やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文

 「脳血管障害の理学療法―片麻痺患者の運動療法を中心に―」をまとめることになった.これまで,脳血管障害(片麻痺患者)に対する運動療法として種々の理論と技術とが開発されてきた.それらのなかには,現在でも用いられているもの,そうでないものがある.
 筆者が理学療法士になって30年になる.その間,脳血管障害に対する臨床経験が大半を占める.当初は大学で学んだ内容をそのまま素直に適用していたが,臨床経験を重ねるに従い,自分なりの問題意識が明らかになってきた.そこで大学で学んだ内容を再検討すると同時に,各種神経生理学的体系を含め運動療法体系の背景を再学習した.それと並行して,脳血管障害の障害構造(評価システム)および解剖学,生理学,運動学などの側面から脳血管障害に対する理論の構築や技術の工夫および研究などに関心を傾け,学術集会やジャーナルなどで報告してきた.
 脳血管障害に対する運動療法としては,筋力増強を主体とした伝統的なものから,いわゆる代表的神経生理学的体系として,Kabat,KnottらによるProprioceptive Neuromuscular Facilitation(PNF),Bobath夫妻によるNeurodevelopmental Treatment(NDT),Brunnstrom,そしてRoodによる体系などがある.
 これらの一連の体系の有効性に関する研究によれば,かならずしも特異的な効果があるとの報告はみられない.しかし,それらの報告の効果判定の基準,治療期間,対照群の分類などに種々の課題を残していることも否定できない.さらに,各種神経生理学的体系の効果の比較検討を体系別,かつ包括的に行うこと自体の妥当性に疑問を感じている.その理由は,それぞれの体系に含まれる治療的諸要素は,個々の患者のニーズに応じて個々に使い分けるのが妥当と考えるからである.
 近年,Evidence Based Medicineといわれるように,理学療法士が行う運動療法もなんらかの効果に結び付かなければその意味を失うのはいうまでもない.しかし,その科学的効果判定については,研究方法の条件としてのcontrol studyや対象の選定,治療条件の統一,さらに盲検法などの実施がきわめて困難なことから未解決の状態である.このように臨床研究における客観的効果判定のむずかしいことから一部の医療技術の発展は,被験者を特定の人工的状況下に置いて,実験的に検証されてきた.さらに,人の生体で実施不可能な研究については動物実験により検証されてきた.よって,理学療法士はそれぞれの立場で健常者および患者を対象にして特定の状況下,もしくは刺激・運動情報に対する生体の反応の検証や動物実験におけるミクロレベルにおける研究を行い,それらの結果を蓄積する必要がある.このような傾向は理学療法士による近年の研究報告のなかに散見するようになった.今後の格段の進展に期待したい.
 このような段階において,十分に検証されているとはいえない内容の書物を世に出すことは心苦しい.しかし,本書では脳血管障害に対するすベての項目を網羅するのではなく,これまでの筆者の臨床経験,仮説,技術の開発・工夫,そして研究などを通じて得た知見や見解を中心にまとめ,読者が各自の臨床,研究を展開するうえでなんらかの参考になればとの願いを込めて,ここに提示することにした.いつの日か理学療法士らの英知によって,より多くの人々が納得できる脳血管障害に対する運動療法体系が確立されることを期待したい.ただし,それは「医学モデル(要素還元論)」に限定した体系にとどまらず,「生活モデル(システム理論)」として,対象者の人間らしい社会生活にもつながるものであることを祈念する.
 2000年7月 奈良 勲

 あなたのそばで
 再生も治癒も
 生きる勇気も
 それらを支えるのは
 あなたに宿る生気です.
 私にできることは
 あなたのそばで
 その覚醒を
 援助するだけです.
 奈良 勲
 序文

第1章 正常な身体運動の基本要素
 1.二足歩行で移動するヒト
 2.主な基本要素
  1)筋力(muscle strength)
  2)持久性(endurance)
  3)リズム,スピード(rhythm,speed)
  4)柔軟性(flexibility)
  5)姿勢調節(postural control)
  6)協調性(coordination)
  7)巧緻性(skill)
  8)姿勢(posture)

第2章 脳血管障害の障害構造と機能診断
 1.痙性麻痺
  1)痙性麻痺による障害因子
  2)痙性麻痺の評価
 2.異常筋緊張
  1)異常筋緊張による障害因子
  2)異常筋緊張の評価
 3.運動のスピード
  1)運動のスピード低下による障害因子
  2)運動のスピードの評価
 4.運動の持久性
  1)運動の持久性低下による障害因子
  2)運動の持久性の評価
 5.運動の協調性・巧緻性
  1)運動の協調性・巧緻性低下による障害因子
  2)運動の協調性・巧緻性の評価
 6.姿勢調節
  1)姿勢調節機序の低下による障害因子
  2)姿勢調節の評価
 7.生命機能
  1)生命機能低下による障害因子
  2)生命機能の評価
 8.二次的障害
  1)痛み
  2)変形
  3)関節可動域
  4)循環障害

第3章 脳血管障害の運動療法の概念
 1.運動療法の原則
 2.認知理論
 3.中枢神経疾患の運動療法の原則
 4.各種神経生理学的体系の特性
  1) 各種神経生理学的体系に含まれる治療的要素
  2) 理学療法における治療的要素と理学療法士の役割

第4章 脳血管障害に対する運動療法の実際
 1.脳血管障害をどうとらえるか
  1)異常も正常
  2)身体は一体
  3)静から動へ
  4)角運動を確保する(柔軟性)
  5)症例に応じて基本方針を定める
  6)重要な生命機能と姿勢調節
  7)実用歩行
 2.体節部の保持機能
 3.リズム的安定化の実際
  1)頸の安定化
  2)体幹と骨盤帯の安定化
  3)股関節の安定化
  4)膝関節の安定化
  5)立位での安定化
  6)肩関節・肩甲帯の安定化
  7)肘関節の安定化
 4.関節可動域運動
  1)頸部
  2)体幹と骨盤帯
  3)肩関節
  4)前腕
  5)手関節
  6)手掌,手背の組織
  7)中手指節(MP)関節,指節間(IP)関節
 5.運動障害
  1)歩行パターンの誘発
  2)下肢PNFパターンの修正
  3)上肢PNFパターンの修正
  4)反射を利用した運動の誘発
  5)体幹・骨盤帯コントロール
  6)膝立ち位
  7)立位での歩行パターンの誘発
 6.平衡運動反射および立ち直り反射・反応
  1)眼球運動の改善
  2)眼からの立ち直り
  3)防御伸展反応による麻痺側上肢の伸展誘発
  4)座位での頭からの立ち直り
  5)膝立ち位による平衡運動反射・立ち直り
  6)足踏み反応(stepping reaction)の誘発
  7)立ち直り反射・反応による足関節背屈
 7.脳神経系障害への対応
  1)眼筋
  2)顔面筋
  3)咀嚼筋
  4)舌筋
 8.装具と寒冷療法
  1)semi-long leg brace
  2)寒冷療法

 後書き
 索引