やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき
 留学するというと,“また,学生になるのか”と誤解されることも多いが,研究者の世界では海外で研究者として数年間研究活動することを“留学”とよんでいる.授業料を納めることもなく,多くの場合は給料をもらって働くわけだから“留学”という言葉は時に誤解を与える.また,日本に帰らずにそのままアメリカに基盤をおいて研究を続けようという人も少なくないので,そういう人までひっくるめて“留学”と呼ぶのはいささか無謀ですらある.もともとは科学の分野においてアメリカが日本を大きくリードしていた時代に“アメリカで学問を教わってくる”というニュアンスで“留学”という言葉が使われたのであろうが,アメリカと日本の差が小さくなり,多くの日本人のフェローがアメリカで大きな戦力として活躍している現在においては,少々的はずれな言葉になっている.かといって,それに代わる適当な言葉もないので,“留学”という言葉が今でも使われている.大学・大学院への“留学”とあえて区別するなら,“研究留学”という言葉あたりがいいのかも知れない.
 著者も大学院在学中より漠然とした留学へのあこがれがあり,将来は必ずアメリカに留学しようと考えていた.しかし,いざ留学先を探そうと思ってもどこから手をつけていいのかわからない.1年以上かかって,ようやく留学先を探せたが,今度はビザの取り方がわからない.いざ,渡米しようとなると保険のことやお金のトランスファーのこともあり,日本国内での引っ越しの数倍の手間がかかる.最も大変なのは渡米直後のアパート探し,銀行口座開設をはじめとするさまざまな手続きである.自分としては早く新しい研究室で仕事を始めたいと希望に燃えていたのに,本業以外の部分に多くのエネルギーと時間が奪われてしまう.
 著者のような研究者の留学は企業の方の海外赴任と異なり,留学先を探すことから,引っ越し,現地の生活のセットアップに至るまで,自分で手配しなければならない.著者自身,いま振り返ればたいしたことではなくても,異なる生活習慣の土地に到着したばかりのときには多くの困難を感じた.そんな時,著者を助けてくれたのはインターネット上にある留学の先輩たちからの情報であった.これらの情報のおかげで著者も何とかアメリカでの研究生活をスタートすることができた.
 著者は“留学”してから半年ほど経ったところで,『医学研究者のための留学ガイド』というウェブサイトを立ち上げ,留学の準備を進めながら書きためていた覚え書きを公開した.これから留学しようとしている方がみんな同じような苦労をしたのではバカらしい,情報を共有してアメリカでの研究生活を早くスタートしてくれればと考えて作ったものである.『医学研究者のための留学ガイド』はいつの間にか,半年で30,000ページビューを数えるほどになり,2000年8月に『研究留学ネット』(http://www.kenkyuu.net/)としてリニューアルしてからはうなぎ登りに訪問者が増え,2003年末には100万アクセスを超えるようなサイトになってしまった.
 著者のサイトをたまたま見かけた『医学のあゆみ』編集部から誌上での連載の話があり,計12回にわたって『インターネット時代の留学術』というタイトルで連載を書かせていただいた.連載終了後には,著者のサイトやメーリングリストを通じて知り合った9人の研究留学の同志に『アメリカ研究留学リレーレポート』を書いていただいた.連載『インターネット時代の留学術』を元に加筆し,『アメリカ研究留学リレーレポート』を加えて出来上がったのが本書である.
 本書は将来,アメリカに研究留学をしようと考えている方,近々その予定のある方には有用な情報源になると思っている.掲載している情報は,数年間にわたって多くの研究留学の同士によって磨き上げられてきたものであるので,その情報の質には自信を持っている.基本的には著者自身の経験をベースにして書かれたものではあるが,多くの研究留学同志のフィードバックを取り込み,なるべく多くの方に当てはまるような内容にしたつもりである.さらに,9人のまったくバックグラウンドの異なる“研究留学”をリレーレポートという形で紹介することで,足りない部分を補っている.
 “留学先での研究がうまくいく”ことが“留学が成功する”ことであることに異論を挟む人は少ないだろうが,“留学先での研究がうまくいく”ためのマニュアルなど当然存在しない.しかし,日本で研究するのと違って,いかに自分にあった留学先を選ぶか,余計なことにわずらわされずにすむかといったことも留学先での研究の成否に関わってくる.また,米国内にとどまって,新しいキャリアを考えることになれば,ビザについて熟知することも必要になってくる.そういった意味で,ビザのことやアメリカの生活のシステムを知るということは研究留学が成功するための重要な要素であると考え,本書のタイトルを『研究留学術』とした.本書の情報が少しでも実りある留学生活の一助となれば本望である.
 最後になったが,『研究留学ネット』にたくさんの情報をフィードバックしてくれた研究留学の同志,特に『アメリカ研究留学リレーレポート』を執筆してくれた9人に感謝する.
 2002年早春シアトルにて
PART1 基礎編(門川俊明)
 第1章 留学先を探す
  留学する?しない?
  留学先の探し方
  留学期間中のサラリーをどうするか?
  コネなし状態からの留学先の探し方
  いざ,アプライ
  面接(インタビュー)を受ける
  海外留学助成金に応募する
   【Column】32歳で配偶者を連れて留学し,2年で帰国する
 第2章 ビザ
  はじめに
  ビザの基本
  J-1ビザの取得
  J-1ビザの更新
  J-2ビザ所持者の労働
  H-1Bビザへの切り替え
  Two-year rule
  留学中のアメリカ国外への旅行
  パスポート
  参考になるウェブサイト
   【Column】在バンクーバー米国総領事館でのビザ更新の体験談
 第3章 保険
  アメリカで生活するうえで必要な保険
  JFC海外赴任者総合保障制度
  アメリカの健康保険に加入するか? 海外旅行傷害保険に加入するか?
  アメリカの健康保険の種類
  どのプランを選べばいいのか?
PART2 実践編(門川俊明)
 第1章 私の留学先探しとビザの取得
  留学先選びのスタート
  留学先がなかなかみつからない
  ようやく留学先が決定
  ビザの取得
   【Break!1】寝耳に水?――最初の水難
 第2章 海外引っ越し
  海外引っ越し
  海外に何を持っていくか
 第3章 渡米前の諸手続き
  お金に関してアメリカにくる前にしておくこと
  国際免許証
  更新期間前の日本の運転免許証の更新
  国外転出手続き
  国民健康保険,国民年金
  納税―所得税
  納税―住民税
  郵便転送依頼
  その他
 第4章 いざ留学
  セットアップのモデルプラン
  シアトルの紹介
  University of Washingtonの紹介
   【Column】全米のメディカルスクール,病院のランキング(2011年度)
 第5章 銀行口座の開設とソーシャルセキュリティナンバーの取得
  アメリカのマネー事情
  銀行口座の開設
  アメリカと日本の銀行の仕組みで異なること
  ドル建てクレジットカード
  Social Security Numberの取得
   【Column】クレジットヒストリー
   【Break!2】天井が裂けた!――またもや水難
 第6章 住む場所を探す
  アパート探しの実際
  アパートを選ぶ基準
  家具や電化製品を買う
  在留届
   【Column】1.Classifiedの読み方 2.アメリカの治安 3.ベッド,Futonの買い方 4.“IKEA事件”
 第7章 公共サービスの申し込み
  電気
  市内電話
  長距離電話
  ケーブルテレビ
   【Column】“US WEST事件”
 第8章 自動車の購入と自動車保険
  アメリカ自動車購入事情
  ディーラーまわりを始める
  ワゴン車を購入
  保険の契約
  ディーラーでの購入
  個人売買での購入
  自動車保険
  自動車保険の種類
  アンブレラ保険
   【Column】サービスの分業化
 第9章 運転免許の取得とアメリカでのドライブ
  アメリカの運転免許証を取る
  まずは筆記試験
  いよいよ実技試験
  アメリカでのドライブ
   【Column】1.日米の交通ルールの違い 2.交通違反の取り締まり体験記(?) 3.車上荒らし
 第10章 医療
  アメリカの医療システム
  体験談
  歯科治療
  子供の予防接種―総論
  子供の予防接種―各論
 第11章 コンピュータ
  アメリカコンピュータ事情
  コンピュータ,日本から持ってくる?
  アメリカインターネット事情
  自宅からのインターネット接続
   【Break!3】本当?の寝耳に水――たかが水難,されど水難
 第12章 アメリカ研究室事情――世界一であることの理由
  アメリカの研究室の仕組み
  研究室の構成メンバー
  アメリカの研究者の研究スタイル
  かならずしも充実しているとはいえない設備
  アメリカの研究費
  アメリカが世界をリードしている理由
   【Column】1.NIHからの研究費獲得額ランキング(2012年度)
 2.インパクトファクター
PART3 リレーレポート編
 レポート1 見てくれ俺のハーバード――ハーバード大学医学部留学体験記(湯浅 健)
  留学の契機
  履歴書を40カ所に送りつけて留学先を探す
  ハーバード大学のある街ボストン
  Brigham and Women's Hospital
   【Column】ペット同伴での留学生活
 レポート2 Off duty in Baltimore,Johns Hopkins University(広田喜一)
  留学の原動力
  Semenza研に決定
  他人任せですんなりと準備完了
  あまり愛想のよくないPIとの研究生活
  Semenza研ポスドク事情
  まとめとして
  現在
 レポート3 楽しかった,でもたいへんだったアメリカ研究留学(中村俊康)
  アメリカ留学を志した理由
  Mayo Clinic留学
  アメリカでの研究生活――Big labの問題点
  短時間の実験――契約延長かどうか
  大事件顛末記
  移籍のためのインタビュー旅行と1,600キロの引っ越し
  研究快調,手続きたいへん――Small labの利点と問題点
  アメリカ留学で得たもの
 レポート4 たどり着いてミシガン――わが道をゆく旅の途中にて(橋本 満)
  唐突に開いたアメリカへの道
  Michigan State Universityでの研究生活
  もうすこしでクビに!――最大の危機
  今時の研究留学事情――やりがいのある研究を
 レポート5 アメリカで博士号をとる!(杉井重紀)
  大学院留学って?
  大学院留学をめざすようになったきっかけ
  アメリカの大学院の入学選考
  アメリカの博士課程プログラム――1年目
  アメリカの博士課程プログラム――2年目
  アメリカの博士課程プログラム――3年目以降と通年
  ダートマス大学の紹介
 レポート6 留学貧乏にならないために――ある貧乏人からのアドバイス(平野雅巳)
  インターネットで情報収集を
  私の留学記
  留学前の税金講座
  私のトホホな体験
  Fellowshipを取ろう!
 レポート7 ボストン研究留学,笑いと涙の珍道中――人生一寸先は闇,でも…だから面白い?!(後藤孝也)
  プロローグ
  さー留学するぞ〜〜!
  前途多難の研究生活.でもボストンよいとこ一度はおいで!(ただし,観光で)
  いったい何があったの?俺,生きている?!
  帰国するか?アメリカで生きていくか!究極の選択?!
  エピローグ
  おまけ
   【Column】留学先の決め方と研究費の問題/日米の医学教育/日本での職探し
 レポート8 アメリカ“残留学”志願(福士珠美)
  まずは普通の留学から
  ドアを閉めないオフィスと五重の鍵の実験室
  留学から残留学へ
  “残留学”事始め
 レポート9 日系一世研究者10年目の独白(三品裕司)
  ポスドク時代の生活点描
  ジョブマーケット
  インタビューの舞台裏
  ジョブハント,自分の場合
  とってもらえるポスドクアプリケーション
PART4 データ編(門川俊明)
 海外留学助成金一覧
 参考になる書籍
 参考になるウェブサイト
 本書で紹介したウェブサイト
 渡米準備チェックリスト
 帰国準備チェックリスト
[特別鼎談] 研究留学―Ten years after(門川俊明×広田喜一×島岡 要)
  Johns Hopkins University School of Medicine,Institute of Genetic Medicineに1999〜2002年研究留学―広田喜一(京都大学)
  University of Washington,Division of Nephrogyに1999〜2002年研究留学―門川俊明(慶應義塾大学)
  Harvard Medical Schoolへ1998年研究留学後,2003年から准教授として研究室を主宰し,2011年帰国―島岡 要(三重大学)
  コネも業績のうち!
  留学先はどうやって見つけたらよいのか?
  医師が基礎研究を行う意義はあるのか?
  進路は先輩や師匠,上司の言うことを聞いたほうがよい!?
  留学は“教養をつける”ことと似ている
  
 索引