やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

原著第3版の序
 この第3版は疼痛性で障害を起こす疾病の評価,診断および治療における最新の考え方を反映させるために全体的に改訂されたものである.はじめの2版が広く受け入れられたということは,一般開業医,カイロプラクター,理学療法士,作業療法士,スポーツトレイナー,産業医,弁護士や労災補償の助言者たちが日常の業務において軟部組織損傷が主役を果たしていることを認めているのが明らかになったということである.
 今日,機能障害や能力障害の治療において痛みは重要な考慮の対象である.日常のケアの焦点は,機能に関して,痛みを最優先的課題として対応してきた.しかし競技により早く戻るということが目標となるスポーツ損傷の出現で変化しつつある.仕事への復帰が労働災害で受傷した人々でもまたケアの主目標となってきた.
 マスコミでは損傷の莫大な社会への負担が詳しく報道されている.国会の場では医療関連職だけでなく一般市民も議論に注目している.
 国全体の問題としての展望を考えるのに,1992年1アメリカ政府の健康福祉行政サービス部は筋骨格系損傷の役割を強調した.1993年には「国立職業安全および健康研究所」(NIOSH)が「仕事に関連する主要10疾病および損傷の提案リスト」を研究・発表し,その全部ではないとしても大部分が軟部組織に関係ありとしている.
 次のような統計結果が示されている.
 1)筋骨格系の損傷が就労期において能力障害を起こすにいたる代表的な原因であり1,900万人が損傷を受けるが(5項参照),これは就労人生のどこかで労働力の約半分に近い者が侵されているということである.
 2)人生の質(QOL)に影響を及ぼすもののなかで筋骨格系損傷が健康問題の第1位に位置づけされている.
 3)労働者の収入や補償に基づいた筋骨格系損傷の費用は他のどんな単一疾病をも凌いでいる.
 4)年間労災の補償費として支払われている金額の1/3を筋骨格系損傷が占めている.
 5)ある種の産業でより多くの老齢労働者が手作業をやっているので筋骨格系損傷が増大すると考えられている.
 費用の推定には差があるが,多くの専門家はアメリカにおいて毎年200億ドルから400億ドルの間で労災の医療費が支払われていると信じている.失われるQOLの価値については推定されえないほどである.
 特に軟部組織に関連した反復性のストレス損傷が頻度と程度も急速に悪化していて不快感,能力障害および医療費や補償費で考えると社会へ莫大な費用を強いている.「ウォール・ストリート紙」(1994年7月14日)は,“手に負えないもの 伝染病または一時的な流行?反復性ストレス損傷についての論議が盛んになっている“という見出しのリード記事を掲載した.この記事はそれが“……数百万ドルの疑問である”と主張している.
 記事によると,反復性ストレス損傷(RSD)または蓄積性外傷損傷(CTD)は大部分パソコンを使うオフィス就労者を侵すが,他の職種も苦しむことがあるという.肉の包装工場では10,000人中1,396人,新聞社では10,000人の従業員のなかで44名がこの状態であった.記事の筆者はさらに次のように述べている.“……RSDの予防は主として簡単な運動力学の問題で,仕事の役割と仕事場の調整である.陪審はどのような運動力学的配慮がどれだけの助けになりうるかを判断しようとしていないし,……スプリントや手関節の安静などのような通常の治療法は現実的に症状を悪化させることがある.”
 これら医学的な状況がRSDにより開始されたり増悪したりする軟部組織の問題としてその重度について「ウォール・ストリート紙」が思案するのであれば,専門的な臨床研究が正当化される.
 軟部組織の痛みや機能障害がかなり正当に研究され,その結果が示されている.この小本はこれら損傷について,その原因,機序,およびマネジメントの完全な最新改訂を目的とするものである.痛みは私自身によって他の本2で分析されているが,機能障害とその結果として起こった能力障害がこの本の焦点となっている.
 レネ・カリエ


第3版への訳者の序
 『肩の痛み』に始まり,この“痛みシリーズ”とのお付合いがすでに30年になる.カリエ先生がまだ現職教授で現在のロイス夫人と再婚される前からのチームワークなので,まさに感無量である.訳者が日本に帰国した頃は手紙による打合わせであったものが,今は電話,ファクシミリ,インターネットと全く便利な世の中になり,原本のミス,単語の確認など短時間で可能になっているし,今後はゲラの段階で訳を開始すれば同時出版も可能であろう.英語圏ではそれぞれがミリオンセラーであり,リハビリテーションの哲学がわかりやすく,親しみやすいイラストによる機能解剖が充実していて,実際の臨床の場で手軽に役にたつという便利さが世界的に受け入れられたのであろう.
 今回この改訂版は“痛みシリーズ”の集大成ともいえるもので,特に痛みのメカニズム,心理的側面,自律神経の関与なども新たな章が設けられ,あらゆる医療職,医学徒に大変有益な内容である.仏語と英語にバイリンガルのカリエ先生は,世界中より集めた文献を読破され,エッセンスを紹介してくださっている.痛みのメカニズムに関しては新知見の記載も多く難解なところもあるが,現在までに判明,解明されているいること,今後の研究課題などが明確にされている.さらに,特別のテーマを追究される学徒にとり豊富な文献リストはまたとない糸口であり,直接著者等にコンタクトがとれる時代である.
 しかし,カリエ先生も案じておられるように,いろいろな検査法,器具が開発されて情報が増えても,それらのデータが実際の臨床面でどれだけ役にたつかは疑問である.腰痛に関しては年間世界のジャーナルでいわゆる新知見として7,000編近くの論文が発表されても,治療の内容を直接向上させるものは皆無といってもよい.またスポーツ医学の普及により,一時期は猫も杓子も膝の関節鏡による半月板や棚の切除に走っていたが,最近では半月板にも再生可能の断裂があり,保存的治療の適応もあるため,不必要な手術が過剰に実施されるのも逆にスポーツ選手の寿命を縮めかねないとされている.軟部組織損傷は99.9%痛みを伴うので,慢性化させぬことを主眼に治療すべきである.この本で労災や補償の問題,さらに精神心理面が取り上げられているが,国情の違いがあるにしても,その考え方,アプローチは参考になりうるので,この点を前提にお読みいただきたいと願っている.
 1996年にわが国でリハビリテーション科が正式な標榜科に認められたが,その過程で安易に臨床認定医の数を増やしたつけが将来問題になりうるであろう.特に,他科より信頼され,コメディカルの要としての責任を果たすリハビリテーション医のレベルは常に高いものを保つべきである.PT・OTは養成校が100校を越え,教師の分散,渡り鳥教員の増加が現実となり,レベルダウンは避けられないし,准看の二の舞となりかけている.STも妥協の産物として信頼できるかどうかはっきりしない低レベルの資格のスタートのようである.介護保険制度を発足させるにしても,介護の必要度を誰がどんな方法で決めるのか難問である.厚生省はケアマネジャーのような資格をつくる考えのようであるが,よくも次々とナンセンスな発想を紙の上で考えるものだとあきれている.同じ敗戦国のドイツは1人1部屋占有スペース政策を達成させているし,東ドイツも吸収して経済的困難も乗り越えて着々と社会福祉の充実を進行させている.過半数の国民が欧米と比べればまさに兎小屋に住んでいるわが国で家庭介護,訪問リハビリなどのシステムを確立させるのは夢のまた夢で,もっとましな政治,もっと豊かさを感じられる住宅政策が何よりも先決であろう.
 リハビリテーションのあらゆる面で軟部組織の痛みやそのための機能障害についての基礎的知識は重要であるし,この書が自己研鑚の糧としてお役にたてれば幸いである.この全シリーズ(改訂版すべてを含み)の出版にご尽力戴いている医歯薬出版(株)および担当してくださっている方々に深謝する次第である.
 1998年初春
 米国リハビリテーション学術アカデミー正会員・医学博士
 荻島秀男
軟部組織の痛みと機能障害 原著第3版 目次

原著第3版の序(レネ・カリエ)
第3版への訳者の序(荻島秀男)

第1章 痛みの機能障害の概念
 ・結合組織
 ・安静や損傷が代謝に及ぼす影響
第2章 痛み--メカニズム,評価,およびマネジメント
 ・神経解剖学的根拠
 ・調整
 ・痛みの受容における大脳皮質の役割
 ・慢性の痛みのメカニズム
 ・交感神経を介して伝達される痛み
 ・反射性交感神経性ジストロフィーにおける痛覚過敏症
 ・慢性疲労症候群
第3章 軟部組織機能と痛みにおける筋の構成要素
 ・筋紡錘細胞:ガンマ系
 ・線維性筋痛症候群
第4章 治療手段
 ・薬理学
 ・物理的介入
 ・運動療法
 ・徒手療法
 ・鎮痛的神経ブロック
第5章 腰痛症
 ・機能解剖
 ・正常のボディ・メカニズム
 ・病歴
 ・腰痛患者の診察
 ・痛みの組織部位およびそれらの症状
 ・腰部椎間板の痛み:その診察
 ・標準的な診察での検査
 ・筋力テスト
 ・客観的な神経学的診察
 ・腰痛の治療計画
 ・痛みの治療における鎮痛神経ブロック
 ・急性腰痛の運動療法
 ・マニピュレーション
 ・脊椎管狭窄症
 ・脊椎分離症および脊椎辷り症
 ・梨状筋症候群
第6章 頚部および上背部の痛み
 ・上部頚椎機構
 ・下部頚椎筋の評価
 ・頚椎の診察
 ・臨床的疾患
 ・神経学的検査(頚椎より出る神経)
 ・頚髄の病変
 ・椎間関節注射
 ・側頭下顎関節痛(TMJ症候群)
 ・上部胸部痛
第7章 神経血管圧迫症候群
 ・胸郭出口症候群
 ・前斜角筋症候群
 ・肋鎖症候群
 ・過外転症候群
 ・上腕神経叢損傷
 ・幹部の病変
 ・索部の病変
 ・上腕神経叢圧迫
第8章 肩の痛みと機能障害
 ・臼蓋上腕関節
 ・肩の脱臼
 ・肩鎖関節
 ・胸鎖関節
第9章 肘関節
 ・外傷
 ・神経損傷
第10章 手関節と手の痛み
 ・手根管症候群
 ・円回内筋正中神経圧迫
 ・前骨間症候群
 ・尺骨神経圧迫
 ・肘管症候群
 ・腱の問題
 ・骨折および脱臼
第11章 股関節の痛みと機能障害
 ・機能解剖
 ・股関節の動き
 ・股関節の痛みの機序
 ・骨盤の外傷
第12章 膝の痛み
 ・靭帯
 ・半月板
 ・膝への神経支配
 ・筋群
 ・機能解剖
 ・膝蓋大腿関節
 ・膝の痛みと機能障害の臨床的評価
第13章 足および足関節の痛み
 ・足
 ・足関節
 ・足関節損傷
 ・距骨下関節
 ・疼痛性の足
 ・横足根関節
 ・アキレス腱の断裂
 ・糖尿病の足
 ・装具
第14章 カウザルギーおよび他の反射性交感神経性ジストロフィー
 ・反射性交感神経性ジストロフィー
 ・下肢における反射性交感神経性ジストロフィー
 ・下腿―足関節―足RSD症候群
第15章 軟部組織の痛みの心理的概念
 ・狼狽性疾患および不安疾患
 ・痛みの行態
 ・慢性の痛みを伴う患者における心理テスト
 ・2次的利益の概念
第16章 労災補償
 ・制度上の問題点
 ・提案される改善策
 ・能力障害と機能障害
 ・医学的報告
 ・職業的筋骨格系疾病の臨床的評価に関する生体工学的アプローチ
第17章 軟部組織の痛みと機能障害の神経筋骨格系の基礎
 ・伸張反射
 ・脊髄上運動神経
 索引