やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

第2版の序
 本書の第1版が発行されてからすでに7年が経ちました.この間,言語聴覚士資格の制定やリハビリテーション施設・病院の再編成,介護保険制度の充実など,言語障害の臨床に関わる者にとっておそろしいスピードで環境の変化が続いてきました.また,全体構造法を知ろうとしてくださるST,医師,看護士,保健婦,失語症の患者さんやそのご家族の方々が年々増加し,本書は幸いにも多くの読者を得ることができました.人間の言語活動の本筋に戻って言語治療を考えてくれる仲間が増えていくことに,未完な全体構造法が幾分でも貢献できたことは大きな喜びです.
 ご存知のように全体構造法はまだまだ発展の途上にあり,この7年間にも少しずつ新たな研究の蓄積が増え,全体構造法を行うSTの技術も向上しています.このため特に第3章の症例を中心に改訂の構想がしばらく前から立てられ,医歯薬出版の熱意のおかげで今回ようやく出版にこぎつけることができました.
 改定にあたり,全体構造法の基本理念は変わらないため「第1章:全体構造法とは何か」にはほとんど手をつけていません.「第2章:全体構造法の手技」と「第3章:症例をとおして学ぶ」では内容の補填,執筆者の変更や症例の入れ替えなどを行いました.
 具体的には,「第2章:全体構造法の手技」では,
 1. 「となえうた」の中で,初版時には迷い記述を躊躇した健忘失語症訓練のためのとなえうた,つまり意味の構造化を考えるとなえうたについてかなり詳しく補充しました.
 2. 「身体リズム運動」は,多少誤解を招く表現があるとご指摘いただいたこともあり,言語訓練における身体の役割の重要性と運動導入の真の目的への理解が得られるよう,簡潔性に具体性を取り込み全面的に書き直しをしました.
 3. 「不連続な刺激」も,周波数の不連続に加えて,知覚の性質として全体構造法が基本とするもう一つの重要な不連続(刺激の対照性)の利用の説明を詳細に追加いたしました.
 「第3章:症例をとおして学ぶ」では,
 4. 全体構造法を行っている執筆者の方々に,多くの症例の中からたとえ改善が遅くても,発症初期からの症例ではなく,慢性期失語症の訓練経過を書いていただきました.自然回復との疑問視をできるだけ排除し,真に科学的に全体構造法の効果を理解していただきたいためです.
 現在,失語症のリハビリテーションは,急性期から在宅まで幅広く行われています.情報開示やインフォームドコンセントなどが必須の環境の中で,STは基本である訓練の技術と知識の両面で質と効果を高め,いろいろな言語障害者と真摯に向き合う地道な積み重ねを怠らないことがますます要求されています.
 本書がまた全体構造法発展の新たな土台となり,臨床に関わるSTや失語症者に役立ってくれることを願って,第2版の序といたします.
 2004年3月
 道関 京子
 日本全体構造臨床言語研究会公式サイト
 http://homepage2.nifty.com/jist/


監修者の序
 いうまでもなく,人間は,社会的な存在である.家族,会社,学校,地域,国家…など,さまざまな社会的共同体のなかで生きている.
 そして,その人間が社会的つながりを保持してゆく際のもっとも基本的な手段は移動と言語である.人間はその言語をとおして社会とつながり,そのつながりの中で人間らしさを身につけてゆく,といっても過言ではない.
 言語を失うことによる孤立感・寂寥感,そしてどこにもぶつけようのない憤りは,いかばかりのものであろうか.会社・学校・地域のみならず,家族とのコミュニケーションまでが障害されるのである.さらに本人のみならず家族全体が重苦しい重圧のもとでの生活を強いられることになり,場合によっては家庭の崩壊をひきおこしてしまうことすらある.
 リハビリテーション医療の目標は,人間らしく生きる権利の回復というところにある.さてリハビリテーション医療はこれまで,失語症にたいして有効な手だてを取り得てきただろうか.
 本書の編者・道関が冒頭で「病態についての研究が進んでいる一方で,治療つまりリハビリテーションに関しては,いまだ真に科学的な方法論は確立されていません」と述べているが,残念ながら同感せざるを得ない.
 医療における有効な治療法とは,それによって実際に疾患が治癒に導かれる,あるいは障害・症状が改善されるものであること,そしてそれが科学的に裏付けられているものを指す.
 全体構造法の研究・開発が始められて,すでに20年余が経過している.そして近年,5〜6年もの間訓練を続けてきていながら全く発話ができなかった方が,私たちの病院において全体構造法による訓練を1〜2回受けられたあと,「ありがとうございました」とご自身の言葉でおっしゃって帰られる姿が何度も見られるようになった.
 何人もの方が同じような改善を示されている以上,そしてそれが科学的(言語学・神経心理学・現象学など多岐にわたる領域をふまえたものなので学際的・集学的といったほうが正確かもしれないが)な裏付けを有しているものである以上,本法を“医療における有効な治療法”と認識してよいのではないだろうか.
 さて全体構造法は,言語とは何か,人間にとって言語は何か,日本人にとって日本語とは何か,といった根源的な問いをベースとして成り立っている治療法である.そうした問いの原点を常にふまえながら,患者さんそれぞれの置かれている状況を分析し,最適な手だてを配置してゆこうとするものである.したがって本法の手技はマニュアル化しにくい.1人ひとりの相貌が違うように,患者さんごとに最適な手だてが異なって当然なのである.その意味では全体構造法とはST1人ひとりと,相対する失語症者とが,日々創造してゆく治療法であるということもできる.
 本書には,“1人ひとりの全体構造法”を可能ならしめる基本的な考え方が満載されているはずである.それらをどこまで引き出すことができるかは,ひとえに読者次第である.
 本法のような立場での失語症治療は類例を見ない独創的なものである.そしてそれ故に,まだまだ完全なものではないが,治療法として確立されつつあるといってもよい.
 本書を世に送り出そうとしたのは,本法が現時点で到達している水準の手法によって多くの失語症を改善させることができることへの確信をもつに至ったということのほかに,関係各位の批判を仰ぐことで更なる飛躍を獲得していってほしいとの思いによるものである.率直な批判をお寄せいただくことを期待している.
 なお本法の内容の一部がプログラムされたパソコンソフト『花鼓』【上付きR】(主として重度の失語症者用)が,通産省などが主催する1996年のマルチメディア展で特別賞を受賞し,現在は 『花鼓 II』【上付きR】に改訂され臨床応用されている.また,中度・軽度失語症者の訓練CDソフトや吃音訓練用の『ポケットリズム』も臨床で使用されている.
 本法の研究が進み,さらに洗練され,その適用によって多くの失語症者のQOLが向上されてゆくことを,切に願っている.
 最後に,我が国の失語症学の泰斗である波多野和夫先生より,失語症研究の大きな流れのなかにおける本法の位置づけと将来展望について貴重な論考をお寄せいただいた.この場をお借りしてお礼を申し上げる.
 2004年3月
 米本 恭三
失語症のリハビリテーション―全体構造法のすべて―第2版 目次

第2版の序……道関京子
監修者の序……米本恭三

はじめに道関京子
 1.治療者が諦めていたら,回復の道は開かない
  1)プラトーとは,患者の能力の限界か言語聴覚士の能力の限界か
  2)言語臨床こそSTの本来の仕事である
 2.失語症リハビリテーション科学の研究が必要
  1)人間科学としての失語症臨床研究
  2)失語症リハビリテーション科学は,要素的であるべきか,全体的であるべきか
  3)全体構造法による失語症治療

■第1章 全体構造法とは何か
1.人間の言語習得 道関京子
 1.音声言語から始まる
  1)言語獲得の普遍的順序
  2)音声言語とは何か
  3)音声言語習得における脳と身体の役割
  4)音声言語の聞き取りの習得における知覚の重要性
 2.人間は,全体構造体系である
  1)構造化
  2)知覚の構造化
  3)言語の構造化
  4)言語の構造化に重要な要素
  5)言語習得は全体構造的である
  6)全体構造法の原点と理想
2.全体構造体系である人間に対する失語症治療 道関京子
 1.基本概念は,音声言語の再構造化
  1)失語症者の再構造化の力を信頼する
  2)音声言語こそ言語機能の基本
  3)自国語のプロソディの再構造化から始める
  4)音声言語の習得過程を再学習する
 2.刺激の最適性
  1)知覚の構造化―聞き取れてこそ,話せるようになる
  2)最適な(聞き取り)刺激に必要な要素と不連続性
  3)個々人の最適性
  4)言語それ自体を指導する
 3.全体構造法のめざすもの
  1)言語訓練は労苦を強いるものではなく,壁(プラトー)はない
  2)全体構造法を行うSTの条件
3.失語症の評価診断に対する全体構造法の考え方 道関京子
 1.失語症の評価―リハビリテーションのために分類・評価する
  1)非流暢な全失語/ブローカ失語
  2)失文法が重い失語
  3)流暢なタイプの失語
  4)リハビリテーションのために分類・評価する
 2.その他の言語障害や合併症について
  1)失行・失認を合併した失語症
  2)構音障害や吃音の合併について

■第2章 全体構造法の手技
1.となえうた 道関京子
 1.“となえうた”とは
 2.となえうたと伝承わらべうたとの関係
 3.となえうたを創作してみよう
  1)韻律の単位とコミュニケーションの単位
  2)基本的留意点
  3)創作のための構文論
  4)創作の実際
  5)臨床での用い方
 4.おわりに
2.身体リズム運動 道関京子
 1.身体リズム運動とは何か,なぜ言語訓練に身体リズム運動が必要なのか
 2.身体リズム運動の特徴と条件・構成
 3.身体リズム運動の実際
  1)声
  2)プロソディ
  3)リズム
  4)リズムグループ
  5)音
 4.おわりに
3.不連続刺激 道関京子
 1.不連続刺激の必要性
 2.不連続刺激―全体構造法での応用
  1)不連続の利用(その1)
  2)話しことばの低周波数帯域の重要性
  3)不連続の利用(その2)
 3.周波数調整器:周波数調整聴覚器(不連続・低周波),振動子
 4.周波調整器の使い方
  1)非流暢性失語の場合
  2)流暢性失語の場合
 5.周波数調整器の利用期間
 6.周波数調整器の設備がない場合
 7.おわりに
■第3章 症例をとおして学ぶ
1.プロソディを中心とした訓練(重度ブローカ失語) 山岸優香理
2.超皮質性運動失語(力動失語) 藤井加代子
3.聞き取り知覚の構造化―成人失語症と小児自閉症の訓練における共通点の検討― 五十嵐明美
4.プロソディ障害の著しいブローカ失語 渡邉泰子
5.語レベルの意味理解が悪いと思われたウェルニッケ失語の訓練 矢島真理子
6.ウェルニッケ失語(語音の認知が悪かった症例) 前川ヤス子
7.伝導失語への訓練経過 細樅有里
8.小児の失語症訓練―脳外傷により高次脳機能障害を合併した症例― 猪熊邦子
9.ウェルニッケ失語亜型例に対する10カ月にわたる訓練の経過 武藤亜希
10.慢性期重度ブローカ失語 成瀬光生
■終章 Concluding Remarks
失語症理解への一つの視座―要素主義と還元主義をこえて― 波多野和夫

 索引
 第1版あとがき 道関京子
 全体構造法で使用するソフト・機器 道関京子