やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

 健康の定義は多く見受けられますが,本書では,「健康は常に動的であって,変動する状態であり,現在健康であっても,そのまま続くとは限らず,ごく日常性の中にある要因により,容易に不健康へと変化する」ととらえています.例えば睡眠不足,頭痛,風邪を引きやすいなど,健康に関する態度や行動は本人の意識によって変化しうるもので,その人のライフスタイルは健康を左右する大きな要因となると同時に,健康状態は生活の日常的な現象の中で変動するものでもあります.したがって,健康生活を営むうえで重要なことは,自分自身の生活をよく観察し,自ら積極的に健康を創造する力を持つことであると考えます.
 すなわち糖尿病のある患者の看護においては,人にはそれぞれのライフスタイルがあり,人生のイベント・危機など健康障害を増悪しやすい状況が多様にあること,つまり人間の生活はそもそも平坦に継続するものではないということを認識し,糖尿病のある患者がこれらの状況の中でセルフケア行動が実行できるように支援することが不可欠となります.
 さらに,糖尿病のある患者においては,病気を受け入れ,生きることの意味,価値,満足感を味わうことのできる心のあり方も大切になります.それは病気を特別視せず,病気と共にある自分を受け入れ,病気のある生活を心の糧として生きるエネルギーに転化する生き方であり,そのような生活を営むことができる心を育むことも,セルフケア行動の実行には重要です.
 糖尿病は多くの場合,よい状態でコントロールされていれば,ほぼ健康な状態を維持でき,健やかな生活を可能にできることから,患者が糖尿病のある生活において,健康生活をいかに創造できるか,また,患者のライフスタイルに沿った看護がどのようになされるかに重要な鍵があると考えられます.
 人が生きて生活する過程には,さまざまな出来事があり,ごく普通に過ごせる日ばかりではありません.特に糖尿病のある患者においては,自己の病気を受け入れることを第一歩として,生涯糖尿病と共に生活することになります.看護者には,これらのことを十分に理解し,患者がその生涯をよりよく過ごしつつ,生活要求を充足し,生活目標を達成し,自己実現に至るquality of life(QOL)の向上を図ることができるように支援することが要求されます.
 本書は,これら糖尿病のある患者の変化する健康状態,ライフスタイルに沿った看護の重要性を意識し,患者が糖尿病を受け入れて毎日の生活をより健やかに創造的に過ごすことができるような看護のあり方を模索する中からまとめられたものです.したがって,I編ではセルフケア行動とそのプロセスに沿った援助について述べ,II編では人間のライフステージ各期ごとに糖尿病と向き合うときの特徴的な側面をとらえ,III編においては,セルフケアの継続のために重要なアプローチである糖尿病患者の心のケアについて,治療に伴う患者の感情とQOLの特徴から述べています.それらの視点に立って最後のIV編では,糖尿病のある生活を送る患者に対する看護の実際を,生活障害の程度別・時期別に具体例も紹介しながら展開しています.
 本書が,より質の高い看護ケアの実現のために,看護学生の学習用テキストとして,また,現在各領域の看護現場で活躍されている方々の手引きとして広くご活用されることを願ってやみません.
 2000年7月 編者
I セルフケア行動への援助
 1 セルフケア行動とは (大森武子)
 2 セルフケア行動のプロセスに沿った援助 (尾岸恵三子)
    情報を得る 知識の獲得 状況判断 吟味 選択・組替え 解決の方向性 解決の方法 行動を起こす 自己評価

II ライフステージと糖尿病患者のナーシング
 1 人間のライフステージ 14(大森武子)
  1)ライフステージ各期の健康
  2)生活習慣とライフスタイル
 2 小児・ヤングと糖尿病 (海老沢のり子)
  1)小児糖尿病とは
  2)小児糖尿病患児における身体的・精神的な問題とセルフケア
   (1)小児糖尿病患児の発達の特徴
   (2)小児糖尿病患児のセルフケア
  3)小児糖尿病の治療
   (1)インスリン療法
   (2)食事療法
     エネルギー量 栄養素のバランス 時間的配分
   (3)運動療法
   (4)低血糖の予防
   (5)糖尿病コントロールの判定
  4)サマーキャンプ
  5)糖尿病患児が健康な社会生活を送るために
  コラム サマーキャンプの現場から (石井秀宗)
 3 妊娠と糖尿病-糖尿病合併妊娠がセルフケア行動を起こし,コントロールできるために (米山万里枝)
  1)妊娠初期・妊娠中の看護
   (1)セルフケア行動への支援
   (2)計画妊娠の勧め
   (3)妊娠後の血糖コントロール
     分食の仕方 就寝前の補食
   (4)低血糖時の対応
   (5)インスリン療法
   (6)家族の理解と協力
   (7)妊娠中の栄養
   (8)妊娠から出産までの医療スタッフの動きとサポート体制
  2)分娩時の看護
  3)産褥期の看護
  4)妊娠前から一貫した糖尿病管理
 4 高齢者と糖尿病 (吉尾千世子)
  1)高齢社会と糖尿病
  2)高齢患者の特徴と糖尿病
  3)高齢糖尿病患者の特徴
   (1)病態と主な症状
   (2)高齢糖尿病患者の主な合併症
     高血糖高浸透圧昏睡 低血糖 糖尿病性細小血管障害(網膜症,腎不全)および神経障害 動脈硬化性血管障害 易感染性
   (3)高齢糖尿病患者と治療
     食事療法 運動療法 薬物療法(経口血糖降下薬 インスリン療法)
  4)高齢糖尿病患者の生活とセルフケア
   (1)高齢糖尿病患者のアセスメント
     糖尿病の病態・症状と程度 他疾患の有無と程度・症状 日常生活動作(ADL)とセルフケア行動 精神・心理的側面 社会的側面
   (2)高齢糖尿病患者のセルフケア行動への援助
   (3)認知症のある高齢糖尿病患者の援助
     認知症とセルフケア行動 食事療法 運動療法 薬物療法

III 糖尿病患者のこころのケア─QOL,感情,そして治療関係─(石井 均)
 1 糖尿病治療とQOL(quality of life)
  1)糖尿病と2つのQOL
   (1)20世紀の偉大な発見-インスリン
   (2)命は延びたが-慢性合併症とQOL
   (3)自己管理は難しい-セルフケアとQOL
   (4)糖尿病治療のジレンマ
  2)QOLの定義,測定法とその意義
   (1)QOLの定義
   (2)QOLの測定法
   (3)QOL測定の意義
  3)糖尿病およびその治療とQOLに関するエビデンス
   (1)血糖コントロールとQOL
   (2)病型とQOL
   (3)治療法とQOL
   (4)合併症とQOL
   (5)ヘルスケアプロバイダーとの関係とQOL
  4)QOLの視点を治療に適用しよう
    QOLの視点に立った質問をしよう
 2 糖尿病とその治療に対する感情
  1)感情に触れたことがありますか?
  2)感情の測定
  3)感情負担の内容-できないことはつらいこと
 3 患者-ヘルスケアプロバイダー関係とQOL
  1)直接的なアドバイスや指示はどれほど有効か?
  2)よいコミュニケーションがもたらす効果
  コラム 糖尿病の病型分類と診断基準

IV 糖尿病のある生活に沿ったナーシング
    糖尿病のある人生 (大森武子)
    生活するという意味 糖尿病と共に生活していく
    糖尿病を糧とする生活
 1.生活リズムが維持できる時期と看護
 総論 (尾岸恵三子)
  1 糖尿病をコントロールする生活
   1)ライフスタイルとセルフケア
    (1) 食 (尾岸恵三子)
     糖尿病における食生活を整える目的と効果 好ましい食生活習慣づくり 食事療法の具体的方法
    (2) 排泄 (尾岸恵三子)
     糖尿病における排泄を整える目的と効果 好ましい排泄習慣づくり 排泄コントロールの具体的方法
    (3) 身体の清潔 (大森武子)
     糖尿病における身体の清潔の目的と効果 日常生活における身体清潔の習慣づくり 日常生活に取り入れる身体清潔の方法
    (4) 運動と休息 (吉尾千世子)
     糖尿病における運動の目的と効果 日常生活における運動と休息の習慣づくり 日常生活に取り入れる運動の種類と方法 運動の実施 レクリエーションとしての運動と休息
   2)ストレスとセルフケア (大下静香)
    (1) 慢性疾患であること 病気に対する否認感情のある場合 怒りの時期 鬱状態の時期 受容の時期 ストレスの対処法として/
    (2) コントロールのための制約(職業上の制約 合併症による制約 意志力の弱さ)
    (3) アルコール (アルコールについて 飲酒による問題 アルコールに関する指導)
    (4) 喫煙 (禁煙指導)
   3)検査・治療とセルフケア (黒澤寿子)
    (1) 血糖・尿糖測定 (血糖検査 尿糖検査 血糖コントロールの指標)
    (2) 経口薬 (糖尿病薬の特徴 起こしやすい糖尿病薬内服管理の問題 服薬指導時のポイント)
    (3) インスリン注射 (インスリン注射指導の進め方)
  2 ナースは糖尿病患者に何をどのように教育するか (正木治恵)
   1)糖尿病患者のセルフケア確立の課題
   2)セルフケア確立への課題の把握
     医学的・実践的知識の獲得状況について 自己管理プロセスの学習について 情緒の安定について 人生上の選択・自己決定について 患者としての家庭・社会での役割について
   3)セルフケア確立への看護アプローチ
     指導的アプローチ 学習援助的アプローチ 支持的アプローチ 相談的アプローチ 協力的アプローチ
   4)看護援助における評価の視点
     結果判定としての評価 過程評価としての評価
 2.生活に障害をきたす時期と看護
 総論 (尾岸恵三子)
     糖尿病の合併症と看護
  1)糖尿病網膜症 (土田由紀子)
     糖尿病網膜症の概要 (分類 発生頻度 主な検査 主な治療) 糖尿病網膜症が日常生活に及ぼす影響 糖尿病網膜症を起こしたことによってコントロールに及ぼす影響 看護上の問題
  2)糖尿病性神経障害 (伊藤暁子)
     糖尿病性神経障害の概要 (分類と主な症状 発生頻度 主な検査 主な治療) 糖尿病性神経障害が日常生活に及ぼす影響 糖尿病性神経障害を起こしたことによってコントロールに及ぼす影響 看護上の問題
  3)腎機能障害 (有江恵子)
     糖尿病性腎症の概要 (病期分類 発生頻度 主な検査 主な治療)糖尿病性腎症が日常生活に及ぼす影響 糖尿病性腎症を起こしたことによってコントロールに及ぼす影響 看護上の問題
  4)動脈硬化 (福島有香)
     糖尿病と動脈硬化 (動脈硬化の危険因子 発生頻度 主な検査 主な治療)動脈硬化が日常生活に及ぼす影響 (虚血性心疾患 脳血管疾患 閉鎖性動脈硬化(ASO)) 動脈硬化を起こしたことによってコントロールに及ぼす影響 看護上の問題
 3.重度の生活障害と生活の危機をきたす時期と看護
 総論 (尾岸恵三子)
  1 低血糖と看護 (加古川恵子)
   1)低血糖とは
   2)症状
   3)原因
   4)低血糖発作時の対処
     自分で経口摂取が可能なとき 他者(家族)の協力で経口摂取が可能なとき 自力および介助にても経口摂取が不可能なとき 看護者が対処するとき
   5)低血糖の予防
     低血糖症状を認識する インスリンや経口血糖降下薬の使用方法を守る 食事量と摂取時間を守る 運動について 日常生活の指導について 血糖値自覚訓練
  2 糖尿病性昏睡と看護 (加古川恵子)
   1)糖尿病性昏睡とは
   2)糖尿病性ケトアシドーシス
     原因 (1型糖尿病でのケトアシドーシス発症時 インスリン注射の中断 インスリン持続注入器の故障 インスリン必要量の増加 ペットボトル症候群) 病態生理 症状 治療 (輸液 インスリン療法 電解質補正) 予防 看護 (インスリン療法を確実に行う バイタルサインのチェック 体液バランスの改善を図る 合併症予防と清潔保持 食事摂取量の把握 精神的援助)
   3)高浸透圧性非ケトン性(HNK)昏睡
     原因 病態生理 症状 治療 予防 看護
   4)シックデイルール
     シックデイとは シックデイルール (シックデイの基本的対応 治療法別対応)
  3 機能喪失と看護
   1)中途視覚障害 (清水美知子,西川みどり)
     視機能の低下に伴って変わる患者の心理 (増殖性網膜症の診断 変動しながら低下する視力 視覚障害の認識)セルフケア (行為空間への移動 動作対象の認識 行為の経過と結果の認識 視覚障害者のための用具の活用 実際のセルフケア行動の例 インスリン自己注射)
   2)下肢切断について (橋本美奈子)
     糖尿病