特集 社会的行動障害への挑戦

特集にあたって

 学生時代,筆者の大学に開設されたばかりの神経内科学の臨床実習で,「高次脳機能障害とは?」という教官の質問に対して,「失語,失行,失認等の症状です」と答えれば何とか許してくれた.これらの症状を私がちゃんと理解していたかはきわめて疑わしい.医師になって数年後,初めてリハビリテーション(以下リハ)病院で研修したときに「右片麻痺をみたら失語症,左麻痺をみたら左半側空間無視をまず要チェック」ということを教わった.
 それから約30年,高次脳機能障害に関しての研究や関係者の理解は進んだ.特に平成13年から17年にかけて全国十数カ所の機関で行った,国の高次脳機能障害支援モデル事業もその推進に大きな役割を果たした.この事業での「高次能機能障害」の対象は,事故や疾病による脳の器質的病変に基づく記憶障害,注意障害,遂行機能障害,社会的行動障害等の認知障害が主役であり,失語症は身体障害として従来から認定可能であったために,支援事業の対象から外れている.すなわち,それまで日常生活や社会生活に支障があるにもかかわらず,障害者サービスの網から落ちていたこれらの症状をもつ方々への支援対策を推進する事業である.
 脳外傷による高次脳機能障害の患者さんを初めて病院で担当した医療スタッフには,この患者さんはよくわからないなあと感じたり,あるいは症状を軽くみてしまって痛い目にあったりした方も多いだろう.そのなかでも特に周りの方を困らせるのが社会的行動障害である.対人関係をうまくつくれない,引きこもってしまう,感情のコントロールがきかずに暴力をふるってしまう,等で周囲の方の手を煩わせることになる.また,社会的行動障害があったとしても患者は急性期病院入院中には気づかれずに退院し,社会に出てから困った問題があることに気づかれるものの,医療機関等に相談してもうまく対応してくれない場合も多い.
 これまでの研究や支援事業の成果により,現在では記憶障害,注意障害,遂行機能障害については,その病態の解明がある程度進んで,評価方法や対応方法も徐々に確立してきている(本誌18巻9号の特集「高次脳機能障害に対するリハ治療−Evidenceはどれぐらいあるのか?」を参照).一方,社会的行動障害については,その病変部位の解明がようやく客観的になされ始め,評価方法についてもまだ整理されていない段階である.現在その対応にはさまざまな精神心理学的なアプローチや薬物療法が行われているが手探りの部分もある.さらに,これらの患者の社会的支援においては,特に暴言・暴力のような反社会的行動が阻害因子となるため,就学・就労等を支援する際には,受け入れ側への理解促進も含めた長期にわたる地道な努力を要している.
 今回の特集では,社会的行動障害に関して,その社会的背景,病態と診断,評価,治療,社会支援等の観点からそれぞれの第一人者に現状を執筆いただいた.この特集を通して,社会的行動障害に対するリハ関係者の理解を深めていただくとともに,この障害に関するリハ戦略の確立と推進に役立たせていただきたいと思う.
 高次脳機能障害支援モデル事業は平成17年度で終了し,その後は国の補助事業である高次脳機能障害支援普及事業として,平成24年度には全都道府県で高次脳機能障害支援拠点機関が設置されることを目標に,各自治体での相談体制が整いつつある.高次脳機能障害をもつ若い方々がもっと社会参加を実現できるようにしていきたい.

 (編集委員会)

 

オーバービュー:社会的行動障害と高次脳機能障害者支援
   
中島八十一
key words 社会的行動障害 高次脳機能障害 器質性精神障害 リハビリテーション

社会的行動障害の診断と評価
   
丸石正治
key words 高次脳機能障害 社会的行動障害 ジレンマ Patient Competency Rating Scale
   
内容のポイントQ&A
Q1 社会的行動障害の画像所見の特徴は?
  社会性に関する脳部位は最近明らかにされつつあり,前頭葉・側頭葉の基底部が主に機能していると考えられている.これらの部位は,脳外傷で損傷しやすいことから,脳外傷が社会的行動障害を呈しやすいことの説明として,説得力をもつ.最近,前頭葉基底部損傷で興味ある報告があり,感情的な要素を含むジレンマ状態において,健常者ほど悩まないといった特徴的な症候が報告された.
Q2 社会的行動障害を疑うケースとは?
  Q1で示された脳部位の損傷があることが有力な所見である.また,451名の高次脳機能障害者を対象に全国調査を行ったところ,高次脳機能障害者の情緒・行動上の問題は,(1)自己中心性・感情コントロールの低下,(2)自立性の低下,(3)意思疎通の困難さ,(4)記憶力の低下,(5)抑うつ,(6)状況把握の困難さ,の6因子36項目に要約できることが明らかになった.このような症状が認められるときには,積極的に疑うべきであろう.
Q3 社会的行動障害の診断と評価は?
  社会的行動障害を総合的・客観的に数値化する方法はいまだ開発されておらず,問診によるか,行動観察による症状判定を実施することが主たる方法である.脳外傷を対象とした判定表がPrigatanoらにより開発されており,自己認知低下の判断にも利用できる.また,筆者らの施設で客観的テストをいくつか導入しており,参考的所見として利用できる.

社会的行動障害へのリハビリテーションアプローチ
   
青木重陽
key words 社会的行動障害 リハビリテーション 認知行動療法 環境調整
   
内容のポイントQ&A
Q1 リハビリテーションにおける評価は?
  現実の症例では,複数の症状が複合的に関与して臨床像が形成されている.複数の検査による総合的な判断が必要になる.
Q2 リハビリテーションプログラムは?
  認知行動療法の援用が有用である.他の疾患に利用されている形そのままではなく,脳損傷者に合わせた形で行うことが必要である.
Q3 リハビリテーションアプローチの限界は?
  どのタイミングでどういった治療を導入するべきか,系統だった検証等が今後の課題である.

社会的行動障害への精神心理学的アプローチ・治療
   
先崎 章 三村 將
key words 社会認知 心の理論 脱抑制 anger burst 認知行動療法
   
内容のポイントQ&A
Q1 社会的行動障害の背景にある精神医学的仮説は?
  (1)社会脳の不全に由来する反社交的・非社会的行動や,(2)情動回路である大脳辺縁系の不全に由来する情動障害が背景にあると考えられる.しかし,これらのみですべてを説明することはできない.
Q2 他者理解のための介入にはどのような方法があるのか?
  「心の理論」の直接訓練は,広汎性発達障害でSST,ロールプレイ,小集団作業療法等グループを用いて行われる.個人レベルでは,漫画を用いて事象・状況と感情の関係のシナリオをつくる.前頭葉損傷者にこれらの直接訓練を行う試みがなされてはいるが,代償的技能訓練や認知技能訓練が現実的な方法と考えられる.遂行機能訓練は有効かもしれない.
Q3 衝動コントロールに対する薬物療法にはどのようなものがあるのか?
  衝動コントロール,激しい怒りの爆発(anger burst)の予防のための薬物療法は,脳外傷スペシャリストではVPA(valproic acid)を選ぶことが多い.
Q4 衝動コントロールに対する心理的アプローチとは?
  機能や気づきのレベルが低いほど行動的アプローチが中心となり,機能や気づきのレベルが高いほど認知的アプローチの導入が可能である.また,anger burstに対する認知的アプローチは,生じるパターンに注目する方法と,帰結に注目する方法とがある.

社会的行動障害をもつ患者の社会復帰支援
   
阿部順子
key words 社会適応モデル 障害認識 行動管理 環境支援 育て直し
   
内容のポイントQ&A
Q1 社会復帰支援の難しさは?
  社会的行動障害は社会適応と密接な関係がある.とりわけ,暴言・暴力のような反社会的行動は社会参加の重大な阻害要因となる.また,問題行動に対する家族の支援度が高い場合には,社会参加の場から容易にドロップアウトする傾向がある.
Q2 社会復帰支援に役立つ制度はどのようなものがあるか?
  社会的行動障害のある人に特化した社会復帰支援に役立つ制度はない.しかし,本人に行動管理を訓練する場として,自立支援施設や当事者作業所を利用することができる.また本人が安心して暮らせる環境を整備するためには,高次脳機能障害支援コーディネータや当事者団体等に相談し,アドバイスを受けることができる.就労においてはジョブコーチ制度が役立つ.
Q3 社会的行動障害をもつ患者への社会復帰支援はどのように行うか?
  暴行を繰り返した記銘力障害の重度な若者の就労に至る支援を紹介した.言語による統制の向上を目指すこと,行動を記録する記憶の外在化によって失敗経験を活かせるようにすること,不適切な行動に責任を負うことを意識させること,等認知面へのアプローチが有効であった.さらに,育て直しには,本人を取り巻くさまざまな人たちがかかわり続け,本人を手助けすることが重要であった.