やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

監修にあたって
 口から食べることは,生きる力のみなもとであり喜びである.しかし,何らかの原因で口から食べる機能が失われたときの健康障害やQOL(Quality of Life,生命の質,生活の質,人生の質)の低下は,はかり知れないものがある.そのため,口腔は生命維持にとって重要な働きをもつ器官であり,また人間としての尊厳を保ち,質の高い生活を送るうえでも重要な器官である.
 一方,口腔は,温度,湿度,栄養等において微生物が繁殖しやすい環境にあり,う蝕や歯周病等,歯科疾患の発症や進行の原因となるばかりでなく,誤嚥性肺炎等,口腔に起因する感染症をはじめ,糖尿病や心臓病等の生活習慣病とも深く関連していることが報告されている.
 また,口腔には,食べる機能をはじめ味覚,呼吸,構音など,多くの機能があり,傷病や障害,あるいは加齢による口腔機能の低下を予防するうえで,口腔機能のリハビリテーションの重要性が高まっている.歯科衛生士はこれまで,口腔衛生の管理に関わる分野を中心として,う蝕や歯周病,歯科疾患の予防やプライマリーケア等,器質的ケアにおいて大きな役割を果たしてきたが,機能的ケアへの対応は必ずしも十分とはいえない状況にある.
 医療法第1条の2に定める医療提供の理念には「医療は(略)単に治療のみならず,疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かつ適正なものでなければならない」とある.また「安心と希望の医療確保ビジョン」(厚生労働省,平成20年6月)では,これからの医療について「治す医療」から「治し支える医療」への方向性を提言し,その中で,摂食・嚥下機能等に関わる歯科医療を,人々の生活の基本を支える「生活の医療」と位置づけ,歯科医師・歯科衛生士と医師・看護師等との連携によるチーム医療の必要性を強調している.
 これらのことから,摂食・嚥下リハビリテーションは,多職種協働によるチームアプローチにより,各職種の専門性に基づく質の高い業務を実践することが求められており,歯科衛生士においても,チーム医療の一員として目的と情報を共有し,摂食・嚥下リハビリテーションにおける歯科衛生士の専門性を高めることが必要である.また,歯科医療の専門職として口腔内に直接関与できるという特性を活かし,歯科衛生士の役割を十分に発揮することが期待されている.そのためには,基礎となる教育研修が不可欠であり,体系化された教本・テキストの発行を急ぐこととなった.本書の企画にあたり,この分野における歯科衛生士の最初の教本・テキストであることを考慮し,学校教育や卒後研修における基礎編として監修に関わった.
 本書は,歯科衛生士と摂食・嚥下の関わりについて認識を深め,リハビリテーション及び摂食・嚥下リハビリテーションの概念やメカニズム,さらには発達,障害の状態を正しく理解したうえで,小児期,成人期,高齢期の摂食・嚥下障害の特徴や変化,歯科衛生士の実践についての考え方や方法及び訓練法の実際,チームアプローチや連携に必要な関係職種の理解など,摂食・嚥下リハビリテーションに関する基礎的知識・技術の修得に必要な学習過程を考慮した構成となっている.
 歯科衛生士の実践については,摂食・嚥下障害のある対象者に対して,歯科衛生上の問題点を明確にし,最も望ましい支援とはどのようなことかを歯科衛生士の立場で考え,計画的,科学的に実践するための方法として,歯科衛生ケアプロセス(歯科衛生過程)の流れに沿って解説されている.
 歯科衛生士の役割は,口腔領域の疾病対応のみならず,予防や健康増進,口腔機能の維持回復,ひいてはQOLの向上にも寄与できるよう,対象となる人のニーズに対して適切な支援を提供することであり,多職種との連携・協働においては,歯科衛生士の専門性を活かした問題解決能力が求められる.そのため,対象となる人のアセスメント,歯科衛生診断(問題点の明確化),計画立案,実施,評価などのプロセスにより展開することが重要である.また,実施記録をシステム化することでスタッフ間の情報の共有が可能となる.このような考え方は,歯科衛生士の臨床では既に経験的に導入されており,また,教育・研修においても,専門職としての姿勢や態度を育成し,質の高い,根拠に基づいたケアを提供するための具体的なツールとして試行されている.摂食・嚥下リハビリテーションが学際的チームアプローチとして実践されることを考慮し,歯科衛生ケアプロセス(歯科衛生過程)による展開方法を取り入れ,紹介することとした.
 本書の企画に際し,この分野の先駆者である金子芳洋先生に編集代表としてご指導を仰ぎ,また,第一線で活躍されている先生方に編集の労をおとりいただき,さらに,ご専門の多くの先生方にご執筆を賜ったことは,誠に感謝の念に堪えないところである.
 本書が,歯科衛生士教育において,また,診療所・病院,介護施設や在宅医療の場で活動する歯科衛生士の人材育成に活用され,摂食・嚥下障害の改善・回復に寄与することができれば望外の喜びである.
 2011年3月
 社団法人日本歯科衛生士会
 会長 金澤紀子

推薦のことば
 歯科衛生士の活躍の場は,社会のニーズに伴って拡大の一途をたどっていることは皆様ご承知のとおりです.人口構成の高年齢化に伴い,歯科衛生士に対するニーズ,それも特に口腔のケアや摂食・嚥下に関係する分野での拡大は,歯科衛生士の養成に当たるものの想像を超える速度で増加しているようです.このことは,これらの分野で,実際に現場で活躍される歯科衛生士の皆様の,日々のたゆまぬ努力の賜物であろうと思います.
 一方,職能団体である日本歯科衛生士会が主催する関係分野の講習会もたびたび開催され,認定歯科衛生士の制度も動きだしてはいるものの,歯科衛生士向けの体系だったテキストが存在していませんでした.
 今般,日本歯科衛生士会の監修のもと「歯科衛生士のための摂食・嚥下リハビリテーション」が出版されることを聞き及び,全国歯科衛生士教育協議会としても,医療職全体のためのものや特定の職種のためのものを利用するなど,手探りで行われていたこの分野の歯科衛生士教育に,参考書として教科書として利用できるようになることは,大いに歓迎されることです.
 ご執筆は,この分野で第一線で活躍されている方々ですので,読者の皆様にとって,日頃の歯科衛生業務でおおいに参考になるものでしょう.また,これから歯科衛生士を目指す学生諸君にとっても,目標を捉えるためには重要なものになると思われます.
 全国歯科衛生士教育協議会としては,本書を推薦することで,歯科衛生士の皆様がこの分野の理解をさらに深めていただき,活躍されることを期待する次第です.
 2011年3月
 全国歯科衛生士教育協議会
 会長 松井恭平
序説 歯科衛生士と摂食・嚥下(金子芳洋)
1章 リハビリテーション総論
 I.リハビリテーション概論(馬場 尊)
  (1)リハビリテーションとは
  (2)活動障害に対応する理学療法・作業療法・言語聴覚療法
  (3)日常生活活動とは
  (4)リハビリテーション医学と臓器系
  (5)障害の分類
   1.国際障害分類(ICIDH)とリハビリテーション的介入の考察 2.国際生活機能分類(ICF)
  (6)リハビリテーションの介入法
   1.機能障害への介入 2.能力低下への介入 3.社会的不利への介入
  (7)リハビリテーションを担う職種とチームアプローチ
  (8)高齢化社会と摂食・嚥下リハビリテーション
 II.摂食・嚥下リハビリテーション総論(馬場 尊)
  (1)摂食・嚥下障害とは
  (2)摂食・嚥下障害の原因
   1.摂食・嚥下関連器官の形態異常 2.摂食・嚥下関連器官の感覚・運動の異常 3.認知機能の異常 4.その他
  (3)摂食・嚥下障害の重症度分類
  (4)摂食・嚥下リハビリテーションの進め方
   1.医学的に安定させる 2.口腔衛生を整える 3.間接訓練を行う 4.直接訓練を行う 5.段階的に難易度を増す 6.外科的治療を検討する
2章 摂食・嚥下のメカニズム
 I.はじめに(山田好秋)
  (1)口腔機能
  (2)摂食・嚥下の流れ
 II.摂食・嚥下に関わる構造(解剖)(阿部伸一)
  (1)口腔の構造
   1.口腔粘膜 2.口唇 3.口蓋 4.口峡 5.頬 6.舌 7.歯 8.唾液腺
  (2)咽頭の構造
  (3)喉頭の構造
  (4)摂食・嚥下に関与する筋
   1.口裂周囲の表情筋群 2.咀嚼筋群 3.舌骨上筋・舌骨下筋群 4.舌筋群 5.軟口蓋の筋群 6.咽頭の筋群 7.喉頭の筋群
 III.摂食・嚥下に関わる機能(生理)(井上 誠)
  (1)摂食・嚥下運動
   1.先行期-食物の認知 2.準備期(咀嚼期)-食物摂取と食塊形成 3.嚥下(口腔期・咽頭期・食道期)
  (2)摂食・嚥下運動を支える機能
   1.体性感覚 2.咽頭反射・咳反射 3.呼吸 4.発声
 IV.摂食・嚥下機能の発達(向井美惠)
  (1)吸啜による乳汁摂取の時期(口から食べる準備の時期:経口摂取準備期)
   1.乳汁摂取のための原始反射 2.吸啜(乳汁摂取)の動き 3.吸啜を容易にする口腔内の形態の特徴 4.離乳準備の発達
  (2)離乳期から幼児期における機能発達
   1.嚥下機能の発達 2.捕食機能の発達 3.押しつぶし機能の発達 4.すりつぶし機能の発達 5.水分摂取機能の獲得 6.自食準備期 7.手づかみ食べ機能の発達 8.食具食べ機能の発達
  (3)幼児期における機能発達
  (4)前歯交換期の機能発達
  (5)臼歯交換期の発達
  (6)永久歯列完成期
  (7)摂食機能の発達と食育
3章 摂食・嚥下障害とは
 I.小児の摂食・嚥下障害(水上美樹)
  (1)摂食・嚥下障害を引き起こす要因
   1.新生児期・発達期障害
  (2)障害別摂食・嚥下障害の特徴
   1.脳性麻痺 2.知的障害(精神発達遅延) 3.ダウン症候群 4.広汎性発達障害 5.その他(経管栄養依存症,過敏,など)
 II.成人の摂食・嚥下障害(植田耕一郎)
  (1)摂食・嚥下の5期における障害
   1.先行期(認知期)障害 2.準備期(咀嚼期)障害 3.口腔期障害 4.咽頭期障害 5.食道期障害
  (2)成人の摂食・嚥下障害に関わる因子
   1.摂食・嚥下障害を生じる原疾患 2.退行性,慢性的な状態〜機能回復の限界について〜 3.点滴と経管栄養〜代償能力について〜 4.生活背景〜環境因子について〜 5.生活の価値観〜心理的側面について〜
 III.高齢者の摂食・嚥下機能と障害
  (1)口腔の障害(植松 宏)
   1.高齢者と窒息 2.高齢者と誤嚥性肺炎 3.生理的変化と病的変化 4.加齢による口腔内感覚の変化 5.嚥下関連器官の形態と機能の変化
  (2)咽頭から食道機能の加齢変化……(海老原覚)93
   1.嚥下運動の加齢変化 2.嚥下反射に関わる加齢変化
4章 摂食・嚥下リハビリテーションにおける歯科衛生ケアプロセス
 I.歯科衛生ケアプロセス(歯科衛生過程)とは(佐藤陽子)
  (1)アセスメント
  (2)歯科衛生診断
   1.歯科衛生診断の定義 2.歯科衛生診断の考え方(問題点の明確化)
  (3)計画立案
   1.目標 2.歯科衛生介入 3.期待される結果
  (4)実施
  (5)評価
 II.歯科衛生士ケアプロセスの展開(佐藤陽子)
  (1)アセスメント:摂食・嚥下に関する情報の収集
  (2)歯科衛生診断:摂食・嚥下に関する問題の明確化
  (3)計画立案:摂食・嚥下リハビリテーションのための歯科衛生ケアプラン
  (4)実施:摂食・嚥下リハビリテーションの実施・記録の作成
   1.実施の流れ 2.記録の作成
  (5)評価:摂食・嚥下リハビリテーションの評価
   1.評価のための情報収集 2.目標,期待される結果の達成度の評価例
5章 摂食・嚥下リハビリテーションと口腔ケア
 I.口腔ケアの目的(佐藤陽子)
  (1)口腔ケアに期待される効果
   1.感染予防 2.口腔機能の獲得と維持・回復 3.意識レベルの回復 4.全身の健康の維持・回復及び社会性の回復
  (2)各ステージにおける口腔ケア
   1.発達期の口腔ケア 2.急性疾患の回復期の口腔ケア 3.老年期の口腔ケア 4.終末期の口腔ケア
 II.歯科衛生士が行う口腔ケア(佐藤陽子・中川律子)
  (1)歯科衛生士が行う口腔ケア
  (2)ケア実施のための情報収集
   1.事前の情報収集 2.現場での情報収集 3.身体所見に関するアセスメント 4.摂食・嚥下機能に関する所見 5.スクリーニング検査
  (3)口腔ケアの実際
   1.対象者の全身状態の確認 2.実施場所の選択と移乗,移動 3.環境の整備 4.体位の確保 5.安全性の確保 6.自立支援 7.口腔ケアの実施 8.連携 9.療養状況に応じた対応 1..業務記録
  (4)実施する事業の確認
6章 摂食・嚥下における間接訓練・直接訓練
 I.間接訓練・直接訓練の位置づけ(江川広子・柴田佐都子)
  (1)アプローチの中での間接訓練・直接訓練の位置づけ
  (2)開始前の準備
   1.情報収集 2.摂食・嚥下機能評価 3.口腔衛生状態の確認と口腔ケア
  (3)訓練内容の決定
  (4)訓練の実施とその評価
 II.摂食・嚥下障害に対する間接訓練・直接訓練(江川広子・柴田佐都子)
  (1)障害期と対応の例
  (2)間接訓練(基礎訓練)
   1.筋ストレッチ 2.脱感作療法 3.筋刺激訓練法 4.感覚入力を高める訓練(嚥下促通訓練) 5.声門閉鎖訓練 6.咳訓練 7.食道開大 8.頸部可動域訓練(ROM訓練) 9.呼吸訓練
  (3)直接訓練(摂食訓練)
   1.直接訓練(摂食訓練)とは 2.摂食姿勢 3.直接訓練の基本姿勢 4.直接訓練
7章 摂食・嚥下障害に対する食指導・食支援
 I.障害に応じた食物形態
  (1)食物形態と摂食・嚥下機能の関係(向井美惠・林 靜子)
   1.一般的に用いられている食物形態の分類 2.摂食・嚥下障害と食物形態
  (2)食物の味・香り,温度と摂食・嚥下障害
   1.食物の味・香り 2.食物の温度
  (3)食事の環境(江川広子・柴田佐都子)
   1.食器具
 II.栄養管理(向井美惠・林 靜子)
  (1)栄養摂取の方法
   1.経管栄養法 2.静脈栄養法
  (2)栄養管理
  (3)栄養管理の方法
8章 リスクマネジメント
  (1)合併症に対するリスクマネジメント(藤谷順子)
   1.誤嚥性肺炎 2.窒息 3.低栄養 4.脱水
  (2)場面別のリスクマネジメント(三鬼達人)
   1.口腔ケア場面 2.嚥下訓練場面 3.食事場面 4.経管栄養 5.気管切開
9章 摂食・嚥下リハビリテーションにおける連携
 I.チームアプローチの概念(戸原 玄)
 II.多職種の連携(石山寿子)
  (1)摂食・嚥下リハビリテーションに関わる職種の理解
   1.医師 2.看護師 3.言語聴覚士 4.理学療法士 5.作業療法士 6.管理栄養士・栄養士 7.薬剤師 8.診療放射線技師 9.ソーシャルワーカー 10.介護支援専門員(ケアマネージャー) 11.介護支援員(ヘルパー)
  (2)多職種協働における歯科医療従事者の役割
   1.歯科医師 2.歯科衛生士 3.歯科技工士
  (3)摂食・嚥下リハビリテーションの実際
 III.在宅医療における摂食・嚥下リハビリテーションの考え方(菊谷 武)
  (1)主治医,看護師との連携
  (2)種々サービスに対する知識と多職種との連携
  (3)患者の置かれている環境を把握する
  (4)キーパーソンを知る
  (5)患者側の価値観を共有する
  (6)歯科衛生士としての立ち位置を知る

 ・介護・福祉における介護予防を目的とした口腔機能向上サービスの概要(平野浩彦)

 文献
 索引