やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

発刊にあたって
 本書のタイトルに「リハビリ」という用語が入っていることに,違和感を覚える読者もいらっしゃるだろう.
 これまで,顎関節症患者に対する運動療法としては,急性期なら5分ほど冷やしてから緩徐な開口を行わせる,慢性期には多少痛みを感じる程度までは開口させるといった方法が用いられてきた.治療の基本は安静にすることであり,ましてや痛みを伴う訓練はなるべく避け,行う場合は痛みを悪化させないように注意が必要とされていた.
 われわれも昔は同じように,運動療法を行う際には「無理をしない」,「強い痛みはなるべく避ける」と患者に指導していた.その当時は,顎関節症の原因は咬合不良であるとする「咬合病因論」が広く信じられていたため,咬合の安定や改善が図れれば,おのずと顎関節の機能障害も改善するはずだという考えの下に病因治療が行われていたが,なかなか改善せず慢性化する患者も多かった.病因治療を補助する運動療法も,その時々で試行錯誤的に変わることになり,対症療法のような位置づけであったように思う.しかし1990年頃から世界中の研究者が咬合病因論に対する疑念を公表するようになり,21世紀に入る頃には完全否定とはいかないまでも,大多数の顎関節症専門医が咬合の単一病因論を否定するまでに至っている.
 このような状況となったために,われわれは原点に立ち帰り,再度顎関節症の治療方法について考えねばならないことになった.ほぼ時を同じくして,われわれは顎関節症の病因としてTCH(Tooth Contacting Habit;上下歯列接触癖)を提唱した.このTCH是正が,咬合治療に代わる病因治療として中心的な位置を占めることになろうと考えている.
 ただ,どのような疾患にも病因治療と病態治療という2方向の治療が必要であり,現在われわれが採用している「リハビリトレーニング」という運動療法は,TCH是正という病因治療と並行して行うべき,病態治療という大きな位置を占めると考えている.
 本書で提案しているリハビリトレーニングは,一時代前であれば「そんな乱暴なことをしてはいけない」とお叱りを受けかねない方法である.しかし,整形外科領域の筋骨格系および関節の疾患においては,機能回復のためにリハビリテーションとしてのトレーニングが必須であり,それによって痛みが発生するとしても,各種の工夫を凝らして,患者がトレーニングの苦痛を乗り越えられるように指導,誘導することが,当然のこととして行われている.
 われわれはこれまで,東京医科歯科大学歯学部第一口腔外科(現在の顎顔面外科),およびその後開設された顎関節治療部において,年間数千名もの新患の顎関節症患者に治療を行ってきた.その経験から,他の関節に適用されているのと同様に顎関節においても,機能回復のために多少痛みが強まるとしても,リハビリテーションと捉えるべき強力な運動療法は有効性が高くかつ安全な治療法であると考えるようになった.
 このような経緯から,われわれが「リハビリトレーニング」と称している運動療法を紹介することを目的として,本書を執筆した.臨床で顎関節症患者の治療を行う読者の方々がこの手法を採用してくださるならば,大きな症状改善効果を確認できることと思う.そのような経験を共有することができれば,執筆者一同の大きな喜びである.
 2017年6月
 木野孔司
 発刊にあたって(木野孔司)
CHAPTER I 顎関節症治療の変遷 咬合療法からリハビリトレーニングへ
 I-1)咬合療法では治せなかった顎関節症(木野孔司)
 COLUMN 1 東京医科歯科大学第一口腔外科における運動療法の変遷(木野孔司)
CHAPTER II なぜリハビリトレーニングは顎関節症治療に有効なのか?
 II-1)リハビリトレーニングの有効性のエビデンス(羽毛田 匡)
 II-2)リハビリトレーニングが顎関節の痛みや動きを改善するメカニズム(木野孔司)
 II-3)筋に対するリハビリトレーニングの有効性(西山 暁)
 II-4)顎関節症に対する各種理学療法の効果(佐藤文明)
CHAPTER III リハビリトレーニングのコンセプト
 III-1)痛みを与えて楽にする(木野孔司)
 III-2)急性期には安静に,慢性期には積極的に(木野孔司)
 III-3)患者自身が自宅でできる(木野孔司)
 III-4)関節円板は転位したままでいい(木野孔司)
 COLUMN 2 タスマニアデビルの顎関節には関節円板がない(木野孔司)
CHAPTER IV リハビリトレーニングの前に
 IV-1)医療面接のポイント(佐藤文明)
 IV-2)顎関節の診査(儀武啓幸)
 COLUMN 3 顎関節の下顎頭前方滑走運動を効果的に誘導する開口訓練器(儀武啓幸)
 IV-3)リハビリトレーニングを行うべき症例の診断(木野孔司)
 IV-4)TCHのコントロール(木野孔司)
 IV-5)顎関節症のスプリント治療(羽毛田 匡)
CHAPTER V リハビリトレーニングの実際
 V-1)リハビリトレーニングの実施方法(佐藤文明)
 V-2)リハビリトレーニング時の患者サポート(木野孔司)
 V-3)リハビリトレーニング中の食事指導(澤田真人)
 V-4)リハビリトレーニング後の経過と治療のゴール(木野孔司)
 V-5)リハビリトレーニングが奏効しない時の対応(羽毛田 匡)
CHAPTER VI リハビリトレーニング実施例
 CASE 1[咀嚼筋痛障害](渋谷寿久)
 CASE 2[咀嚼筋痛障害](澁谷智明)
 CASE 3[顎関節痛障害](西山 暁)
 CASE 4[顎関節痛障害](渋谷寿久)
 CASE 5[復位性顎関節円板障害(有痛性)](西山 暁)
 CASE 6[復位性顎関節円板障害・間欠ロック](澁谷智明)
 CASE 7[復位性顎関節円板障害・間欠ロック](西山 暁)
 CASE 8[非復位性顎関節円板障害](西山 暁)
 CASE 9[変形性顎関節症](渋谷寿久)
CHAPTER VII 患者さんからの疑問に答える
 (渋谷寿久・佐藤文明)
 Question 1 リハビリトレーニングをしていたら,痛みが強くなりました
 Question 2 アゴの関節の音が大きくなってきました
 Question 3 口を開けてから閉じる時に,痛みが出るようになりました
 Question 4 食事の時に痛みが出るようになってきました
 Question 5 リハビリトレーニングはいつまで続ければよいのですか?
 Question 6 リハビリトレーニングで顎が外れることはないですか?
 Question 7 リハビリトレーニングを始めてから,歯がグラグラするようになりました(なりそう)
 Question 8 リハビリトレーニングをすると,歯にかける指が痛くなるのですが

 索引

 付録
  1)顎関節症初診時質問票
  2)顎関節症診察シート
  3)顎関節症治療計画シート
  4)顎関節症治療経過シート
  5)診療情報提供書
  6)関節可動化訓練・筋伸展訓練の方法(患者配布用)
  7)開口維持訓練の方法(患者配布用)
  8)筋負荷訓練の方法(患者配布用)