておいた方が良いソフトウェアおよびそのチュートリアルについてのレビューやバージョンアップについて知る方法,すなわちコンピュータができることと,できないことを把握する方法についてである.
 要するに,この本は一つの方法を教えるものではなく,方法の広がりを示すものであり,研究者を一つの方法に縛りつけるのではなく,質的な方法の多様性を理解できるようにするためのものである.私たち自身,この本の章を書き進めながら,質的研究の多様性に気がついた.私たちの仕事を良く知っている読者なら,第一著者が書いている章について異なる意見があることも知っているだろう.しかし,私たちの互いに異なる経験は同じ必要性―方法論の迷路の入り口で研究者に必要とされているガイドブックの必要性―に集約されている.本書のアイディアの発端はかなり前に遡る,クルーガー国立公園でのポストカンファレンスツアーだった.同じバスで移動した3日間,私たちは,質的研究の初心者に教える経験を分かちあい議論したが,どこから手をつけるべきかわからなかった.その点について絶え間ない助言とサポートを提供してくれた私たちの夫,トム・リチャーズTom Richardsとボブ・モースBob Morseに感謝している.本書は,私たち2人の質的方法に関する異なる教育経験から発展したものである.私たちは,質問や試行錯誤,研究の悩みや混乱といった経験をとおして,質的研究の曖昧で複雑な概念や技法を説明する機会を与えてくれた学生たち,そして友人や同僚たちに感謝している.最後にSageセイジパブリケーション編集担当のリサLisa Cuevas ShawとアシスタントのカレンKaren Greeneの暖かい励まし,そしてシェリルCheryl Rivardの丁寧な校正に感謝している.
 Lyn Richards&Janice M.Morse
 監訳者序
 本書活用上の留意点
 はじめに
 1 初めて質的研究を学ぶ人のために
  ・本書のゴール
  ・方法とその整合性
  ・方法論の多様性と十分な情報を与えられた上での選択
  ・ミステリーではない!
  ・実際に行いながら学ぶ:職人技としての質的研究
  ・質的研究への挑戦
  ・本書の活用法
   用語
  ・本書の概要
  ・期待されること
  ・質的研究をやってみよう
  ・参考文献
第1部 研究を考える
 2 質的研究の整合性
  ・目的に合った方法論の選び方
   なぜ,質的に研究をしようとするのか?
   なぜ,質的に研究をする必要があるのか?
   どのように質的研究を行うべきか?
   方法の選び方からデータの作り方まで
   データの資源と種類を選ぶところから
   データを管理,分析するところまで
  ・方法論の一貫性
   一貫性について具体的に考えてみよう
  ・研究のシミュレーションをしてみよう
  ・さて,あなたのトピックは?
   どのようにトピックを見つけるか?
   トピックから研究可能な「問い」へ:質的な探究に焦点化する
  ・あなたの目指すところは?
  ・要約
  ・参考文献
 3 方法を選ぶ
  ・共通点と相違点
   全ての質的方法に共通するのは
   どのような点か?
   それぞれの質的方法の特徴
  ・現象学(Phenomenology)
   前提
   どのような種類の問いが向いているか?
   研究者のスタンス
   データ収集/作成
   結果はどのように見えるのか?
   現象学はどのような形をとるのか?
  ・エスノグラフィー(Ethnography)
   前提
   どのような種類の問いが向いているのか?
   研究者のスタンス
   データ収集/作成
   結果はどのように見えるのか?
   エスノグラフィーは
   どのような形をとるのか?
  ・グラウンデッドセオリー(Grounded Theory)
   前提
   どのような種類の問いが向いているのか?
   研究者のスタンス
   データ収集/作成
   結果はどのように見えるのか?
   グラウンデッドセオリーは
   どのような形をとるのか?
  ・他の質的方法論
  ・要約
  ・参考文献
 4 質的研究のデザイン
  ・デザインのレベル
  ・デザインを計画する
   プロジェクトの範囲
   データの性質
  ・デザインしてみよう
  ・妥当性のためにデザインすること
  ・プロジェクトの進め方
   概念化の段階
   フィールドに入ること
   データ管理システムの準備と管理
   サンプリングと理論的サンプリング
   分析
  ・ソフトウェアを選ぶ
  ・総合的なプロジェクトデザイン
   比較法デザイン[Comparative Design]
   三角法(トライアンギュレーション)
   デザイン
  ・質的な方法と量的な方法を
   組み合わせること
   混合法デザイン[Mixed Method Design]
   多重法デザイン[Multiple-Method Design]
   概観すること
  ・研究デザインのために
   ソフトウェアを利用すること
   入門編
   応用編
   注意点
  ・要約
  ・参考文献
第2部 分析
 5 データを作成する
  ・何がデータで何がデータでないのか?
   データの中の研究者
   良いデータと悪いデータ
  ・データの作り方
   インタビュー
   観察法
   写真
   文書
   間接的な方略
  ・誰がデータを作成するのか?
  ・データの変換
  ・データを管理する
   フォーカスグループのデータ管理
  ・データの役割
  ・データとしての自分自身
   研究者と研究対象者
   データとしての経験
  ・データを管理するための
   ソフトウェアの使用
   入門編
   応用編
   注意点
  ・要約
  ・参考文献
 6 コーディング
  ・データの中に入る
  ・アイディアを保存する
  ・コーディングを行う
   記述的コーディング[Descriptive Coding]
   トピックコーディング[Topic Coding]
   分析的コーディング[Analytic Coding]
  ・テーマをつける[THEME-ING]
  ・コーディングの目的
  ・コツと落とし穴:
   コードとコーディングの取り扱い
   学びながらコーディングする
   常に熟考を重ねたものとして
   コーディングを見る
   必要以上にコーディングしない
   コードを管理する
   コーディングの一致を監視する
  ・コーディングのためのソフトウェアの利用
   入門編
   応用編
   注意点
  ・要約
  ・参考文献
 7 抽象化すること
  ・初めの一歩:カテゴリ化すること
   カテゴリ化とコーディング
   日常的な方略としてのカテゴリ化
  ・次のステップ:概念化
  ・抽象化を行うこと
   抽象化はいつ起きるのか?
   抽象化はどこから生じるのか?
   抽象化はどのようになされるのか?
   何を目指しているのか?
  ・抽象化を管理する
   アイディアを文書化する:定義,メモ,日記
   アイディアを発展させる
   カテゴリの管理:インデックスシステム
   モデルとダイアグラム
  ・コンピュータソフトウェアを使って
   アイディアを管理する
   入門編
   応用編
   注意点
  ・要約
  ・参考文献
 8 方法論の整合性を再確認すること
  ・現象学
   データ作成の方略
   分析方略
  ・エスノグラフィー
   第一段階の描写
   濃密な描写
   比較
   結果
  ・グラウンデッドセオリー
   データ作成の方略
   データ準備
   分析方略
  ・要約
  ・参考文献
第3部 正しく理解する
 9 研究を正しく行うこと,誤りに気づくこと
  ・研究デザインで厳密さを保証する
   研究者の(技術と知識レベルの)
   適切な準備
   文献を適切にレビューする
   質的に考え,帰納的に作業する
   適切な方法とデザインを使用する
  ・プロジェクトの実施中に
   厳密さを保証する
   適切なサンプリング手法を用いる
   役に立たない方略に対する敏感さ
   プロジェクトの適切なペース配分
   信頼できるコーディングを行う
  ・いつ終わるのか?
   プロジェクトの経過記録
   監査履歴(オーディット・トレイル)[Audit Trail]
   発見したことを文献と比較し,合致させる
  ・プロジェクト完了時に厳密性を示す
   完了後に再び正当性を主張する
  ・要約
  ・参考文献
 10 書き上げること
  ・書く準備はできているだろうか?
   誰のために,どこに掲載されるのか?
   質的に書く
   あなたのデータを使う
   簡潔に,バランスよく
  ・方法論的一貫性の再確認
  ・対象者を保護する
  ・自分の著作を評価する
  ・推敲する
  ・書くためにソフトウェアを利用する
   入門編
   応用編
   注意点
  ・学位論文を書く
   書き始める
  ・投稿論文を書く
   書き始める
  ・誌上発表された,その後は?
   単独で使われる発見
   研究結果の累積効果
  ・要約
  ・参考文献
第4部 プロジェクトを始める
 11 プロジェクトを始める基礎
  ・研究計画書を書く
   文献レビューを用いる
   方法の部分を書く
   時間の見積り(と関連する資源)
   予算を増やす
   利用可能なデータの
   取り扱いについての記載
  ・倫理的な研究であることを保証する
   匿名性への挑戦
   許可
   対象者の同意
  ・要約
  ・参考文献
 12 さあ,始めよう
  ・なぜ,始めることが
   それほど大変なのか?
  ・どのように始めるのか?
   図書館で始めなさい
   シミュレーションから始めなさい
   方法を考え始めなさい
   あなた自身から始めなさい
   小さく始めなさい
   安全に始めなさい
   すぐに始めなさい
   研究デザインから始めなさい
   技術を磨き始めなさい
   ソフトウェアを使い始めなさい
  ・おめでとう!いよいよスタートだ!
  ・参考文献
 付録―1 ソフトウェアチュートリアルを利用する(Lyn Richards)
  ・各章ごとのチュートリアル
   研究デザイン(4章)
   データの作成(5章)
   コーディング(6章)
   抽象化する(7章)
   正しく理解して,書く(9章,10章)
 付録―2 研究助成金への申請(Janice M.Morse)
  ・研究助成金を申請する
  ・研究助成を受けたら

 文献
 索引
 著者について
 訳者紹介