やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

総論 介護保険制度とこれからの在宅介護支援センターのありかた

 竹内孝仁

 ■介護保険始まる
 まさかと思っていた介護保険が,本当に始まるという時期になりました.まさかというのは,やることはやるだろうと思っていましたけれども,こんなに準備ができていない段階で果たしてできるのかなということを実は私は感じていたわけです.
 準備ができていないというのはどういうことかというと,俗にいう,市町村での介護保険を迎えての社会資源サービス(社会資源の整備といいましょうか,ホームヘルパーを何人にするとか,施設をいくつつくるかという表側の準備)の陰で,もっと深刻なのはソフト面での問題であります.最初から水を差すようで恐縮ですけれども,まずケアマネジャー(介護支援専門員)の能力が全然上がらないという問題があります.それから訪問看護・訪問介護という看護・介護サービスは現状でいいのかという問題があります.その典型例が介護職の世界なのですが,これがまたほとんど素人の世界で,こういうことに対して市民がちゃんとお金を払ってくれるのかという大変深刻な問題があると考えています.
 私が勤務している病院が川崎市にありますので,ここ3年ぐらい前から川崎市にだんだん引き込まれていくような生活になっています.遅ればせながら,昨年の秋から川崎市でもケアマネジャーの能力向上の研修が始まりました.私は介護保険策定委員会の委員長を仰せつかっているものですから,少し能力向上の養成をやってほしいということです.そこで総論的なことを1日やったうえで,月に1回,夜6時半頃から9時半頃までケーススタディをやろうということになり,昨年11月から始まりました.
 最初に出てきた事例は,介護認定すると要介護5になろうという方で,お嫁さんが世話をしている事例です.事例提供者が発表しながら怒っているんです.何を怒っているかというと,現在いろんなサービスを提供しているわけですけれども,それを合計すると費用が62万円になるという結果になりました.彼女がなぜ怒るかというと,今のサービスですら介護報酬に換算すると62万円かかっているのに,介護保険が始まると上限が36万円で切られてしまう.一体どうするつもりなんだと憤慨しているわけです.結論的に介護保険はひどい保険だということになってくるのですが.
 ◎介護保険で心配なのはソフト面
 私どものケーススタディでは,その事例についてのサービス計画が果たして適正なのかどうかということを厳密に吟味していきます.この事例の場合,何と3時間という長時間に及び,その日はこの1事例の検討だけで終わってしまったという結果になったわけです.私がときどき助言をしたり会場からいろんな意見を引き出したりして,最終的にこういうサービス計画のほうがいいだろうと落ち着いた後でその介護費用を計算してみたら,何とこれが27万円ですんでしまう,ということになりました.
 私はいろんなところで実践から学ぶ目的でケーススタディをやっておりますが,全国各地,どこに行っても大体9割ぐらいはこういったちぐはぐなサービス計画になってしまうのです.どういうことかというと,的外れなサービス計画であるということです.
 ■能力の低いケアマネジャーの特徴
 先般ある雑誌にケアマネジメントについて何でもいいから書いてくれというから, 「能力の低いケアマネジャーの特徴」と書いたら,編集部のほうで,あまり露骨なタイトルをつけるなということか,ちょっと曖昧なタイトルになりましたけれども,その内容をいいますと,これにはポイントが3つあります.
 ◎ニーズがつかまえられていない
 1つは,ニーズがつかまえられていないことです.いまだにニーズをうまくつかまえられないという人たちが圧倒的に多いということです.その背景にはアセスメントチャートに振り回されすぎているということがあるわけです.したがって,ニーズをつかまえていないものですから,サービスのメニューがバラまきになる.バラまきサービスですね.ちょうど鉄砲射ちが山に行って,鳥を鉄砲で射とうとするときに,鳥はこの辺にいるのに別の方向に向かってショットガンをぶっ放している.この鳥はニーズという名の鳥ですが,どっちみち散弾を射ちますので,羽根に多少かすり傷ぐらいはあびるかもしれません.しかし,ビクともしないで飛んでいってしまうのです.
 ◎介護費用が高額になる
 バラまきサービスの結果として何が起こるかというと,介護費用が極めて高額になるということです.これからは,俗にいうケアプランを立てたときに費用計算をしてみて,要介護度に応じた上限額を超えたら,自分のケアプランに問題があるというぐらいに考えたほうがいい.私は厚生省の肩をあえて持つつもりはないのですけれども,いろんなところでいろんなケースを経験し吟味してきてわかったことは,厚生省の誰が考えたのか知らないけれども,あの要介護度別の上限額というのは実にうまくできている.本当にあきれるほどうまくできています.
 ◎上限額内のサービス計画か
 ただし,例外は要支援とか要介護1ぐらいの人で,独居とくに男性.これはもうめったやたらお金がかかるということがあります.典型的なアルコール中毒例だと,若いときから少し依怙なところがあって,まわりのいうことを全然聞かない.そういう独居の高齢男性の台所をのぞいてみると,カップラーメンのカラばかり山積みになっている.目を離すと朝から酒を飲んでいる.かといってまわりから忠告しても何も受け入れない.こういう人には目が離せないから,いうところの見守りサービスみたいなものが手厚く必要なのですが,地域にそんな偏屈な人の見守りをやってくれる奇特なボランティアはあまりいない.したがってお金のかかる家事援助だとか身体介護のホームヘルパーを手厚く派遣しなければいけないということが起こってくる.
 だからこういう独居の生活管理が全然できていない事例だと,介護費用の上限額をアッサリ超えるということがあるようです.けれども,家族がいて,曲がりなりにも家族介護が(質は別にして)行われている事例だと,ほぼその上限額に納まっていくということがあります.そういう意味では自己点検の資料としては上限額というのは1つのヒントになってきます.
 ◎上限額は1つのヒント ◎今年の研修会のテーマ
 これから皆さんの事例を通して,介護保険給付の対象外あるいは介護保険では足りないというサービスをどうしたらいいのかという吟味が行われるわけですけれども,よく見ておかないと,その人の立てたサービス計画そのものが見当違いではないのかということがあります.そういう目で改めて点検していく必要があると考えています.
 この会は広島県在宅介護支援センター協議会の研修会で,今年で4年目に入ってきたと思います.県単位の組織でこういうふうに継続的に研修をしていくのは比較的珍しい.とくに珍しいのは,私みたいな人間を据えて,1人の考えかたをずうっと追いかけていくという研修です.今年のテーマは,給付対象外サービスを込めなければいけない事例と,対応困難事例です.サービス担当者が何をいっても利用者は拒否するという,本来われわれが最も頭を使わなければいけないところに足を踏み入れた研修になるわけです.実はこの企画をちょうだいしたときに,私は非常に感激したのと同時に,この時点における洞察力の鋭さに驚いたわけであります.
 といいますのは,私たちは今まで机上の 「ケアプランごっこ」で時間を費やしすぎてきたと考えています.私の考えでは,クライアントを担当したとき,いうところのケアプランは即座につくれるぐらいでなければいけない.何日もかけて 「ケアプランはこうです」と完成させていくようなことをやっている間は,本当のサービスにはならないと考えています.ケアプラン以外の相手方との人間関係であるとか,その後のモニタリングという作業が,対人サービス上では極めて大変なんだということを,現にこれからのケーススタディで経験していくということになると思います.
 ◎人間関係とモニタリングが大切 ◎公平・中立な立場で

 ■多様な所属の中で在宅介護支援センターへの期待
 先頃の 『週刊読売』に, 「いいケアマネジャーを選ぶ5つのポイント」という記事が出ていました.その中のトップに, 「在宅介護支援センターに所属しているケアマネジャーは信頼していいだろう」と書いてあった.何番目かには, 「民間企業のケアマネジャーはセールスマンになっている可能性があるので気をつけろ」と書いてある.そうなるかどうかは,本人の姿勢の問題になってきますが.
 公平に見ても,在宅介護支援センターという機関が,部分的に民間事業化されているとはいいながら,いわば半官半民みたいな性質を一方では帯びているだろうと考えますので,ケアマネジャーとして求められる公平・中立な立場でぜひものを見ていただきたい.具体的にいえば,自分のところの事業所のサービスを売るセールスマンにはならないという立場.さらに突っ込んでいうと,サービスを提供するクライアントのために自分はあるという視点と自分の足場をはっきりクライアントおよびその家族のほうに置いて,よりよい在宅支援を考えていただきたいと思います.そういう立場を貫けるのは,在宅介護支援センターがいま一番最右翼にいますので,ぜひとも頑張っていただきたいと思います.
 対象外サービス云々という事例においては,ケアマネジャーは,介護保険のために市町村が用意した社会資源だけではその人の生活支援ができないということを,ここらではっきり認識すべきだと思います.したがって,仕事の半分は介護保険用に用意されたサービス資源をうまくとりまとめて利用するということと,もう半分は地域資源というものをどれだけ自分なりに生み出せるのかということであり,ここにケアマネジャーの力が問われてくる,そういう立場にあると考えます.
 こういう面からいっても,たとえば民間企業所属のケアマネジャーは,地域に人のつながりをもって,ボランティア組織を生活支援のために頼んでくるというようなまわりくどい作業はたぶんしないだろうと思います.ところが実際にはそういうサービスだけのケアプランを組んでいると,どう考えてもうまくいかない,あるいは介護費用がべらぼうに高くなってしまうというようなこともあるわけですので,少し公共的な視点をもって,地域の社会資源を開発していくということが必要になってくると思います.
 ◎ケアマネジャーの力量はサービス資源のとりまとめ利用と地域の社会資源の開発にかかる
 ◎サービスの古い体質

 ■サービス(ケア)の質への取り組みを
 ◎古い体質
 これはサービス(ケア)の質とも関係してくるのですが,わかりやすい例をとると,地域資源の開発のなかに,全く新しい資源の開発とともに,もう1つは,既存のサービス資源そのものが資源としてあまり役に立っていないということがあります.これは質の問題とも絡んできます.
 たとえばデイサービスセンター(通所介護)をこの事例で利用しようとしたときに,数年前までは,首都圏のデイサービスセンターは,おむつを着ていると 「受け取らない」というようなところが非常に多かった.さらに膀胱にカテーテルが入っていると,とてもではないけれど,こういう人は世話はできないといって拒否する.あるいは経管栄養のチューブが入っていると,デイサービスセンターではまったく受け取らない.あるいは褥瘡ができていると受け取らないというようなことがありました.
 そういう拒否項目がなくて,運よく褥瘡もなければ管も入っていないという人をデイサービスセンターに送り込んだら,朝から晩まで毎日風船バレーばかりやっているというふうな,サービスの工夫のなさが見られたりもしました.その人に合ったデイサービスプログラムが立てられていないということが結構あったわけです.
 ◎新しい人たちの出現 ◎おむつが外れた例 ◎新しい人たちの出現
 最近,私の身のまわりのホームヘルパーのなかに,新しい人がだいぶ出てきました.どういうことかというと,完全な寝たきりで,おむつをしている.要介護4とか5に相当するような人たちがいたときに,ホームヘルパー(訪問介護員)を介護支援で送り込む.送り込まれるホームヘルパーは,従来ですと,ADLの支援のために,たとえば排泄に関してはおむつ交換をしてあげる.おむつを取り替えて,お尻をきれいにして帰ってくるというようなことが一般的に行われているわけです.
 けれどもちょっと考えかたを進めたホームヘルパーたち,たち というほど多くはないのですが,彼女たちを私はけしかけているのです.要するに介護の専門職であるならば,もうちょっと工夫しろと.あまり大きな声でいってはいけないのですが,本人に向かって 「君はおむつおばさんで終わるつもりか」というわけです. 「どうすればいいんですか」となるので, 「訪問したら,おむつをしている寝たきりの人を見て,おむつを取り替えてあげるというふうな介護援助はもう止める.代わって,もうほとんど便意はありませんので,その人の排便状況をまずアセスメントして,その人は一体何時頃に排便が起こるのかということをチェックする.チェックした後,全介助でもいいからポータブルトイレに移してあげて,ポータブルトイレで排便をしてもらう」.もちろん1回でうまくいくとは限りませんけれども,私の今までの高齢者ケアの経験ではそれを3回ぐらいやるとポータブルトイレで全量の排便ができるということになります.
 その結果何が起こるかというと,その寝たきりの人の排便は,便が出そうな時間帯にホームヘルパーが来てポータブルトイレで始末してくれる.残りのおむつ使用は尿だけになるということになります.これは介護者にとっては大変楽なおむつ使用になります.男性の場合は,適当な間隔で尿器を当てて採ってあげるということで,うまくすると,寝たきりの失禁なのだけれども,おむつはほんの脇役の位置に置かれてくるというようになるわけです.
 こんなことを自分の周辺の人たちに話していきましたら,川崎市のある勉強熱心なホームヘルパーが実践してみたところ,おむつが完全に取れてしまった.自分がまず行って排泄リズムをチェックして,どういう時間帯にポータブルトイレに移してあげれば排便が行われそうだというのでそれをやってみたら,まんまとうまくいった.そうしましたら,今までおむつの中の尻にベッタリウンチをつけた生活だったわけですけれども,本人が 「お尻がすごく快適だ」というのです. 「こんなに気持ちがいいのだったら,わしは便所に行きたい」と.かなり大変な介助ですけれども,やってみたら,トイレまで抱えるようにして行くようにしたら,トイレで排便ができるようになった.それというので,今度は壁に手すりをつけて,なるべく本人が手すりを使って歩ける部分を増やしていく.そして介護者がそんなに大変でないような環境をつくっておいて,何回かトイレに通っている間に,本人のつかまり歩きの能力がどんどん上がっていくわけです.介護者がほんのちょっと腰に手を添えてあげればトイレに行けるようになる.当然その結果として,おむつが外れてしまった,というケースが出てきています.
 ◎資源開発に工夫を
 私が冒頭に介護保険を迎えてソフトが心配だといっているのは実はこういうことなんですね.従来のように介護が単なるおむつ交換,これは1つの例にすぎませんけれども,そういう状況にとどまっていていいのか.そういう準備がなされていないというのは一体どういうことなのだということのほかに,資源の開発であるとか,地域資源を改めて見詰め直していこうというなかに,今いったような,介護サービスそのものがやりようによってはかなり内容を変えて,しかもそれは相手方の生活の向上に役立つような介護というものを実現できるのだと.ケアマネジャーとしての非常に細かいことになりますけれども,これが既存のサービスに対する点検作業になっていく.同じことは訪問看護についてもいえます.また,朝から晩までデイサービスで風船バレーばかりやっているようなところに対しては, 「それでいいのか」ということをわれわれは率直にいわなければいけません.交渉能力をもっているケアマネジャーの手にかかると,今までおむつ着用を拒否していたデイサービスセンターが, 「おむつでもいいですよ」といい始めて,資源の対応能力に幅ができてくる.これもいってみれば資源の開発の1つだということですね.
 ◎地域住民とのつながり ◎独居の安否確認

 ■地域住民と手を組んで
 これからやらなければいけないのは,地域住民とのつながりをなるべくもっていくことです.その地域住民とのつながりのなかから, 「じゃ私も手を貸してあげようか」という人たちが出てくる.
 在宅サービスを割り切って考えると,実際の看護活動であるとか介護活動とみられているサービスの非常に多くの部分は “見守り”です.たとえば完全寝たきりのところに身体介護のホームヘルパーが行っていますけれども,それで1時間ぐらいのサービスをする.窓からジーッと見ていると,おむつ交換は大体4,5分ですんでしまう.食事を食べさせるのも10分か15分もあればすんでしまう.残りは何をしているか? やはり見守りをしているんです.別にホームヘルパーが見守りをしてはいかんということではなしに,在宅サービスのなかで非常に多くの部分は見守りであるということがわかっていけば,その見守りサービスだけをしてくれる地域の人たちが,探してみるといないわけではないということになってきます.
 そういう意味では,とくに独居で安否確認が心配だという事例では,わざわざお金がかかる家事援助のホームヘルパーを利用するのではなく, 「見守りのネットワーク」をつくっていけばよいと考えると,それがかなり有効な社会資源になります.
 住民の方々とつながりをもてば,住民自身がサービスの質についていろんな意見をもっているということがわかってくる.これは自らを戒めるときに,住民の人といつも接点をもっている人は非常に健康的な仕事ができるということです.住民の人たちから率直な意見をいわれて,自分の行っていることが生活感覚的にちょっと偏りがあったりしているなど,いろんなことに気づかされるということが起こってきます.
 ◎見守りのネットワーク ◎市民モニター委員会

 ■質に関する住民の目
 皆さんご承知だと思いますが,元検事であった堀田力さん,あの方がNPOの全国的なボランティアの財団(さわやか財団)をつくっていますけれども,去年の秋から全国に呼びかけてつくろうとしているのが,ボランティアグループでサービスに関するモニター委員会をつくろうということです.モニターボランティア組織ですね.何をやろうとしているかというと,隣の家に来ているホームヘルパーとか訪問看護サービスが,一体適正なサービスを行っているのかどうかということを市民たちがモニターしていこうということです.それを全国的なネットとして展開していこうということを始めています.
 私も個人的に神奈川県の横浜市であるとか川崎市あるいは東京の世田谷区の市民グループに対して,介護保険時代になったら市民モニター委員会をつくろうと呼びかけて,もう既にできてきているところもあります.
 その住民グループが,とりあえず近場のデイサービスセンターに住民のボランティアとして入り込んでいく.そこで何をやっているかというと,デイサービスの職員と利用している人たちの間の人間関係だとか,そこで行われるやりとりというようなものを横で観察しているんですね.市民ですから,モニターするために何かいろんな評価用紙を持ってチェックするなんていうことは一切しません.そこで気がついたことをその場で耳打ちする.
 中心になっているリーダーがいるのですが, 「先生,ともかくひどいものだ.はたちそこそこのお姉ちゃんが」彼はお姉ちゃんというんです,要するにデイサービスセンターの職員ですよ,ケアワーカーのことですね. 「はたちそこそこの鼻水たらしているくらいのお姉ちゃんが,人生の経験を積んだ,ある意味では功なり名を遂げた80歳近いお年寄りをつかまえて,まるで赤ん坊扱いをする」 「わしらはそういう職員に,おまえさん,少し人間というものを見る目を養いたまえ.そして自分が今どういう人に接していて,しかも自分は何のためにそういうことをやっているのかということをわきまえなさい.まず第一は言葉づかいから改めなさい,というようなことをいう」のだと.そのデイサービスセンターは,施設長が開けた考えかたをもっている人のために,地元の住民グループのそういう申し入れに対して非常に前向きに受け止める.だから遠慮なく自分たちはいえるのだけれども, 「まぁしかし,ああいうところは,いってみればお年寄りの牢獄みたいなところになりかねないね」というようなことをいうんです.
 ◎サービスの質に関する住民の目
 こういう住民ならではのもっている健康的な発想,そして彼らはもうあまり遠慮しませんので,一見遠慮するようないいかたをしながら,あまり遠慮しないでそういう発言をしていく.
 私たちがこれからいくらサービスの質をよくしようとしても,私たちの立場でできることとできないことがある.そのできない部分を市民のそういう活動に委ねて,モニターしてもらう.具体的には自分たちのやっていることについて,住民の皆さん方はどう思っているのか,というようなことをしょっちゅう聞いて歩くぐらいの姿勢,あるいは地元にボランティアグループがあったら,サービスがいいかどうか少し見てくれませんかということを率直に頼んだほうがいい.それが自分自身を向上させていくことになるのだろうと思います.
 とくにサービスの質について,私たちはなるべく苦情を掘り起こすようにしなければいけない.苦情をあえて掘り起こすというのは,サービスを受けている人のなかに相当多くの不平不満や苦情があるのが事実だからです.この掘り起こしをやらないと,自分のやっているサービスが本当のところ相手に一体どういうふうに受けとめられているのかよくわからないということがあります.こちら側がこういうサービスを用意しているから,受けてみたらどうですかといったときに,それを拒否するケースはいっぱいあるのです.

 ■苦情を掘り起こす 拒否や困難事例 信頼関係ができていない 受けているサービスへの評価 拒否や困難事例の3つの原因
 ◎信頼関係ができていない
 拒否の経過をよく見ていきますと,ケアマネジャーおよびサービス提供者(訪問看護婦とかホームヘルパーという人たち),とくにケアマネジャーと相手方との間に信頼関係が全然できていないというのが困難事例のまず最初の原因として挙げられます.相手はケアマネジャーのいうことを信用していない.だからその人がいうサービスなんか受け入れるはずがない.
 ◎受けているサービスへの評価
 もう1つは,これはかなり深刻な問題なのですが,介護保険になったからといっても,サービスを受ける人はすでにサービスを受けている人であることが非常に多い.ほとんどがそうだと思っても構わない.そのときに,今までのサービスがどうだったかということが,新たなサービスの変更だとか組み直しに対する非常に大きな拒否の原因をつくっているということがあります.
 率直にいえば,役に立っていないサービスをずっと受けていた人は,サービスを受けることそのものに対して全然信頼をもっていない.表面的にはサービスをやっている,かなり手厚いサービスをやっている.先ほどの川崎市のケーススタディに出た,総額62万円のサービスで想像つくように,めったやたらいろんなサービスが入り込んでいるわけです.けれども生活状態は何も変わっていない.つまりニーズがつかまえられていないのです.
 ああいうサービスをこれまで何年か受けてきた介護者たちは,確かに自分たちのところにホームヘルパーは来ているのだけれども,ホームヘルパーが来たからといって,何が楽になったかわからない.要するに汗水垂らして介護に苦労していた自分が,ホームヘルパーが来るようになって2人で汗水垂らしているだけのことだ.ホームヘルパーが来たからといって,自分が助かったという実感がないんですね.所詮役所のいうサービスなんてこんなものだと思い込んでいるわけです.
 そこへ新たにケアマネジャーが行って,たとえ 「実はよく考えてみたら,サービスはこうしたほうがいいと思うのだけれども」という話をしたにしても, 「いや,また同じことだろう」というようなことになって,その新しい提案は拒否される.ついでに,自分の気に入らない現状のサービスも拒否していく,ということが起こってきます.
 少し若い介護者,といっても50代とか60代前半の介護者は露骨にいいますね. 「もういいです.今までホームヘルパーさんに来てもらっていたけれど,また何か最近,こういうサービスがいいよといってこられましたけれども,私はもういいですから,どうぞ構わないでください」と.これはそれまでのサービスがその人たちにとって何の利点も産んでいない.だから向こうに三下り半を突きつけられてしまった,ということです.
 ◎固定的イメージを変えるべきものがない
 3番目は,サービスを受けていなかった人,あるいは間違ったサービスを受けていた人,長年寝たきりや痴呆の人を抱えて介護に苦労を重ねてきた家族の多くは,自分たちの生活に対するある種の固定的なイメージをつくり上げてしまっている.こういうケースでは外から感じるものとして,この家はずいぶんガードが堅いなという印象があります.それは彼らなりの生活イメージというものをつくり上げてしまっているからです.そこに新たにケアマネジャーとして生活状況を変え得るようなものを提案していっても,家のまわりの壁が厚すぎて,一向に中に入っていけない,というようなことが起こってくるわけです.
 以上が拒否や困難事例の3つの原因になってきます.
 ◎対人サービスでは信頼関係が大原則 ◎コミュニケーションは信頼関係から対人サービスの本来の姿 ◎コミュニケーション 信頼関係
 さてそこで,改めて対人サービスの本質を具体的なわれわれの活動のなかで照らし合わせながら見ていきたいと考えます.何よりも大事なのは,コミュニケーションです.コミュニケーションのある種の姿として信頼関係をとっていくことがあります.信頼関係がつくれない援助者と被援助者の間柄では,いいサービスの展開は絶対行われないということになる.
 ケアマネジャーとしてクライアントを担当したときにまずやるべきことは,アセスメントチャートを持ち込んで,情報を集めてケアプランを立てることではなくて,信頼関係をどうやってつくるかというところに初めのエネルギーが注がれなければいけないということです.
 具体的にいうと,今度来たケアマネジャーの人は何か頼りになりそうだという印象を相手がもつかどうかということです.あるいは今度来たケアマネジャーは私たちのことを本当によくわかってくれている人だ,あるいは自分たちのことを一所懸命わかろうとしてくれているという実感を相手がもつかどうかということです.これが信頼関係ということなんですね.これは対人サービスにおいてはどんな分野でも大原則です(図1).
 私は医者でふだん医療をやっているのですが,患者さんとの間のコミュニケーションがとれない医療はまず医療として成立しない.なぜかというと,患者さんを診察するときに,患者さんと医者の間にコミュニケーションができないと,患者さんは極端な場合,いいたいことをいわない.お腹が痛いといって医者の前に出てきたのだけれど,実は3日前から背中の後ろのほうも痛かった.
 図1 対人サービスの体質の基本的要件
 そしてその前の日は下痢をしていた,というふうなことを本当はいいたいのだけれども,今日の外来の医者は何か気難しそうで,そんなことはいえないみたいな気持ちになる.そうすると患者さんは,ただお腹が痛いということしか伝えない.実は診断のためには,お腹の痛みの前に背中の奥のほうが痛かったり,あるいはその前に下痢をしていたということが非常に重要な情報として診断を左右しかねない価値があるのに,コミュニケーションが断絶していると,そういうようなことがいえないということです.
 最近の医療というのは,検査医療というのでしょうか,一言しゃべるともう 「はい,心電図」 「はい,血液検査」 「はい,レントゲン」というふうになっていますが,ああいう形では本当の医療というのはできないのです.優れた診断を立てるためには,まず信頼関係をとる必要がある.これは医療がとくにそうであるというのではなくて,対人サービス全般についていえることです.
 ◎ニーズを素早く見抜く
 そういうところで,コミュニケーションをしっかりつくった後で,ケアプランを立てていく.これはしかし手早くやってみる.手早くやるために,何が皆さん方に求められるかというと,相手を見た瞬間にニーズがわかるようになるということです.
 ニーズを見抜くというのは,アセスメントチャートに振り回されない限り,あまりむずかしくないのです.私のチャートも含めて,チャートに振り回されすぎるからニーズがわからない.チャートを記載するのに一所懸命になりすぎてしまって,日照りの中を走っているトカゲみたいに,ちょっと走るとすぐへたばってしまうということが起こってくる.
 われわれがこれからトレーニングを積むのは,ニーズが一体どこにあるのかということを一目見た瞬間に見抜く,あるいは一言二言状況を聞いただけで,ニーズの所在をパッパッとつかみとるという訓練です.
 ◎ニーズを素早く見抜く ◎モニタリング--フォローアップが大切 ◎モニタリングフォローアップが大切
 さらにその後に実際のサービスが展開されるわけですが,今までそれほど重視されていない作業として,モニタリングが非常に大事だということがあります.これからケアマネジャーの仕事は,どうやって信頼関係をつくるかということからスタートし,ケアプランを経て,サービスが提供され始めた後に,どれほど綿密にモニタリングをしていくか.別な言葉でいえばフォローアップしていくかということにかかってきます.
 イギリスのケアマネジャーの仕事の中身を聞くと,彼女たちの一日の仕事の作業のなかで,モニタリングが3分の1を占めているといっています.そしてシステムとしてモニタリングというものを非常に重視しています.モニタリングのためのシステムができているのです.サービスが始まった後に,モニタリングを非常にきめ細かくやっている.毎日でも 「どうですか」と聞いていく.それは電話でもいいし,訪問して現場を見てもいい.方法はさまざまです.どういう方法をとるかということはまたケアマネジャーの力量あるいは判断力です.このケースは見に行かないとだめだというケースもあるし,このケースは電話で状況を聞けば大体足りるだろうというケースも出てきます.
 そういうふうにモニタリングしていると,皆さんも想像がつくと思うのですが,だんだん生活状況が安定していきます.ほぼ安定した生活,しっかりした生活ができたので,これでもうモニターしなくてもいいとなると, 「モニタリングの終了」ということになります.これはイギリスの話ですけれども, 「モニタリングの終了報告」というのを出します.それを出すと,今度は半年ごとのレヴューと向こうではよんでいますけれども,定期的なチェックに委ねられていく.それまではケアマネジャーが一所懸命モニターしていく.
 私はこのモニタリングが利用者との間の信頼関係をより安定させていく非常に重要なことだと思っています.サービスが始まって, 「今日ホームヘルパーさんがいらしたけれど,どうでしたか」ということをケアマネジャーが聞くかどうかですね.それを聞いてあげると,相手方は, 「あぁ,このケアマネジャーさんはホームヘルパーさんが来るようになっても自分たちのことをこういうふうに気にかけてくれている」と思う.そこで 「初めてだからしようがないと思うのだけれど,今日のホームヘルパーさんのこういうことにちょっと私たちは戸惑った」ということを聞くことがあります.これが苦情なんですね.
 苦情というのは,正面切って喧嘩腰でくるのではなくて,相手のちょっとした,こういうことはちょっと困るとか,あるいはこういうことで私たちはちょっと戸惑ったことがある.こういうようなことをわれわれは逐一ピックアップできるかどうかというようなことが,これからの仕事として非常に大事なことなんだということになります.ぜひモニタリングをしっかりするようにしてください.
 ◎モニタリングの意義 ◎モニタリングの意義,エンパワーメント
 それを少し分解して見ていったものが図2です.これはなぜモニタリングが
 図2 家庭生活のダイナミズムへの着目
 大事かということを説明しようとした図です.私たちでもそうですし,要介護の家庭でもそうですが,今している生活にホームヘルパーが来たり,訪問看護婦が来始めるというサービスが提供されると,生活が変化していくんですね.
 ◎サービス提供と生活の変化
 具体的には,月水金の昼頃,2時間ずつホームヘルパーが来るようになったということは,この家の家庭生活がホームヘルパーが来るということによって変化していく.月水金の昼前後というのは,介護している人が介護するという役割をいったんホームヘルパーに譲れる時間,おおげさにいえば役割の変更が一部起こってくるということになってくるわけです.これは大きいか小さいかは別にして生活が変化していくことにほかならない.あるいは週のうち3日か4日は配食サービスがあって,そのときは食事をつくらなくてもすむということも,サービスを通して生活が変化していくことです.
 それに対して,生活者はそういう変化に対して必ず適応していくことを求められる.端的にいうと,適応が強制されていくんです.月水金の午前11時から午後1時までの2時間,ホームヘルパーが来るようになった.その受け手の家族と本人はそういう状況と,来るホームヘルパーという人に対して適応していかざるを得ないということが起こってくる.サービスというのは常にこういうものを含みながら展開していく.生活があって,サービスがあって,生活が変化して,家族たちはそれに適応せざるを得ないということが起こってくる.
 ◎家族の適応 ◎エンパワーメント
 この適応の仕方が生活の改善,生活の向上に向くようになっていけば,サービスは非常に大きな意味をもってくるわけです.たとえば週に3回ホームヘルパーが行ったからといって,その人が1週間必要とされる介護量の大きさからみると,ホームヘルパーがやっているサービスは全体の10分の1の介護量しか負担していないということは十分にあるわけです.けれども,ホームヘルパーが援助に行くこと,あるいは司令塔としてケアマネジャーがサービス全体の采配を振るい,ホームヘルパーが来るサービスを開始して以来,ときどき 「どうですか」と様子を尋ねにくる.そういう状況のなかで,家族がまだまだ自分たちもやれるのだ,あるいはもう少し頑張って在宅で生活できるようにもっていこうというふうにプラスの思考だとか態度・行動というものを身につけていくならば,これはサービスがたとえ必要な介護量の10分の1しか提供していなくても,大きな効果があるということになります.
 逆に,サービスを提供したときに,ますます他者依存的になって,どんどん自分たちの生活に対する実感だとか,これぐらいは自分たちの力で何とかなるはずだというようなこともつぎからつぎへ放棄していくようなケースが出てくる.これはマイナスの方向に向いているわけです.これも適応の姿なんです.つまり適応の仕方としてある場合にはプラスのほうに向き,ある場合にはマイナスのほうに向くということになってくる.
 そういう生活の総合的な変化というものを,私たちはプラスの方向に向けていくのが理想的な姿となるわけです.そのためにケアマネジャーというのは非常に重要です.最近の社会福祉のはやり言葉では,サービスだとか人的な接触,そのなかで行われるコミュニケーションや信頼関係,共感を通して全体的な生活力が上がっていくという事実を指して,エンパワーメントという言葉をあてはめている.要するに力づけられる,力をつけていくという概念です.もはやまわりの力にあまり以前ほど頼らなくても自立的な生活力を増やしていく.もちろんサービスは受けているのだけれども,自分たちが自分たちの生活の主役なんだという雰囲気を,以前よりも強めていくということをエンパワーメントとよんでいるわけであります.
 ◎広がるケアマネジメントの世界

 ■今後拡大していくケアマネジメントの世界
 それからもう1つ,今皆さんがケアマネジメントをやろうという対象者は高齢者ですね.ところがすでに障害者のケアマネジャー,障害者のケアマネジメントという話が出きてきている.当然その先には障害児,さらにその先に精神障害者というケアマネジメントの世界が広がっていく.これはもう疑いようもない自然のなり行きなんです.もともとケアマネジメントを高齢者の世界に限っているほうがおかしかったということになる.
 イギリスのケアマネジメントは,あらゆる社会的援助を必要とする人たち全部が含まれています.もちろんエイズの人も入っている.昨年あたりからホームレスの人も入っていますね.障害児,障害者,高齢者,薬物依存,アルコール中毒,痴呆性老人,精神障害者,そのほかにエイズ,イギリスは多民族国家ですから,民族的に人種差別に遭うような文化的な弱者,そういうような人たちまでケアマネジメントの対象になっている.
 これが本当のケアマネジメントだと私は思っている.だから日本も遅ればせながら,高齢者からスタートして,すでに障害者には着手している.やがて障害児,そして精神障害者に至るだろう.そうすると,皆さん方はケアマネジャーとしては,非常に広い世界で活躍するということになってくる.
 私は川崎市の障害者ケアマネジメントの研修も相談を受けながら手がけ始めているのですが,役所は困っているんです.高齢者のケアマネジャーはいっぱいつくったけれど,障害者のケアマネジャーは誰にやってもらうか.私は,そんなことは簡単なんだ.高齢者のケアマネジャーの資格をもって仕事をしている人に障害者のケアマネジャーも一緒にやってもらう.川崎市としては高齢者ケアマネジャーに障害者のケアマネジャーも引き受けてもらうことで,市が予算措置を講じればよい.それによって新たに障害者ケアマネジャーを雇用する必要はない.すでにある高齢者ケアマネジャーにもう1つの仕事としてやってもらう.だから市の財政措置が少なくてすむ.
 一方,引き受けるケアマネジャーは,介護保険の報酬があまり高くないことに対する補填的な新たなケアマネジャーとしての報酬財源を見つけることができるということになってくる.三者共みんな助かるではないかと思います.
 そういうようなことで,ケアマネジャーの今後の展開にはかなりおもしろい世界も出てくる.だから今のうちに仕事をきちんとする.
 さて,こういうことを少し土台に踏まえながら,むずかしい事例の検討に入りますけれども,そのむずかしさのなかに自分たちのつくったケアプランの間違いが潜んでいないかどうかという点検もしていきたいと思います.そうしませんと,みんな相手がわるい,あるいはほかに資源のない地域がわるい,というふうに他人のせいにしてしまう.これではあまり事態は進歩していかないということになります.
総論 介護保険制度とこれからの在宅介護支援センターのありかた…竹内孝仁
介護保険始まる
能力の低いケアマネジャーの特徴
多様な所属の中で―在宅介護支援センターへの期待
サービス(ケア)の質への取り組みを
地域住民と手を組んで
質に関する住民の目
拒否や困難事例の3つの原因
対人サービスの本来の姿
今後拡大していくケアマネジメントの世界
〔付〕高齢者ケアマネジメントニーズ一覧表

事例研究-1 寝たきり予防に対応していないサービスの事例
事例研究-2 民生委員との協力で生活改善に取り組みつつある事例
事例研究-3 寝たきり・痴呆の予防に成功した事例
事例研究-4 地域で介護予防の新しい活動を始めた事例
事例研究-5 町のインフォーマルサポートの取り組み
事例研究-6 「自立」と判定されたモデル事業利用者への取り組み
事例研究-7 独居で「自立」しているがあちこちに問題をもつ超高齢者の事例
事例研究-8 ケアハウスへ入居希望した軽い痴呆のある高齢女性への取り組み
事例研究-9 給付対象サービスが不足しているため対応できない事例
事例研究-10 介護者依存度の高い四肢麻痺利用者にピアカウンセリングを勧める事例
事例研究-11 サービス利用を本人が拒否している事例
まとめ まとめのレクチャー

企画の意図 「あんたが一番の頼りよ」といってもらえるために
本当に利用者主体の仕事をしているか 新谷恭規