Thomas C.Südhof教授(Tom)のノーベル医学生理学賞受賞によせて

畑 裕/はたゆたか
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科病態代謝解析学分野

 「怪力乱神を語るべからず」と云います.医学生の教育を担当し,大学院生の科学研究指導をする立場にある身で「虫の知らせ」などと口にしたならば,見識を疑われても仕方ありません.しかし,2013年のノーベル医学生理学賞の受賞者を知った時には,「虫の知らせ」の存在を信じないわけには参りませんでした.9月の半ば以来,Randy Schekman教授とJames Rothman教授にThomas C.Südhof教授(Tom)を加えた三人が選ばれる気がしてならなかったのです.TomがLasker賞に選ばれていたから,そのせいでないかと指摘されそうですが,それは違います.実は,TomがRichard Scheller教授と共に今年のLasker賞を受賞したことを知りませんでした.Thomson Reutersが予測を出していたのかもしれませんが,それも見てはおりません.何の根拠もなく,ただ予感だけが日増しに強まる中に10月7日となり,新聞社から問い合わせがあったときも,Tomの受賞そのものに驚きはなく,自分の予感の的中にむしろ驚いていました.
 しかし,キー・ペーパーとしてsynaptotagminのクローニングの論文1)と並んで,Munc-18の論文2)の名前があげられていたのは予測外でした.Synaptotagminが神経伝達物質放出のカルシウム・センサーであることを示した論文3)など他にも重要な論文はありますから,自分が携わった仕事がリストに載ったことは意外でしたし,低空飛行が続く自分の現況と引き比べて,恥ずかしいような,情けないような,悔しいような,複雑な心持ちにさせられる出来事でした.しかし,とにもかくにも痕跡の残る仕事をできたことを素直に喜ぶ方が,研究者としては正しいでしょう.Munc-18の論文の成り立ちには多少,因縁めいたところもありますので,Tomの下で働く機会を得た縁と合わせてTomの研究室で過ごした日々の一部を紹介すれば,あるいはこれから海外でポスドクとして働こうとする若い研究者の参考になるのでないかと思い,この原稿を書き起こします.

■Tomとの出会い
 Tomに最初に出会ったのは,1991年の夏です.神戸大学の高井義美教授のもとで研究生として低分子量G蛋白の研究に従事し,2年を過ごして東京に戻り,本来であれば臨床の教室に戻るべきところを,臨床医の生活に戻る気にもなれずに東京大学医科学研究所の新井賢一教授の研究室に身を寄せていた私は,Cold Spring Harbor LaboratoryのBrain and Developmentという2週間のサマーコースに参加した後,さらに2週間をかけてアメリカのあちらこちらの研究室を訪問し,留学先探しを試みました.
 BostonからSan Diegoまで6都市の10あまりの研究室を訪問したでしょうか.ゼブラフィッシュの研究を始めていたMark Fishman教授,ショウジョウバエのSevenlessのLawrence Zipursky教授(当時は准教授),チロシンキナーゼのJoseph Schlessinger教授など,選択した訪問先は脈絡ないともいえる多彩さでありましたが,その中にノーベル賞受賞者として著名だったJoseph Goldstein教授,Michael Brown教授の研究室(Department of Molecular Genetics,UT Southwestern Medical Center)がありました.両先生の主要な研究テーマは云うまでもなくコレステロール代謝でしたが,低分子量G蛋白RasのC末端の脂質修飾に関する論文を発表されていました.高井研在籍時に精製同定に参画した低分子量G蛋白Rab3A(smg25A)の制御分子GDIの作用にRab3AのC末端の脂質修飾が大切なことが明らかになりつつあり,RasとRab3Aの脂質修飾の相似性がお二人の研究室を訪問先に選んだ理由でありましたが,Brown教授と親交のあった新井先生のご紹介がなければインタビューの機会を頂けなかったかもしれません.
 Goldstein教授,Brown教授のデパートメントにTomがいることは知っていました.Tomの経歴は今回の受賞で広く知られるようになっていると思いますが,Goldstein教授,Brown教授のもとでポスドクとしてLDL受容体をクローニングした後,Howard Hughes Medical Instituteのポストを与えられて独立し,synapsinやIP3受容体のクローニングの論文4,5)に続いて,ノーベル賞受賞のキー・ペーパーのひとつであるsynaptotagminクローニングの論文1)も当時すでに発表していました.高井研での研究との関連で云えば,1990年にRab3Aがシナプス小胞にある事を報告する論文6)を発表していましたし,GDIがRab3Aのシナプス小胞膜と細胞質の間のリサイクリングを制御するというReinhard Jahn教授の論文7)の共著者にもTomの名前がありました.Jahn教授はTomの盟友ともいうべき存在で,蛋白に強いJahn教授と遺伝子に強いTomがタッグを組んで仕事を進めるスタイルがとられていました.
 Brown教授にお送りした手紙の中にも,神経の研究にも興味があるのでTomとも面談したい旨,書き添えていました.私のセミナー発表が終わった後,Goldstein教授は,自分たちはRasの脂質修飾の論文を発表したけれども,その研究に力を入れて展開する予定はないので,自分たちの研究室に来るよりTomの研究室のポスドクになるほうが良いだろうと勧められました.Goldstein教授は初めから私をTomの研究室のポスドク候補と見ていらしたのでしょう.ダラスでの滞在中の日程表を用意してデパートメントの案内役となったのはTomでした.デパートメントの何人かの教授,ポスドクとの一日がかりの面談の後,TomのオフィスでTomと向かい合い,8月から来られないかと尋ねられた時には,Tomの研究室に草鞋を脱ごうという気持ちになっていました.

■Tomのラボを選んだ理由
 その選択には様々の理由があります.一見,枝葉末節ながら,Dallasという土地柄が気に入りました.東海岸,西海岸は日本人研究者が多すぎて,私には気づまりでした.DallasはBostonやLos Angels,San Franciscoに比べるとはるかに田舎で,のびのびとした印象がありました.日本人が留学したことのない研究室に行きたいという希望にもTomの研究室は適っていました.
 しかし,何よりもTomの研究スタイルに安心感をもちました.医学科卒業後,もっぱら臨床医の道を歩み,31歳になってようやく基礎の教室での研究をスタートした私は研究経験が乏しく,できることと云えば高井研で習得した蛋白を扱う実験だけで,細胞培養も分子生物学もまだ学習中でしたから,あまり高級な難しい研究をしている研究室に留学したならば付いていけないのでなかろうかと不安でした.その点,Tomは新しい蛋白を精製同定して遺伝子配列を決定するという極めて直線的で単純なアプローチをとっていましたから,Tomの研究室でならば経験の浅い自分でもなんとか論文をまとめられて生き残れるだろうと保身的な計算が働きました.話の途中で部屋に入ってきた秘書さんに対する指示の出し方が極めて明快,具体的であったのも,指導者として仰いで安心と思わせてくれました.
 単純なアプローチと云ってもTomにはTomなりの論理があって,シナプス小胞という限定された細胞内小器官であれば,そこに存在する全ての蛋白を同定することは不可能ではなく,しかも神経伝達物質放出の仕掛けはシナプス小胞の上にある蛋白を全て同定すれば自ずと明らかになるはずだから,やる価値があるというのがTomの主張でした.この発想はJahn教授とTomの共有するところで,1991年の『Neuron』のレビュー8)にも記載されていたように思いますし,はるかに時を経て2006年には現在,同志社大学にいらっしゃる高森茂雄教授とJahn教授の論文に結実しました9).今風に云うならばシナプス小胞の全ての蛋白,すなわちsynatptic vesiclomeを調べ尽くすsynaptic vesiclomicsを企図していたことになります.

■当時の研究室と与えられた仕事
 私は日本に戻ると折り返し,Tomのところに世話になりたいと返事をしました.Tomはすぐに来いと云ってくれるのですが,いざ日本を離脱するとなると心残るところもあり,少しずつ先延ばしをしながら,Human Frontier Science Program(HFSP)の長期フェローシップへの応募に着手しました.提案したのは線虫の神経伝達物質放出にかかわる遺伝子の哺乳類ホモログを同定するというプロジェクトで,unc-18のホモログがその第一候補でした.Unc-18は配列上,酵母の膜輸送にかかわるsec1に相同性があり,unc-18の変異をもつ線虫の表現型はsynaptotagminホモログ変異体をもつ線虫の表現型に類似してアセチルコリン放出異常を示すことが知られていました.ですから,unc-18の哺乳類ホモログはシナプス小胞に関係しているだろうと推論されたのです.HFSPに書類を提出したあとも新井研での仕事を続けて時を送り,できれば正月を日本で過ごしてから行きたいなどと呑気なことを考えておりましたが,一方で生活のために続けていた臨床医としてのアルバイトが苦痛となり,そのせめぎ合いの中,11月21日という中途半端な時期にTomの研究室の一員となりました.34歳9カ月と,随分と薹が立ったポスドクでした.
 Tomの研究室にはアメリカ人は殆どいませんでした.SynaptotagminのクローニングをしたMark Perinは独立して研究室を去っていました.ですから,synaptotagminクローニングにまつわる事情は知りません.おそらくScheller教授のグループと激しい競争があったのだろうと思います.IP3受容体のクローニングをしたGregory Migneryは就職活動中で,ほとんど研究室にいませんでした.MD・PhDの学生と技術員,秘書にアメリカ人がそれぞれ一人いたほかは,ドイツ人とソ連崩壊を受けて流れてきたロシア人,ウクライナ人,キルギス人が研究室の大半を構成し,そこにフランス人,アイルランド人,ノルウェー人,中国人が加わり,技術員2名もポーランド人と,極めて国際色豊かな研究室でした.
 ポスドクには少なくとも3つプロジェクトを割り振るのがTomの方針でした.Synaptotagminをウシの脳から精製してアフィニティーカラムを作るというプロジェクトが私の最優先項目でした.その次に位置づけられていたのは,neurexinをCHO細胞に発現させて神経細胞と共培養して,シナプス形成への影響を見るという実験でした.Neurexinはクロ後家グモの神経毒α-latrotoxinの受容体として知られていた神経接着分子で,旧ソ連から来た研究者たちが中心となり,膨大なアイソフォームを対象とするクローニングが進行していました.三番目は,その少し前にScheller教授のグループが報告したp65結合分子であるsyntaxin(p65はsynaptotagminのことですが,Scheller教授らはp65と呼んでいました)とカルシウムチャネルの相互作用を追試するというものでした10).この3つを主軸として,さらにおまけでHFSPに応募したからには採択になるかわからないけれどもunc-18のホモログをクロス・ハイブリダイゼーションでとる試みも片手間にやっておきなさいという,そんな構えで私のポスドク生活は始まりました.
 Dallasについた初日にTomに挨拶して研究室の鍵を渡された後,Tomの研究室から階下に降りて,Goldstein教授,Brown教授の下に留学していた同級生の石橋俊氏(現在,自治医科大学教授)が迎えに来てくれるのを建物の入り口で待つ間,駐車場脇の雑木林に帰巣してくる鳥のけたたましい啼き声を聞きながら,日本に帰れる日が来るのだろうかとひどく心細くなったことが夕映えを背景に黒々と浮かぶ樹木の影の情景と共に,未だにありありと思い起こされます.

■Syntaxinのプロジェクト
 個々のプロジェクトのその後の経緯の詳細は紹介致しませんが,三番目のプロジェクトは一言でいうと,p65のクローニングではShelller教授のグループに勝ってsynaptotagminの名前を残したものの,synaptotagmin結合分子syntaxinの同定で後塵を拝したTomが捲土重来を期するプロジェクトであったと思われます.シナプス小胞蛋白同定競争のそれまでの戦績は,synaptophysinにおいてはTom-Jahn教授チームが勝ち,synaptobrevinでは引き分けたか僅差でScheller教授に軍配が上がり(official symbolはVAMPとなっていますが,synaptobrevinの名前も比較的良く使われています),synaptotagmin,syntaxinを合わせるとTom-Jahn教授の2勝1敗1分け,ないし2勝2敗でした.
 ちなみにsyntaxinは神経細胞と網膜に豊富な蛋白HPC-1として日本のグループによってもクローニングされています11).Tomは,研究室内ではsyntaxinではなくHPC-1と呼称していました.さらに「ちなみに」が重なりますが,上皮細胞形成にかかわる分子としてsyntaxin類似の分子が同定され,epimorphinとして報告されていました12).Epimorphinについては,その後どうやらsyntaxinのアイソフォームのひとつであるsyntaxin2と同じ分子で,N末端が細胞の内側にも外側にも向く二重性をもち,内側に向けばsyntaxin2,外側に向けばepimorphinとして働くとされているようです.Munc-18の論文を『Nature』に投稿した時もTomはsyntaxinでなくHPC-1と表記して,編集者からsyntaxinがもはや一般に受け入れられているのだから,syntaxinと書いてほしいと窘められていました.

■『Nature』掲載までの道のり
 HFSPのフェローシップは幸い採択され,1992年の秋からその支援を受けることになりました.Unc-18のホモログの同定にも真面目に取り組まないわけにはいかなくなりました.ところが,クロス・ハイブリダイゼーションで簡単にとれるだろうという安直な期待は裏切られ,ハイブリダイゼーションの条件をあれこれ変えても,これぞというクローンがとれてきませんでした.プロジェクトは複数あるのでひとつ動かなくても困らないのですが,その分うまくいかないプロジェクトは棚上げされがちで,益々動かなくなるのも事実です.
 この間,HPC-1とカルシウムチャネルの結合実験も頓挫しつつありました.もっとも,この場合はどちらかというとHPC-1とカルシウムチャネルは結合しないという結果を期待しているようなところもあって微妙です.Neurexinの実験も神経細胞の初代培養に躓いて,進捗を見せていませんでした.その後,Anne Marie Craig教授がβ-neurexinによって抑制性シナプスが形成されるという論文を発表していますから13),私が成功しなかったのは,懸念通り私の研究者としての引き出しの少なさの所以であったと思います.私はβ-neurexinではなくα-neurexinを使っていました.Neurexinによる細胞接着にはアイソフォーム特異性がありますから,この違いは決定的です.いろいろなアイソフォームを試そうとしなかったのも底の浅い話ですが,仮にβ-neurexinを使っていても形態観察に慣れていない私が成果をあげえたかは疑わしいと思われます.さらに,dystroglycanやCblnという分子もneurexinに結合し,シナプス形成にかかわることが分かっている現在,細胞生物学的研究における自分の未熟さが改めて反省されます.
 打ち止めになるプロジェクトがあれば,それに代わって新しいプロジェクトが加わります.Neurexinの細胞質内領域を神経細胞に打ち込む実験や,neurexinの細胞外領域をIgG融合蛋白として発現し,接着する相手を探すプロジェクトが立ち上がっていきました.そうした中でなされたのが,syntaxinのglutathione S-transferase(GST)融合蛋白によるプルダウン実験でした.カルシウム・チャネルとの相互作用の実験のためにGST-syntaxinを調製していたのですが,発現がはなはだ良く,GST蛋白でしばしば悩まされる分解もなかったので,深い考えもなく脳の抽出画分を使ってプルダウン実験をしたのです.その結果,syntaxinに結合する蛋白がクーマジー染色でも,くっきりはっきりと目で確認できるバンドとして認められました.犬も歩けば棒に当たる.宝くじは買わなければ当たらない.Goldstein教授の研究室には“Just do it”というNikeのトレードマークが掲げられていましたが,四の五の言わずにできることはやってみようというノリで行われた実験です.サンプルを直ちにHoward Hughes Medical Institute所属のDr.Slaughterの研究室に持ちこみ,ゲルからの切り出し,蛋白分解,ペプチド配列解析の対象にしてもらいました.以降は,ペプチドに対応するオリゴをプローブとするハイブリダイゼーションに始まる定石的なクローニングが進んでいきました.プルダウン実験をしたのが1993年の5月で,クローニングを開始したのは6月であったかと思います.Tomは教訓めいたことを普段,口にしない人ですが,ペプチド配列解析を依頼するに際しては「アメリカで他の人に何かしてもらうためには,依頼内容が依頼している人間にとって,どれほど大事かを相手に伝えなければいけない」と説き聞かせてくれました.
 クローニングからとれてきたのは,unc-18にホモロジーのある遺伝子でした.遺伝子としてとろうとしていた分子を,図らずも蛋白としてとったというわけです.キツネに化かされたような話で,新規分子を期待していた私はがっかりした覚えがあります.Munc-18とunc-18はアミノ酸レベルでのホモロジーが60%未満ですので,遺伝子全体をプローブとするクロス・ハイブリダイゼーションではとりにくく,仮に遺伝子として釣るならば,unc-18と酵母のsec1やショウジョウバエのホモログの間で保存されている配列を標的とするPCRによるべきだったでしょう.競争相手であったScheller教授のグループは,そのアプローチをとっています.
 今,競争相手と書きましたが,unc-18のクローニングを行っている最中,Tomも私もそれほど強く競争相手の存在を意識していませんでした.シナプス小胞の蛋白を相手にしているわけではないので(Munc-18は細胞質の蛋白で,シナプス小胞を構成する蛋白ではありません),Tomにとって主戦場ではなく,何が何でも勝たなければならないテーマではなかったのかもしれません.Tomからプレッシャーをかけられた記憶はありません.私と云えば,英語力の限界もあって学会などには全く出かけておらず(英会話は今も下手です.英会話はできる方が良いに決まっていますが,英語ができなくてもポスドクとして海外で働くことはできます),研究室の外の出来事にまで関心が回っていなかったのが実情です.
 LDL受容体のクローニングで力量を認められてHoward Hughes Medical Instituteにポジションを獲得したTomにとって,クローニングは一番,得意とするところです.研究室内のクローニングシステムは整然とシステム化されていました.おまけにクローニングのような単純作業であれば,高級な技術や深い知識は要らず肉体を駆使すれば片がつきますから,研究経験の浅い私でもやってのけられます.形振り構わず痩せ我慢するのは得意です.論文の最後の図に相当する,syntaxinのどの部分にMunc-18が相互作用するかを検討する実験結果の電気泳動のゲルをライトボックスの上でTomに見せたのは何時だったでしょうか.実験ノートが手元にないので確認できませんが,8月の終わりか9月の初めではなかったでしょうか.この原稿を書くにあたって数年前に研究室を移転して以来,ずっと段ボール箱に詰め込んで放置してあった論文のリプリントを取り出してみましたら,1993年10月20日にreceived,11月5日にacceptedとありました.この記載はおそらくrevised manuscriptのことで,一回目の投稿はそれより前だったはずです.
 なんとも古き良き時代の牧歌的な論文です.今の若い学生,研究者が読んだなら,なぜこんなのが『Nature』にアクセプトされるのだと呆れる以上に憤慨するのではないでしょうか.図はたったの4個だけで,1個のサプルメントもありません.内在性蛋白の染色像もなければ,内在性蛋白としてのMunc-18とsyntaxinの相互作用のデータもありません.ましてや,Munc-18の機能を示すデータはありません.時代が違うとはいえ,当時としても『Nature』の論文にしてはあっさりし過ぎています.研究室内でも,後年Munc-18のノックアウトマウスの解析論文を発表することになるMatthijs Verhageは原稿を一読して「これはアクセプトされるよ」と云ってくれましたが,別のポスドクは原稿を読んだ後,これで『Nature』に投稿するのかというように皮肉な笑いを浮かべました.投稿する前に,どこかの会合で『Nature』の編集者に会って打診したとTomが話してくれました.何らかの事前交渉があったのでしょう.これ以外にNorthern blotのデータもあるから要請があればArticleにしてもよいと,大それたこともTomはカバーレターに書いていました.私たちの論文が『Nature』に掲載された直後に,Scheller教授の論文が『Proc.Natl.Acad.Sci.USA』に発表されました.私たちの論文の掲載を知って急いでまとめて投稿したとも聞いていますが,真偽のほどはわかりません.

■研究費,政策についての一考
 余談めくのですが,Tomの研究室はHoward Hughes Medical Instituteに属していましたから恵まれた研究環境にあったはずです.Dr.Slaughterによるアミノ酸解析がスムーズに進んだのもそのおかげでしょう.それでも予算年度の途中で研究費が不足して,Goldstein教授のもとにTomが何やら交渉に出かけていくという場面が一度ならずありました.Syntaxinの欠損変異体を作るにしても,PCRで任意の領域を増幅して作るのでなく,プライマーを注文せずに済ませるため内在性の制限酵素サイトを利用しました.シークエンスもABIのシステムを使っていたものの,termination法ではコストが高くつくので,primerの方で色分けする手間暇がかかる方法を使っていました.研究費は潤沢であるに越したことはないのですが,と云って無闇やたらにお金があれば良いというものでもないでしょう.素朴に考えるならば,一人の研究者に一億円を与えるよりも五人の研究者に二千万円を割り振るほうが,トータルのアチーブメントは大きいでしょう.
 大学院生を指導し研究者として育成する教育の初期段階では,小規模な研究グループに配置する方が有効です.競争原理一辺倒で適者生存をつき進め,特定の種が独り勝ちするならば,生物界は破綻するでしょう.生物多様性ならぬ研究室多様性の維持が大切です.Tomとは全く関係がありませんが,ある高名な先生から「超一流のサイエンスは一流のサイエンスからは生まれない.二流以下のサイエンスから生まれる」と伺ったことがあります.この御意見には反論もあろうかと思いますが,全ての大学院生を一流の研究室で引き受け切れないのは物理的に明らかです.前述の犬も歩けば棒に当たるは,下手な鉄砲も数撃てば当たるとも置き替えられ,その意味でも大小様々,華々しい業績をあげている研究室もあれば,それほどでもない研究室もあるという構図を受け入れる余裕が,将来の予測外の発展をもたらすように思われるのです.
 新聞社の問い合わせには当然のことながら,受賞対象となった研究は何の役に立つのかという質問がありました.膜輸送はインスリン分泌や神経伝達物質放出に関係するので,その破綻は色々な疾病に関係しているに違いありませんが,といって膜輸送の研究が直接,治療薬の開発につながるものでもありません.経済産業的視点から国家的プロジェクトとして展開する必要がある研究は別として,今回のノーベル賞の対象となったような学術的基礎研究においては,煌びやかな旗飾りを押し立てて勇ましい掛け声のもとに賑やかに推し進めるよりも,静かな落ち着いた環境の中で個々の研究者が,それぞれのペースで息長く継続することが大事ではないでしょうか.TomはMDですが,研究の応用的展望を論じるのを聞いたことがありません.現在のTomの研究室のホームページには自閉症研究への寄付をつのるバナーが掲示されていますので(neurexinとその結合相手であるneuroliginは自閉症に関連することが知られています)最近は宗旨替えしたのかもしれませんが,20年前にはtranslationalな研究はおろかdisease-orientedな研究さえも視野に入れず,ただひたすらにシナプス小胞の蛋白を決定することにのみ関心をもっていました.研究者が納税者に対する説明責任を果たさなければならないのは云うまでもありませんが,公共土木工事の必要性と同じ扱いで基礎研究の必要性を説明しようとすると分かりやすさを追求するあまりキャッチ・コピーに頼る表層的な説明に陥り,本当に新しいこと,つまり従来の価値観からは価値があると判断されにくいことを追求する基礎研究の本質から逸脱しかねないのではないでしょうか.

■Tomのその後と受賞に思うこと
 大分,脱線しました.閑話休題です.こうしてMunc-18の論文が日の目をみて,私はこれでとりあえずは何とか日本に帰れるだろうとほっとしました.その後,私の関心は神経伝達物質放出からシナプス接着に移り,ポスドク生活の後半はneurexinの結合相手である接着分子neuroliginの同定と,neurexin,neuroliginの裏うち蛋白の研究をすることになりました.
 もちろんTomの研究室では神経伝達物質放出機構の研究が連綿と続き,Munc-18に続いてunc-13のホモログMunc-13の同定やcomplexinの発見,ノックアウトマウスによるsynaptotagminの機能解析など,一貫した姿勢で粛々と仕事が進められていきました.ややこしい話が嫌いな私は登場する役者の数が増えるとたちまちにして関心を持続できなくなり,アイソフォームが複数になって微細な違いが論じられ始めると途端に話を聞くのも面倒くさくなるのですが,Tomは倦まずたゆまず,揺るぐことなく20年の時を経て今回の受賞を勝ち取ったことになるわけです.そう思い直すと1991年の夏,机の向こうに座って,自分はシナプス小胞の蛋白を全部決めるのだと語っていたあの時から,ノーベル賞をとることが決まっていたような心持ちがしてきます.しかし,それはTomの傍にいて,Tomに思い入れのある人間の勝手な感興でしょう.
 Schekman教授とRothman教授は,私がTomの研究室でポスドクとして働いていた時期にすでにノーベル賞の候補として名前が取り沙汰されていました.お二人の受賞は満を持して,誰もが納得する形でなされた受賞でしょう.それに引き替え,Tomの受賞には異を唱える向きもあるかもしれません.受賞報道以降にインターネットで交わされている会話にも,その傾向は伺われます.Tomの業績は,only oneというよりはnumber oneの業績です.もとよりサイエンスは芸術とは違いますから,only oneを達成するのは困難です.モーツァルトがいなければモーツァルトの音楽はありえませんが,ニュートンがいなくてもニュートン力学は何らかの形で人類の前に登場したでしょう.そう理屈をつけて弁護してみても,Tomの場合,Scheller教授やJahn教授をはじめ,同じような研究をしていた多くの研究者がいる中で競り勝っての受賞であるのは明白です.物言いがつく余地はあります.しかし私としては,そうした激しい競争の中でペースを崩さず平静に淡々と走り続けたタフさに拍手し,見習いたい気持ちになります.

■おわりに――Tomについて
 Tom には生真面目で不器用なところがあります.新聞社からの問い合せで多かった質問は,Tomのファミリー・ネームをカタカナでどのように表記するかというものでした.「シュドホフ」が一番近いと私は思うのですが,どういうわけか,どの新聞社の方も「シュ」を嫌われ,結果,翌日の新聞ではズートホーフやらスードフと記載されて,「ギョエテとは俺のことかとゲーテ云い」の再現になってしまいました.Tomが知ったなら,おそらくよい顔はしないでしょう.私があるとき“Südhof”を“Suedhof”と書いたところ,そんな表記は見たことないと不機嫌になったくらいですから,ズートホーフやスードフにはさぞかし渋い顔を見せるでしょう.なお後日,Tomの下で一緒に働いたポスドク仲間のドイツ人のNils Broseに確認したところ,“ü”を“ue”で代用するのはドイツでも一般的だと認め,なぜTomがそんな表記はないと云ったのだろうと首をかしげていました.日本人の名前でも嶋と島,澤と沢,邊と辺,正しく記載しなければ失礼にあたりますから,Tomの拘りにも敬意を表すべきかもしれません.シナプス小胞蛋白の呼称にも拘りがあり,syntaxinには相変わらずHPC-1と併記しますし,synaptobrevinはsynaptobrevinであってVAMPではありません.そうした頑固さも私には面白いと思えるのですが,当事者となられた方には迷惑で腹立たしくなることかもしれません.
 日本に何回かは来ているTomですが,日本での自分の評判を少しばかり気にしていました.あるいはTomを気難しいと思われている向きもあるかもしれません.しかし,研究室にあっては公正な家父長として振る舞い,様々な国から集まった背景も年齢も異なるメンバーをとりまとめていました.先に記載し忘れましたが,私が最初にTomの研究室を訪れたときにポスドクの一人はTomはfairだと保証し,それも私がTomの研究室を選ぶ理由となりました.Tomの家でホームパーティーが執り行われるとき,車の運転が滅法下手くそで通いなれた道筋以外は走りたくないし,ビールとクラッカーだけで延々と3時間も4時間も喋って過ごすのは適わないと独り研究室に居残り,実験をしている私のところに何回も電話をかけてきて,受話器の向こうから早く来いと呼びかけるTomには,部屋に引きこもっている子供を前にする父親のような趣がありました.
 ノーベル賞の受賞をきっかけに来日の機会が増えると思われます.今後は,より多くの日本の研究者に接触してもらい,その人柄を浸透させてくれると良いなあと願っております.

 本文章は,『医学のあゆみ』誌編集部の御好意によりWebに掲載して頂くものであり,記載されている内容,主張の責任はあくまで執筆者に帰するものです.

文献
1) Perin,M.S.et al.:Phospholipid binding by a synaptic vesicle protein homologous to the regulatory region of protein kinase C.Nature,345:260-263,1990.
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Thomas C.Südhof教授のラボのサイト
http://mcp.stanford.edu/research/sudhof/

ノーベル医学生理学賞ウェブサイト
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/


247巻11号(2013年12月14日号)に同著者による関連コラムが掲載されています(編集部).