やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文

 もし正気なら,あんたはここにいないさ.
 ―ルイス・キャロル 「不思議の国のアリス」―おかしな帽子屋より

 この本はあなたのために書きました.すなわち,あなたと患者の両方が満足できる方法で,最もよい糖尿病治療ができるように援助したいと思 っている療養指導士であるあなたのために書きました.いま実践していることに対して新しいやり方を求めていたり,私たちの考え方があなたの糖尿病教育への構想を反映しているという感覚があるならば,読み進めてください.
 糖尿病療養指導士として仕事を始めた頃,私たちは患者に糖尿病を治療する方法を教えたり,自分たちが勧めることに従わせようとすることで,目標を達成しようとしていました.そして,この経験から重要な教訓を学びました.それは,このアプローチではうまくいかないことと,私たちだけでなく患者にも欲求不満を起こさせるということでした.互いに不満を抱き合 っていたこともあり,私たちは次の二つのことを解決しようと,この20年間を費してきました.第一はなぜ従来のアプローチではうまくいかないのかということであり,第二はどのようなアプローチならばうまくいくのかということです.
 この本は,その二つの疑問に答える中で,私たちが学んできたことを紹介しようとしたものです.私たちは,糖尿病の治療と教育に対する従来のアプローチが基礎としている仮定―医療者が管理する―が,糖尿病の現状に合 っていないことに気づきました.現実には,患者が管理するのです.いったんこれに気づいてからは,より実行しやすく,また満足できる糖尿病教育へのアプローチ法を考えるようになりました.そして,私たちはこのような理念を“エンパワーメント”と呼ぶことにしました.私たちはエンパワーメントを「糖尿病を管理するために,患者が潜在的な能力を見つけ出し,使用できるよう援助すること」と定義しています.この本の中では,1対1の場面とグループの場面の両方で,患者に学習と行動変化を起こさせるようにするために,私たちがつくり上げてきた方法を紹介します.

●ストーリーを集めた本
 ストーリーは,最も効果的に学ぶ方法の一つであるため,この本のいたるところでストーリーを用いています.この本の中には,患者によるストーリーと,私たちの仲間によるストーリーを収めています.患者のストーリーは,糖尿病が心理学的,理論的,臨床的,経済的,文化的,精神的,社会的な要素から構成された全人的な経験であることを教えてくれます.また,患者のストーリーの中からそれらの要素を見つけ出すために,療養指導士は適切な質問をしたり,傾聴する必要があることも学びました.そして,私たちやほかの療養指導士のストーリーからは,教育者としての私たち自身に関する構想が,個人的な生活や専門家としての生活,過去の経験,目標,要求,価値観などの要素によっても影響を受けていることがわかりました.糖尿病療養指導士としての道のりは,家族や社会,そして自分自身を意識し始めた幼い頃の経験から始まっていました.私たちが,誰であるのか,また何であるのかというストーリーは,教育,特に専門的な訓練と職務経験によって,さらに洗練されるのです.自分の実践に織り込まれたいろいろな影響を振り返ることは,「行動はひととなりを表す」ということを教えてくれました.
 私たちは糖尿病療養指導士として,患者が自分のために新しいストーリーを書く手助けをすることができます.そのストーリーの中では,糖尿病が人生において肯定的にとらえられています.こうした援助を行うには,患者の世界に入り,患者の目を通して物事を見ることを学ぶ必要があります.私たちはパートナーとして,本当に患者の役に立つ方法で,糖尿病の自己管理を人生のストーリーに織り込んでいく援助を,一緒に進めていくことができます.
 アメリカのある上院議員がマザー・テレサのもとを訪ねたときのことを,友人が話してくれました.インドに4,5日滞在し,彼女の奉仕活動を見た後で,上院議員は最後の会談を行いました.その会談の際,彼は「あなたのしていることはすばらしいが,率直にいって途中でくじけるでしょう.あなたのような人が10人いても100人いても,この国の貧困や病気や災害はとてつもなく大きいのです」といいました.するとマザー・テレサは「神は私に成功することを求めたのではなく,自分に忠実であることを求めたのです」と答えました.
 私たちの経験では,構想をもち,それを忠実に実践することノよって,満足できる楽しい糖尿病教育を行うことができるのです.私たちが直面している課題は,マザー・テレサのものほど大がかりではありませんが,変化しつつある健康管理の世界や自分たちの施設にさえ,管理できないことがたくさんあるのです.しかし,患者や同僚とのかかわり方を管理することはできます.そうすることによって,私たちは構想に忠実な実践を行うことができるのです.

●本による学習
 これまでの専門家向けの本のほとんどは,概念的なものが中心であったため,エンパワーメントについて書くことは私たちの挑戦でした.しかし,エンパワーメントを学ぶ最もよい方法は経験です.概念的学習と経験的学習では,まったく異なった結果をもたらします.すなわち,知識として知っているということと,じかに経験して知っているということの違いです.概念的学習とはたいてい,特定の話題について情報を得るために,読むことや聴くことを指しています.たとえば,テキストを読んだり講義を聴くことによって,糖尿病について学ぶことができます.概念的学習は,私たちの多くが正規の教育の場で触れてきたものです.この教育では,すでに学んだ題材についてテストを行い,それから新しい題材の学習に移ります.
 概念的学習のみの教育には,二つの大きな限界があります.第一は,覚えた情報はすぐに忘れがちで,その情報を使わないような場合はなおさらであることです.現在,高校の代数のテストに合格できる人がいったい何人いるでしょうか? 第二は,概念的学習で学んだ知識は応用ができないということです.そのような知識は,必要に応じて使えるように記憶されるのではなく,学んだままの系統立 ったひとかたまりの概念として記憶されやすいため,問題解決の際に使用することが難しいのです.
 ほとんどの本は,読者へ情報を伝えるために書かれていますが,この本の目的は違います.私たちは,この本が経験的学習の跳躍台となることを望んでいます.経験的学習は,あなたが経験について振り返ることから始まります.エンパワーメントの概念についてただ学ぶだけでなく,あなたの行動を促すような本になるよう努めました.ストーリーと質問が,これまでの経験を振り返り,あなたの考え方の基盤となっているさまざまな仮説を深く掘り下げ,検討するための刺激となることを望んでいます.その仮説には,糖尿病について,糖尿病療養指導士や糖尿病患者の役割について,また患者がどのように学び成長するかについて,医療者であることの意味について,などがあるはずです.
 私たちは答えを提示することはできませんが,あなたが正しい答えを見つけ出すヒントとなる質問をすることはできます.質問は経験を振り返ることを促してくれるため,経験的学習を刺激する最も効果的な道具だと思います.質問は,患者と専門家が一緒に学ぶためのエンパワーメントアプローチの中心なのです.自分自身の実践法を振り返ることが,それを進歩させる最もよい方法だと思います.本の中にあるいくつかの行動変化法や教育的技術を試して,それがどのように役立つか考えてみてください.私たちは,あなたに懐疑的であり,内省的であり,そして実践的であってほしいと思います.

●この本の使い方
 この本にはさまざまな使い方があります.この本を読んで,あなたは自分で振り返ることもできます.しかし,信頼し尊敬している人と糖尿病患者教育へのアプローチについて話し合うことは,自分で振り返ること以上に洞察や変化への強い刺激となることを,私たちは経験から学びました.できることなら,この本を読んで,信頼できる仲間と疑問点について議論してほしいと思います.たとえば,定期的な勉強会を行 っている療養指導士のグループで,糖尿病教育の視点を深めるための自主学習プログラムとして,この本を使用することができます.また,この本が個人的な成長とスタッフへの指導にも,役立つことがわかるはずです.
 振り返りのための質問と記録ノートへの書き込みのためのヒントは,あなたが自分のストーリーを話しやすくなるようにつくられています.自分のストーリーを語る力と自分自身の心の声を聞くことによって生じる洞察が,経験的学習を個人的な成長と行動変化への大きな力にするのです.自分のストーリーをほかの人に話すことは,普段ただ考えているときとは異なる感情を引き起こします.また,信頼している人にストーリーを話すとき,彼らは私たちが新しい洞察を得られるような深い質問をしてくれるでしょ、.
 最後に,この本やあなたの仕事に関する経験,考え,洞察,反応を聞かせていただきたいと思います.お便りは下記の住所にお送りください.
 Michigan Diabetes Research & Training Center
 1331 E.Ann Street
 Rm 5111,Box 0580
 Ann Arbor,MI 48109-0580
緒言
謝辞
序文
監訳にあたって
著者紹介

PART I 行動はひととなりを表す
 CHAPTER1 私たちのエンパワーメントへの道のり(石橋里江子・訳)
  ボブのストーリー
  マーティのストーリー
  私たちのストーリーの融合
  あなたのストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER2 糖尿病はほかの病気と異なる(松島雅人・訳)
  ボブのストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER3 構想が方法を使う(柳澤克之・訳)
  何を探しているのですか?
  私たちの考え方は教育法とどのような関係があるのでしょうか?
  リンゴとオレンジを比べる
  振り返りのための質問
 CHAPTER4 コンプライアンスからエンパワーメントへ(辻井 悟・訳)
  何を必要とし,信じているか
  何をコントロールするか
  療養指導士の構想
  独り立ちさせることを学ぶ
  ボブのストーリー
  エンパワーメント法と従来法の比較
  振り返りのための質問
 CHAPTER5 生涯続く学習(清野弘明・訳)
  患者教育
  ボブのストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER6 メアリーのストーリー(安酸史子・訳)
  メアリーのストーリーその1
  メアリーのストーリーその2
  振り返りのための質問
 CHAPTER7 糖尿病療養指導士よ,汝自身を知れ(杉本貴美子・訳)
  振り返りのための質問
 CHAPTER8 世界中から寄せられたエンパワーメントストーリー(三好 史・久保克彦・久保永子・杉本貴美子・訳)
  ジルのストーリー
  マイヤナのストーリー
  メアリー・ルーのストーリー
  均のストーリー
  フローレンスのストーリー
  ゲイルのストーリー
  アクセルのストーリー
  クラウディアのストーリー
  アニタのストーリー
  あなた自身のストーリー
  あなた自身の記録ノート
PART II エンパワーメントする関係を築く
 CHAPTER9 パートナーになる(岡崎研太郎・訳)
  研太郎のストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER10 現実の糖尿病はストーリーのなかにある(久保克彦・訳)
  リンのストーリー
  ゲイルのストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER11 傾聴が心を癒す(久保克彦・訳)
  マーティのストーリー
  克彦のストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER12 感情に注目する(渥美義仁・訳)
  ボブのストーリー
  ボブのストーリー
  マーティのストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER13 愛することとおそれること(内潟安子・訳)
  ボブのストーリー
  マーティのストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER14 おそれを解き放つ(脇 嘉代・野田光彦・訳)
  クラウディアのストーリー
  ボブのストーリー
  振り返りのための質問
  あなたのエンパワーメント記録ノート
PART III 行動変化の秘訣―ストーリーの書き直しを援助する
 CHAPTER15 何が問題ですか?(吉岡美佳子・訳)
  問題に名前をつける
  ゲイルのストーリー
  解決法を特定する
  シェリルのストーリー
  リンのストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER16 どのように感じていますか?(久保永子・訳)
  感情を明らかにする
  陰性感情は放置しておけない
  均のストーリー
  マイナス面を明らかにすれば,姿が見えてくる
  振り返りのための質問
 CHAPTER17 どんなことがしたいですか?(久保永子・訳)
  フェリップのストーリー
  目標設定における肯定的な考えと否定的な考え
  目標設定の仕方
  振り返りのための質問
 CHAPTER18 何をしようと思いますか?(岡本元純・訳)
  一覧表をつくる
  糖尿病療養指導士は質問する
  成功のために計画する
  リチャードのストーリー
  契約と報酬
  カレンダーに印をつける
  振り返りのための質問
 CHAPTER19 効果がありましたか?(山田祐一郎・訳)
  ベティのストーリー
  振り返りのための質問
 CHAPTER20 互いに影響しながら学んでいく(林野泰明・訳)
  双方向性の学習の方法
  ミシガン・ライフスタイルワークブック
  行動変化のTIPS
  ミシガン・ライフスタイルワークブックをどのように利用するか
  双方向性の学習の実験
  あなたのエンパワーメント記録ノート
PART IV エンパワーメントを実践に用いる
 CHAPTER21 教育とエンパワーメント(山本壽一・訳)
  実践
  本当のチームワーク
  振り返りのための質問
 CHAPTER22 すべては一つである(古家美幸・訳)
  フェリップのストーリー
  マーティのストーリー
  統合的アプローチ
  振り返りのための質問
  ミシガン糖尿病リスク診断
 CHAPTER23 成功(蜉p誠治・訳)
  成功の定義
  振り返りのための質問
 CHAPTER24 振り返りのためのツール(布井清秀・訳)
  患者とのやりとりのテープの採点基準
  振り返りを実践するためのそのほかのアプローチ
  振り返りのための質問
 CHAPTER25 エンパワーメントされた糖尿病療養指導士(正木治恵・訳)
  振り返りのための質問
  あなたのエンパワーメント記録ノート
  アメリカ糖尿病協会について
  エンパワーメントについてもっと知るための出版物