やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 誤嚥性肺炎などの感染症予防や,認知症予防など慢性期医療,周術期の口腔保健管理の効果など急性期医療において口腔保健管理の重要性が認識されるようになり,歯科衛生士への期待が広がっています.そして,各領域でのスペシャリストとしての歯科衛生士が求められ,専門的な知識と技術をもつ認定歯科衛生士が誕生しています.
 それにともない歯科衛生士は重度の疾患や障害をもつ患者や家族と関わる機会が増えました.ケアを行うためには,患者や家族の身体的苦痛,精神的苦痛,社会的苦痛,スピリチュアルペインの4つのトータルペインに配慮して専門職として関わっていくことが求められます.そのために患者や家族の精神的苦痛や社会的苦痛を知ることが大切です.聞き取り調査を行うとき,研究対象者をインフォーマント(informant 情報提供者)とよびます.質的研究は,聞き取り調査を行ったインフォーマントの語り(ナラティヴ)から,インフォーマントが感じている世界を深く探っていきます.たとえば,病状や障害が進行することで精神的苦痛がどのように変化したのかという変化のプロセスや,誰のどのような言動で精神的苦痛が助長されたり軽減したりしたのかなど,詳細な心理状態と変化をもたらした要因との関係について分析することを得意としています.また,同じ疾患をもつ患者への質的研究を積み重ねることで,その疾患を有する患者の気持ちを予想し,歯科専門職としての支援に生かすことが可能となります.
 患者の気持ちに寄り添ったケアが重要視される保健・医療・福祉の分野では,数多くの質的研究が行われています.しかし,歯科領域での質的研究がそれほど多くありません.そこで質的研究とはどのようなものなのか,量的な研究とどのような違いがあるのか,歯科衛生学領域の研究にどのように取り入れることが可能なのかをご紹介したいと思います.
 筆者がはじめて質的研究を行ったとき,研究方法を検討するための本,聞き取りの技法に関する本,分析方法を調べるための本など,悩みながら多くの本を読みました.質的研究に関する本は,社会学,心理学,看護学の分野で数多く執筆されています.それらの本の入門編も最初に質的研究に関する理論をしっかりと説明しています.社会学の知識がある人以外は,理論的な説明の部分を読み始めただけで質的研究がとても難しいものだと感じて本を閉じてしまうのではないかと思います.そのため,この本では質的研究の理論的な説明は最小限にしました.質的研究を論文としてまとめるためには,選択した研究方法の理論に関する本も一緒に読まれることをお勧めします.この本で引用している文献は,すぐに手にとっていただけるように日本で質的研究の第一人者として活躍されている方の著書や日本語に翻訳されている著書を中心に利用しています.大学院生で質的研究を行おうと考えている方は,この本で説明を省いた質的研究の背景となっている社会学や哲学などの理論も勉強してください.
 2017年7月 隅田好美
 はじめに
第1章 歯科衛生学分野に役立つ質的研究
 1.歯科衛生士にとって,どうして質的研究が必要なのか
  1)患者の気持ちを理解した支援を検討するために
  2)主観的ニーズと客観的ニーズ
  3)プロセスと相互作用
  4)意味づけ
 2.質的研究が得意とすること,量的研究が得意とすること
  1)仮説検証と理論生成
  2)質的研究が得意とする研究領域
 3.質的研究のいろいろ
第2章 研究デザイン
 1.研究テーマの設定
  1)漠然と研究の関心がある分野を書き出してみる
  2)研究テーマを絞るために,本や論文を読む
 2.論文の調べ方
  1)一次資料と二次資料
  2)論文の種類
  3)論文の調べ方
  4)研究分野ですでに行われている研究を知るために
  5)研究分野に関連した知識を増やすために
 3.研究方法を決める
  1)質的研究or量的研究
 4.研究を深めるために
  1)横断研究と縦断研究
  2)比較検討
  3)トライアンギュレーション(triangulation)
第3章 質的研究の進め方(事前準備)
 1.研究方法の選択
  1)聞き取り調査
  2)フィールドワーク
 2.研究対象者の選択
  1)雪だるま式サンプリング
  2)グラウンデッド・セオリー・アプローチにおける理論的サンプリング
  3)対象者の絞り込み
 3.研究計画書作成
 4.倫理的配慮
  1)インフォームド・コンセント
  2)歯科衛生士として関わっている患者への倫理的配慮
  3)インフォーマントのプライバシーおよび個人情報の保護
 5.研究依頼
第4章 聞き取り調査
 1.聞き取り調査の準備
  1)半構造化面接によるインタビューガイドの作成
  2)面接場所
  3)聞き取り調査の前について
 2.聞き取り調査の実施
  1)信頼関係の形成
  2)開始前の説明
  3)聞き取り調査の進め方と注意点
 3.聞き取り調査の記録
  1)聞き取り調査中の記録
  2)聞き取り調査実施後の記録
 4.聞き取り調査終了後
  1)お礼状の送付
  2)逐語録作成
第5章 フィールドワーク
 1.フィールドワークの実践
  1)研究者のスタンス
  2)インフォーマントとのラポールの形成
  3)観察の焦点化
  4)インフォーマントにとっての意味づけ
 2.フィールドワークでの観察
  1)外部者と内部者の意味づけ
  2)人と人の相互作用
 3.フィールドノーツ
  1)メモ
  2)フィールドノーツを書くために
第6章 グラウンデッド・セオリー・アプローチによる質的研究
 1.グラウンデッド・セオリー・アプローチで大切なこと
  1)行為とプロセスに焦点を当てる
  2)理論的サンプリングと絶えざる比較
  3)理論的飽和
 2.分析の手順
  1)コード名を付ける
  2)カテゴリーをつくる
  3)カテゴリーの関連を検討する
  4)中核カテゴリーと他のカテゴリーを関連づける
 3.メモとダイアグラム
  1)メモ
  2)ダイアグラムの作成
 4.ストーリーラインを書く
第7章 論文の書き方
 1.公表することの大切さ
 2.論文の構成と書くべきこと
  1)タイトル
  2)緒言
  3)研究方法
  4)結果
  5)考察
  6)結論
  7)謝辞
  8)引用文献
第8章 具体的な質的研究
 例題1 在宅における質的研究の例─主観的ニーズに寄り添う支援のために
  1)研究テーマの動機─臨床経験の裏付け─
  2)質的研究の結果から専門職としての支援を考える
 例題2 歯科臨床現場における質的研究─新人歯科衛生士の悩みの変化
  1)研究テーマの絞り方
  2)研究方法の決め方─同一対象者(新人歯科衛生士)への継続的研究─
  3)対象者の個人情報の取り扱いの配慮
 例題3 教育現場における質的研究の例─教育改善のための研究
  1)研究テーマ:対象者の視点での問題点の改善
  2)改善効果の検討方法:縦断研究による比較検討
  3)質的研究の効果
  4)トライアンギュレーションの研究デザイン
 例題4 施設における質的研究の例?介入をするための事前研究
  1)研究テーマ:介入を目的とした研究(アクションリサーチ)

 引用文献
 おわりに
 さくいん