やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

推薦文 物語としてのフッ化物応用
 むし歯予防の「フッ素」とのこれまでの35年を超える付き合いを通して,今,改めて考えさせられることは,歯科分野にとっての,このテーマの尽きない広がりと深さです.
 世界のあまたの地域を舞台として,20世紀を通貫する問題として論議され,21世紀に至る今,歯科保健,医療にとっての新たな物語としての意味を失わない対象であるということに一種の驚きを覚えます.
 2002年11月に日本口腔衛生学会が刊行した「フッ化物ではじめるむし歯予防」の改訂版としての本書の編集に際し,日本歯科医師会の立場で,このテーマに対する感想の一端を述べる機会を得たことは,冒頭で述べた「フッ素」との長期にわたる関わりのうえからも感慨深いものがあります.
 本書の目的は,初版の推薦文を執筆された,中垣晴男口腔衛生学会理事長(元)の「近年の学問・研究の進歩を取り入れた,歯科臨床や地域保健(公衆衛生)の現場で活躍している歯科医師,歯科衛生士などにとって,より実践的な本が必要とされるに至りました……」との一文に集約され,その主旨は,現在さらに重要なものになっていると考えられます.
 換言すれば,フッ化物応用がむし歯予防策の一つから,予防の可能性を原点とする歯科保健,医療のあり方の前提として位置付けられていく流れを,より具体的な目的意識をもって,その時々の環境の移り変わりを確認し実践していく作業の一環として,今回の企画もあるということではないでしょうか.
 約10年前の初版発刊当時,日本の歯科保健,医療におけるフッ化物利用にとって,大きな変節点がありました.1999年(平成11年11月)の日本歯科医学会による「フッ化物応用についての総合的な見解」の発表,2000年(平成12年2月)の日本歯科医師会による「フッ化物応用(水道水へのフッ化物添加)に関する見解」の発表,2002年(平成14年9月)の口腔衛生学会による「今後のわが国における望ましいフッ化物応用への学術支援」の表明,2003年(平成15年1月)の厚生労働省による「フッ化物洗口ガイドライン」の発刊などを列挙できます.
 この一連の動きの核心は,日本歯科医学会・日本歯科医師会・日本口腔衛生学会・厚生労働省などの日本の歯科保健,医療に中心的に関与する主体が集中的に「フッ化物の応用に関する見解」を示し,協働姿勢を社会に表明したという事実です.
 21世紀の保健,医療の捉え方の基本課題として,地球規模の環境との整合性が問われています.20世紀の科学技術への過度の依存への反省として提起されるこの命題に深く関わりつつ,一世紀に及ぶ先駆的な知見を積み重ねた結果として,今,世界で実施されている慢性疾患に対する予防手段が「フッ化物応用」です.
 本書が歯科に関わる人々の日々の臨床や保健活動の具体的な行動の糧となり指針となると同時に,歯科分野の様々な角度からの分析,評価の総合的なテーマである「フッ化物応用」が,歯科界の可能性の「物語」に繋がることを願ってやみません.
 2011年1月
 日本歯科医師会常務理事 池主憲夫

はじめに
 WHOは,日本の歯科保健・医療を以下のように評しています.
 1.砂糖消費量は先進国のなかでもっとも少ない.
 2.歯科医師数は充足し,すぐれた歯科医療サービスが提供されている.
 3.保健センターなどで,歯科保健指導やう蝕予防サービスが行われている.
 4.しかし,ほかの先進諸国と比較したとき,日本の歯科医療にはもっとも重要なものが欠けている.それはフッ化物の利用である.
 これは1985年に発表されたもので,その後,フッ化物配合歯磨剤のシェアは急速に伸び,2009年で89%となりました.しかし,公衆衛生的利用法であるスクールベースフッ化物洗口や,フロリデーションなどの全身利用法は,将来にもちこされたままです.
 わが国の12歳児の平均DMFTは,2005年の歯科疾患実態調査で1.7本でした.これはWHOのデータバンクにおいてDMFTが1.2〜2.6の「低い国」に位置していますが,先進国の多くが0〜1.1の「非常に低い国」となっている現状からすると,これでよしとする状況にはありません.また,「健康日本21」では12歳児の平均DMFTを1以下にするとなっています.8020達成のためにも歯の喪失原因の第1位で,約40%を占めるう蝕の対策は不可欠です.
 WHOが指摘している上記の1〜3に,積極的なフッ化物応用を加えることによって,わが国のう蝕予防の状況を世界のトップレベルに引き上げることも十分可能です.
 カイスの3つの輪やニューブラウンの説明図(カイスの輪に時間要因を加味)で表されるように,う蝕は多くの要因によって発生する疾病です.したがって,その予防も多くの要因それぞれに対応するものでなければなりません(図1).
 米国の予防サービス専門調査班は,各種のう蝕予防の方法についてEBM(evidence-based medicine)の観点と現実的な応用の場面を考慮して,表1のように整理し,推奨を行っています.
 この内容は,診療室,家庭,園・学校,地域などでう蝕予防を行う場合に,どの方法を,あるいはどのような組み合わせを選択したらよいかを判断する際の基準となります.フッ化物応用は,いずれもう蝕予防効果に関する証拠のレベルが高く,強く推奨される予防方法に位置づけられています.ほかの予防方法との組み合わせによって,さらなるう蝕の減少をもたらすことでしょう.
 国内において,1999年以降だけでも,日本歯科医学会,日本口腔衛生学会,厚生労働省,日本学校歯科医師会によって次々に声明が発表され,適正なフッ化物利用によるむし歯予防方法の有効性,安全性が示されてきています.また,マスコミを通してもフッ化物の効果や有用性が頻繁にアピールされるようになりました.このような状況を受け,はじめて耳にした人にとっての心配論や疑問点も含め,子どもをもつ保護者や一般住民のなかにフッ化物に対する関心が高まってきています.歯科医師や歯科衛生士には,う蝕予防,フッ化物応用に関する正しい科学,正確な知識を提供する専門家としての役割が,いままで以上に期待されています.
 自院での予防管理システムのなかで,あるいは行政・教育委員会との共同事業や歯科医師会の地域活動など多くの場面でフッ化物応用が可能です.う蝕予防はもとより,8020の実現やQOLの向上に向けて,フッ化物応用の拡大が望まれます.
 (小林清吾)

この本の使い方
1 診療室でフッ化物応用をすすめるとき
 フッ化物歯面塗布,フッ化物洗口,フッ化物配合歯磨剤など代表的な局所応用について,それぞれ最初のページに「応用場面の写真」と「特徴」を示しました.特徴は,一般の方が理解しやすいように専門用語を避けた表現としてありますので,そのまま読んでもらうことも可能です.
 また,う蝕予防効果の認識は,すすめる際の説得力につながります.成人,高齢者に対する効果も含めて各応用法の後半に掲載しました.
 気になる保険適用の手続きは,〔保険診療におけるフッ化物局所応用〕(資料2)に一括しました.参考にしてください.
 なお,診療システムにフッ化物応用を取り入れる要点については,〔診療室の実際〕にまとめました.30年近い経験をもとに書かれたノウハウは,すぐにでも役立つことでしょう.
2 来院者からの質問に自信をもって答えるために
 「飲み込んだら,どうなるの?」「害があると聞いたんですけど・・・」「どの歯磨き剤に入っているの?」など,診療室ではフッ化物についてのいろいろな質問が飛び交います.
 とっさの質問のために,〔フッ化物応用-Q&A-〕を用意しました.わかりやすいイラストも添えてありますので説明用にも使えます.
 説明のなかにはppmやmgといった数量・単位も必要になるでしょう.〔数字でみるフッ化物〕(資料3)に,よく出る数字をまとめました.さらに,突っ込んだ質問には,〔フッ化物とは〕,〔フッ化物とその働き〕〔う蝕予防とフッ化物応用の歴史〕を用意しました.一度読んでおくと,余裕をもった答え方ができ,聞いている側に安心感が伝わります.
3 地域のなかでフッ化物応用を広めるとき
 フッ化物応用は,「健康日本21」の戦略として取り入れられたポピュレーション・ストラテジー(集団全体に対する取り組み)にピッタリの予防法です.最近では,フッ化物応用を組み込んだ口腔保健に関する“条例”が都や県で制定されてきています.専門家としての情報提供の機会も増えることでしょう.
 幼稚園医,学校歯科医の方々,また歯科医師会として公衆衛生活動を担っている方々は,〔地域の実際〕をご一読ください.条例の意図や,地域でフッ化物応用をゼロからスタートし,導入,定着させるまでに出くわしたハードルと,それらを乗り越えた体験談がまとめてあります.
 また,水道水フロリデーションについても条件が整い,いくつかの自治体で実施が検討されています.最新情報を〔日本のフッ化物応用〕に整理しましたのでご利用ください.
4 フッ化物に対する知識の整理に
 診療室にフッ化物応用を取り入れるには,歯科医師,歯科衛生士,その他のスタッフにフッ化物応用についての共通認識が必要となります.また,実際の応用の場面では,歯科衛生士の活躍部分が多くなりますし,窓口にも役割が出てきます.院内スタッフによる輪読をおすすめします.
 そして,さらに詳しい情報がほしい,という方には,〔参考資料〕のページを用意しました.歯科医師会や歯科衛生士会の勉強会にもお使いいただければ,会としての合意形成や見解づくりにも参考になることでしょう.
5 行政や学校の関係者にも
 いまやフッ化物は,あらゆる年齢層に使われて効果を発揮しています.数値目標が設定された「健康日本21」の歯の健康にとって,手堅い手段の1つです.
 地域や学校などでの健康プログラムづくりには,歯科専門家以外のさまざまな職種の参画が予想され,そのなかで予防法の採択が行われます.その際,厚生労働省,日本歯科医師会,日本歯科医学会,日本口腔衛生学会などの専門機関,学術団体のフッ化物応用の推奨(〔参考資料〕参照)や,EBMの観点から整理されたフッ化物応用の優先性(〔はじめに〕参照)は,多職種間の合意形成に役立つことでしょう.
 推薦文
 はじめに
 この本の使い方
I.各種のフッ化物局所応用
 1 フッ化物歯面塗布
  1.フッ化物歯面塗布の種類と使用薬剤
   1)歯ブラシ法 2)綿球法 3)トレー法
  2.フッ化物歯面塗布の実際
   1)対象年齢 2)実施頻度 3)フッ化物歯面塗布の手順 4)フッ化物歯面塗布後の注意事項
  3.フッ化物歯面塗布のう蝕予防効果
   1)乳歯う蝕を半分以下に予防 2)永久歯にも効果的
  4.フッ化物歯面塗布の使用製剤量と安全性
   1)ジェル,溶液の使用量の注意 2)歯のフッ素症について
 2 フッ化物洗口
  1.フッ化物洗口に使われるフッ化物の種類
   1)製品化されている洗口剤 2)フッ化ナトリウム粉末
  2.フッ化物洗口の実際
   1)対象年齢 2)効果的な実施頻度 3)実施手順(家庭編) 4)実施手順(保育園・幼稚園,小・中学校編)
  3.フッ化物洗口のう蝕予防効果
   1)永久歯う蝕を半分以下に予防 2)成人,高齢者のう蝕予防にも効果を発揮 3)う蝕予防効果の持続 4)平滑面,前歯において特に高いう蝕予防効果 5)費用の面でも効率のよい方法
 3 フッ化物配合歯磨剤の利用
  1.フッ化物配合歯磨剤
   1)日本の歯磨剤の約9割がフッ化物配合
  2.フッ化物配合歯磨剤を効果的に利用するために
   1)対象年齢 2)使用回数 3)歯磨剤の量 4)うがいの回数 5)歯磨き後の注意点
  3.フッ化物配合歯磨剤のう蝕予防効果
   1)乳歯う蝕について 2)根面う蝕について
 4 低年齢児への家庭内フッ化物応用
  1.低年齢児への家庭内フッ化物応用とは
   1)対象年齢 2)種類と使用製剤 3)応用回数と使用量
  2.低濃度(フッ化物濃度100ppmF)のフッ化物溶液による歯磨き
   1)溶液の作製 2)歯磨きの実際 3)う蝕予防効果 4)溶液の渡し方と家庭での保管
  3.泡状のフッ化物配合歯磨剤の塗布ブラッシング
  4.ジェル状のフッ化物配合歯磨剤によるダブルブラッシング
  5.フッ化物スプレーの噴霧
 5 各種フッ化物局所応用の選択――複合応用について
  1.年齢,う蝕罹患性とフッ化物局所応用
   1)吐き出しができない低年齢児 2)吐き出しができる3歳ごろ 3)一定時間のうがいができる4,5歳 4)小・中学生 5)青年,成人 6)高齢者
 資料1:臨床で用いられる徐放性フッ化物製剤
 資料2:保険診療におけるフッ化物局所応用
II.各場面におけるフッ化物局所応用
 1 診療室の実際
  1.診療室におけるフッ化物応用の要件
  2.診療室におけるフッ化物応用の位置づけ
   1)予防対象者のすべてがフッ化物の適応者 2)長期に継続して応用することが必須条件 3)長期に継続して来院してもらうために 4)予防や健康づくりの主役は来院者自身 5)プロフェッショナルケアとセルフケアにより予防効果アップ
  3.フッ化物応用による予防システムの概要
   1)乳幼児期(0〜3歳)のフッ化物応用 2)4〜12歳の幼児・学童期のフッ化物応用 3)13〜19歳の少年期から青年前期のフッ化物応用 4)青年期以降のフッ化物応用
  4.フッ化物洗口を継続させるために
   1)歯科医院側の努力洗口液の補充を忘れない 2)来院者側の努力歯科医院のバックアップが大切
  5.まとめ
 2 地域の実際
  ◆都道府県の事例◆
   1.歯科保健医療に関する条例の施行
    1)条例の意義と理念 2)北海道の条例の特徴
   2.条例制定の背景
    1)口腔保健の水準 2)これまでの歯科保健医療の状況
   3.条例が施行されるまでの経緯と経過
    1)条例制定の発端 2)活発な議論
   4.条例におけるフッ化物洗口の位置づけ
   5.フッ化物洗口普及のための具体的な措置
    1)フッ化物洗口実施のための基盤整備 2)フッ化物洗口実施のための解説書づくり 3)フッ化物洗口実施基礎研修の開催 4)フッ化物洗口の位置づけと普及の目標 5)フッ化物洗口推進重点地域の指定 6)フッ化物洗口開始に向けた関心への高まり
   6.施策推進のキーポイントは議員と行政の協働
    1)施策推進の原動力1:議員主導の条例提案 2)施策推進の原動力2:条例制定までの活発な議論 3)施策推進の原動力3:施策立案や予算要求も議員と相談,協議
   7.今後の展望
  ◆市町村の事例◆
   1.フッ化物応用プログラムの発展
   2.フッ化物応用プログラムを選択するまで
    1)県レベルでの取り組み 2)地域レベルでの取り組み
   3.地域におけるフッ化物洗口実施への合意形成
    1)実施目前に起こった反対運動 2)まずは「地域に出る」ことから 3)フッ化物歯面塗布プログラムからのスタート
   4.フッ化物洗口プログラム実施に向かって再スタート
   5.フッ化物洗口の導入へ
    1)無理のないかたちで導入 2)反対運動の沈静化 3)自由参加
   6.小児永久歯のう蝕有病状況の変化
   7.生涯にわたる歯の健康づくりへ
III.フッ化物応用すすめるポイント,答えるポイント
 1 フッ化物応用Q&A
 2 フッ化物とは
  1.フッ素とフッ化物
  2.自然環境物質としてのフッ化物
   1)自然界に存在するフッ化物 2)あらゆる食品に含まれているフッ化物 3)フッ化物は必須の有益元素
  3.フッ化物の代謝と生理
   1)身体に取り入れられたフッ化物とその排泄 2)身体の中のフッ化物
  4.フッ化物の適正な摂取量とその許容量
 3 フッ化物応用とその働き
  1.全身・局所応用とフッ化物の存在様式
   1)全身応用 2)局所応用 3)歯質内外のフッ化物の存在様式
  2.フッ化物のう蝕予防メカニズム
   1)う蝕の発生(脱灰と再石灰化) 2)初期う蝕について 3)フッ化物の脱灰抑制作用 4)フッ化物の再石灰化促進作用 5)高濃度フッ化物の作用
 4 う蝕予防とフッ化物応用の歴史
  1.人の暮らしのなかから生まれたう蝕予防のためのフッ化物応用
   1)“ヒトにとって不利益な“奇妙な歯の発見とその原因調査(I期) 2)“ヒトにとって有益な”フッ化物濃度の推定(II期) 3)フッ化物応用の研究(III期) 4)各種フッ化物応用の普及へ(IV期)
 5 日本のフッ化物応用
  1.フロリデーション
   1)自然の状態で飲料水のフッ化物が過剰だった地域 2)フロリデーションの実施と中断 3)わが国の至適フッ化物濃度 4)水道水のフッ化物濃度調整装置 5)日本のフロリデーション実施の検討
  2.日本におけるフッ化物局所応用普及の歴史と現状
   1)フッ化物洗口 2)フッ化物配合歯磨剤 3)フッ化物歯面塗布
  3.フッ化物応用の反対論
 資料3:数字でみるフッ化物
 フッ化物の過量摂取に対する救急処置
 用語解説
 参考資料
 文献
 「NPO法人 日本むし歯予防フッ素推進会議」は全国のフッ化物応用の普及を支援します
 索引
 執筆者一覧